第二章、情念の結界<9>
隣の部屋で、腰を下ろす気配がした。
「ふー、煩わしいことが重なるね。実際、オリオンが帰ってきてからはろくな事がない。お前もうかうかしてはおられないよ」
「解っているよそんなことは、着々と手は打っている。モリオネの野郎、こんな事なら早くに片付けておくんだった。オリオンの腰巾着になって何かと目障りだ」
喋る声がユイマの耳に良く聞こえてくる。話の内容はかなり危ういことになりそうであった。
「ユイマ、誰が話しているか分かるの」
抑えて話す、イスメネの息が耳にかかる。
「デメテル王妃と・・・・・」
「兄上よ」
「では、オイクレス様」
「そうよ」
短いひそひそ話が二人の間で続く。
「どうするつもりだえ、時間はあまりないよ。既に兵隊の三分の一はオリオンに付いているよ」
「父上は、我らの味方だと・・・・・」
「・・・・・と、思うかえ。あの男は、高みの見物さ。つまるところ権力を握った方に担がれようとしているだけだよ。あてにはできないね」
「とにかく、兵隊をこちらに付けねばならない。今ならまだ間に合う。さっそくモリオネを始末せねばならない」
「いいかい、モリオネなんか小物だよ。お前がもっとも気を遣い、何とかしなければならないのはアッシリア人だよ。オリオンの力の源泉はあの三百数十人のアッシリア兵。そこまで言えばわかるだろ」
ユイマの顔は青ざめ、部屋の片隅で身を固くしていた。もしここに潜んでいることが見つかれば間違いなく殺害されるだろう。しかも、話はもっと核心に入っていきそうだ。
そのとき、思わずハッとして声をあげそうになった。イスメネの手がチェニックの裾から忍び込み、彼の脇腹を撫でたのだ。
「やめろ!」
微かにユイマの口から言葉が漏れた。イスメネの瞳は潤んで、何かを言いたげに、彼を見つめていた。次の瞬間、彼女の唇は言葉を吐くことなく、ユイマの唇に覆い被さった。「うーむ・・・・・」
口を開くことが出来ない。狭い場所では密着したまま動くことも出来ない。キトンの肩紐を解いた彼女の肌が、艶めかしくユイマを誘う。彼女の手の動きは止まらない。ユイマは、えもいわれぬ感覚に襲われ、背筋が痺れ、心臓が激しく脈を打つ。
「母上、解っております。アッシリア兵の弱点は、サティーと申す女性です。彼女さえこちらに取り込めば、あとは容易なことです」
「その通りだよ。してその方法は。なにか考えがあるのかい」
「そ、それは、彼女とオリオンの仲はなかなか強固にみえるし・・・・・」
「あの女の弱点は何だと思うかい?」
「・・・・・ユイマ、そうだ、あの少年だ!」
「確かにあの少年は、あの女の弱点で有ることは間違いない。じゃあ、あの少年をどうすれば良いと思うんだい」
ユイマの不安で胸が裂けそうになる。自分がどうにかされるのだろうか。イスメネはまったくお構いなしに、ユイマの肌をまさぐる。耳殻に熱い息を吹きかける。止めてくれ! と言いたいのだが声を出すわけにはいかない。動くことも出来ない。
「少年をどうにかする方法も考えられるがね、もっと簡単で確実な方法があるよ」
「ど、どんな方法なんだ」
「お前も、狡く策略をめぐらす訓練をする必要があるね」
「もったいぶらずに言ってくれよ」
「簡単なことだよ。サティーと申すあの女は、妙齢で美しい、お前は男じゃないか。あとは言わずとも良いだろう。お前のものにしてしまうんだ。手っ取り早く暴力でね」
「そうか! 手込めにしてしまえばいいんだ」
「そうだよ。それが一番手っ取り早い。ちょうど今は使われていない監獄が、王宮のそばに有るじゃないか。一ヶ月もそこに閉じこめ、自害できないようにして、毎日、陵辱の限りをつくせば、もうお前の言うがままになること間違いなし。手練手管は私がお前に仕込んであるからね」
ユイマの耳に話は入るが、話している二人の様子は分からない。彼自身、イスメネの誘う嵐の中に身を置いて拒むことも出来ない。
「そ、そりゃあいい!」
「どうだい、願ったり叶ったりだろ。あんな綺麗な女をものに出来るんだ、一石二鳥じぁないかい。ただし焦ってはだめだよ。一ヶ月間不在でも、怪しまれないだけの段取りが必要だよ」
「解った。俺にとっては一世一代の大勝負だ。何としてでも理由をでっち上げてやる」
「そうだよ。腹をくくるんだ。そうと決まれば、手練手管の仕上げをしようか・・・・・オイクレス、おいで」
二人が、ユイマの方に歩いてくる気配がする。こちらへやってくる、どうして良いか分からない。彼はますます、息を潜め身を固くするしかない。
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