第一章 梟雄割拠<14>
兵は常に鍛錬怠りなく鍛え上げねば、実践の役には立たない。ダハイの城に入って以来、オリオンは毎日、兵の訓練を行うように指示を出した。教練の実際の指導官はタンタロスがその任に当たった。
まず基本的に、乗馬から行う。単に馬に乗って戦えば良いというものではない。隊として一つの生き物のように、行動出来ねば戦闘力にはならない。
荒野を自在に走りしかも、統一した意思のもとに全体が動く。これのみを毎日飽きもせずに繰り返すのだ。むろんその他に、馬上での武器の扱い方。地上での白兵戦の訓練も行う。
「ユイマ、まいったな。いつまで馬の前身、後退、転身ばかりやらせるんだ」
「タンタロス様は、無意識に扱え、部隊全体が一つの生き物のようになるまでだ、と言われたよ」
「それは解って居るんだが。もう、口の中が砂でざらざらだ」
同感とばかりに、ユイマはにっこり微笑んだ。
「こらっ! そこの二人、無駄話をせず真面目に続けろ」
モリオネの叱咤の声が飛んだ。彼はオリオン不在のダハイにおいて、ビーマと共にオリオンの意志を守り抜いていた二十代半ばの若者である。今や水を得た魚のように溌剌と訓練に励んでいる。
「はぃ!」
と、短く返事をすると二人は駈け出した。
「モリオネ様は張り切っているな。今まで耐えてきたんだから」
「へぇー、そうだったの」
「ああ、とくにオイクレス様には辛く当たられていたんだ。オリオン様の、直属の家臣だという理由で」
「アレスもそうじゃないの?」
「俺なんか、ガキで、とるに足らないとでも思ってやがったんだ」
「アレスは、オイクレス様は嫌いなんだ?」
「あたりまえだ。あんな奴!」
訓練を受ける兵士は千人に達していた。最初はアッシリア兵だけであったが、次々に参加者が増え、ダハイの守備隊の三分の一になろうとしていた。
ダハイの守備兵二千人は本当の戦闘を知らない。部族ごとのいさかいは、たびたび起こるが、族長ディオンの采配で、部族間から兵を集め何とか治めることの出来る程度であった。最近は、ディオンはこの地域に王として君臨していた。
サカ族に攻められ、城門を閉じ、籠城戦を戦ってから、三十年近くになる。オリオンの生まれる前の話しである。
戦いを知る者はディオンと老人だけである。ダハイ城という、限られた空間、小さな世界の中に閉じこもる事が安全であり、あえて外の世界を知ろうとする者は少なかった。
そこに、青雲の志を胸に秘めた、オリオンが登場し、周囲の反対を押し切り外の世界に飛び出したのだ。族長ディオンにとっては、口には出さねど、忌むべき事であった。そして、オリオンは、帰ってきた。父親のライバルとして。
昼過ぎに、早朝から始まった訓練は終わった。
「ふうっ、やっと終わったよ」
「終わったね」
さすがにユイマもほっとした声を出した。
訓練を終えた兵士が次々に城門から中に入っていく。
「ユイマ、腹が減ったが食事の前に水浴びをするだろ」
「むろんさ、手足は砂まみれ、口の中まで砂だらけだよ」
「じゃぁ、俺が良いところを教えてやる」
「みんなと一緒じゃなきゃ、まずくないか」
「どうしてまずいんだ。いいから来いよ」
そういうと、アレスは後も見ずに馬に鞭を入れ駈け出した。当然、ユイマが後に続くことを疑いもしていない。
二騎は、大通りから外れ、丘の方に向かって駆けていく。次第に勾配がきつくなり、建物の影もなくなった。湿ったひんやりした空気になっていく。草の緑も濃くなり、木々も茂っている。
「ユイマ、あそこを見てみろ」
アレスの指さす方向に、洞窟が口を開けているのが見えた。
「洞窟みたいだね」
「鍾乳洞だ」
「し、鍾乳洞?」
「ダハイには所々ある。岩を水が穿って洞窟を作るんだ」
「水が岩を穿つ? 想像できないよ」
「行ってみれば解るよ」
途中から、馬を乗り捨て徒歩にて崖を昇る。
「ユイマ、気を付けろ。ここの岩はもろいから」
アレスの言うとおり、鋭角に尖った岩は、ちょっとした拍子に崩れる。地表から突き出た岩が、灌木の間に顔を出している。草も疎らになってきた。ユイマの耳に、ゴーゴーという響きが聞こえてきた。水が岩にくだける音だった。
「ここだ!」
崖の上からアレスが指さした。口を開けた洞窟から水が滝のように流れ出している。二人は恐る恐る足場を確かめながら、降りていった。
「気を付けろ、足を取られて倒れると大怪我をするぞ」
アレスの言うとおり、水中から岩が鋭角に突き出ている。
「綺麗な水だ! こんな綺麗な水は初めてだよ」
足を浸すと、刺すように冷たく、薄い青色のなんとも清浄な水であった。
「飲んでみろよ」
アレスは水を褒められいかにも満足そうに言った。
「飲めるの?」
「当たり前だ、命の水だぞ」
「命の水?」
「ビーマに教えてもらった。この水は枯れることがないんだ。遙か昔、ダハイが野蛮人のサカ族の大軍に囲まれたことがあるそうだ。奴らは兵糧責めに出て、城内を流れる川の上流を堰き止めた。しかし、この洞窟からの水は溢れ続け、城内の川は干上がることはなかった。いつまで経っても落ちない城に、兵糧が無くなったサカ族の大軍は、草原の彼方に引き上げていったそうだ」
「本当に命の水なんだ」
そう言うと、ユイマは手で水をすくいぐいと飲み干した。
「うまい!」
思わず彼は、声を出した。
「そうか、うまいだろう」
そう言うと、アレスも水に顔をつけた。
二人は、砂埃の顔を洗うと、着ていた服を脱ぎ捨て、全裸になって水に潜った。ユイマが水面から顔をだすと、正面に洞窟が大きな口を開けていた。遠くから見るのと違い、入り口はかなり大きく、ユイマ背丈の二倍はありそうだ。内部は暗くて見えない。
アレスも水面から顔を出し、にっこり笑いかけてきた。ユイマは、思わず吹き出してしまった。褐色の巻き毛が顔に張り付いているのだ。
「ユイマ、何がおかしいんだ」
「アレスの顔に、髪が張り付いているよ」
「お前も同じだぞ、でも、お前の髪は綺麗だな。金色で光が照り返して・・・・・おい、立ちあがってみろよ」
「えっ、いやだよ。裸で恥ずかしいよ」
「何言ってるんだ、男同士じゃないか」
そう言うと、アレスはユイマノ手を取り二人とも立ちあがった。
「これはなんだ?」
アレスの手が、ユイマの胸元に延びた。
「琥珀というものだよ」
「初めて見るな」
アレスは、金の鎖に繋がれた、琥珀を不思議そうにいじっていた。そのとき、ふとユイマの心に疑惑が走った。しかし、すぐに心配は吹き飛んだ。ユイマに視線を移したアレスの顔は、底抜けに明るく、無邪気なものだったのだ。
「おい、どこ見てるんだよ!」
思わずユイマは、自らの股間を押さえた。アレスの興味は、琥珀から別のところに移ったらしい。
「やっぱり、そこも金髪か」
「あたりまえだろが」
ユイマは多少むきになって答えた。
「でも、毛が少ないな。俺のを見てみろ」
「見たかあないよ、そんなもの」
「お前の身体、綺麗だな! 白くて細くて・・・・・俺の身体はどうだ」
そう言うと、アレスは二の腕を曲げ力こぶをつくり、腹筋に力をいれた。ユイマがドキリとするような魅力的な筋肉をしている。
「俺は、筋肉と自分の身体が自慢だったんだが、お前を知って自信が無くなった」
「そんなことないよ。とっても素敵だ」
「いや、そんなことある。剣でも、組み討ちでも俺はお前に引けをとる。こんなに、たおやかな身体をしたお前にだ。オイクレス様は大嫌いだが、男らしいあの身体にはあこがれていた。でも、タンタロス様を見て解ったんだ。本当に強い戦士の身体は違うんだと、細い鋼のような身体でなくては男は駄目だ」
「僕は、アレスのような男らしい身体になりたいと、心底思うよ。でも駄目なんだ、どうしても筋肉がつかない」
そう言うと、ユイマは腕を差し出した。アレスは手を取り、しげしげと細く白い腕を撫でだした。
「止めろよ! くすぐったい」
「ほんとうに、白くて綺麗な身体だ・・・・・」
二人の少年は、流水に足を取られないように、裸でじゃれあっていた。その時、ユイマの視線の片隅を何かがよぎった。
「あっ!」
「どうした、ユイマ!」
「いま誰かが、向こう岸から洞窟の方に入っていった気がしたんだ」
「もしかしたら・・・・・あの方かもしれない」
「あの方?」
「ステントル様だ、今度ゆっくり話すよ。でもユイマ、あの洞窟の中に入ってはいけないぞ、迷い込んで出られなくなってしまうんだ。何人も命を落としているそうだ」
ステントルという名は、ユイマの記憶にあった。オリオンの父、ディオン様の歓迎の宴に顔を出さなかった、人嫌いという人物のはずだった。
「謎の洞窟か・・・・・」
「ばか、興味を持つんじゃない。俺はえらい眼にあったことがあるんだ」
「洞窟に入ったのか」
「あの方の跡を付けてな。やっとこさ出てこられたが、もう二度とはごめんだよ」
アレスの身体が鳥肌だっていた。遠い記憶の中で、よほど怖い思いをしたに違いない。記憶を追い払うように、それから彼は、陽気にはしゃぎだした。
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