ガンジス河のほとり

「維摩詰(ユイマキツ)外伝」


第二部 ステップ平原





 第二章、情念の結界<10>




 睦み声が、喘ぎに変わっていく。
 何かを吸っている音が聞こえてくる。デメテルの媚声は悲鳴に近く大きくなっていく。
「あぁぁぁ!」
 寝台の軋みがユイマの想像をかき立てていく。思考が千々に乱れどう考えて良いか分からない。ひたすら身動きの取れない狭い場所で、彼はさらに身体を硬くしていくのみだった。膝が小刻みに震えるのを抑えることが出来ない。イスメネの動きが緩慢になってきた。目を見開き、耳をそばだてているように見える。明らかに、母と兄の行為に気持ちを奪われている。 

どのくらい経っただろうか、鋭い嬌声と共に動きが止まり静かになった。
「ユイマ・・・・・」
「うん・・・・・」
 ユイマは、グッタリと疲れていた。並はずれた緊張感を強いられ、身動きの取れない片隅で身を固くし、寝台の上で繰り広げられる饗宴をすぐ隣で聞かされたのだ。
 イスメネもユイマの胸に頭を預け、腕を首に回して息を整えている。
「ユイマ、今度は私たちもね・・・・・」
「・・・・・」
 寝台の二人に聞かれないためか、ユイマの耳朶をくすぐるようにイスメネがささやく。
「少し静かにしていようね。もうすぐ二人は水浴びに出て行くから」
「そうなんだ」
「そうよ、いつものことよ」
「いつものこと?」
「そうよ。母上と兄上を盗み見するのがすごくいいの」
「それって・・・・・」
「興奮するのよ。なんだか疲れてしまったわ、少し休みましょうね」
 そう言うと、イスメネは満足そうに軽く眼を閉じた。ユイマは大きく息をして呼吸を整えようとしたが、まだ興奮が収まらない。満ち足りた顔をし、胸に顔を埋める彼女に対し凶暴な気持ちが湧いてくる。しかし、彼は身動き一つできない。この部屋の三人の中で、ユイマだけが置き去りにされてしまったのだ。 

「駄目よ。すぐに母上は帰ってくるから」
 寝台の陰の狭い空間から抜け出そうとしたユイマを、イスメネが押しとどめた。
 どのくらい時間が経過しただろうか。寝台から起き出した、デメテルとオイクレスの親子は、イスメネの言うように水浴びでもするのだろう、部屋を出て行った。
「身体が痛いんだ」
「そんなに硬くなっているからよ。もっと楽にしなくっちゃ」
 音をたてることを気にせずに、ユイマは身体を動かした。しかし、イスメネの肌から離れることは出来ない。
「あら、ユイマったら可愛い。こんなに硬くなって」
 あわてて彼は股間を押さえた。
「サティーに教わってるんでしょ。今度は私としようね」
「教わっているって?」
「やーね、今、隣の寝台でしていたことよ。楽しむことよ・・・・・ひょっとして、ユイマはサティーから教わってないの?」
「バッ、バカなそんなことがあるもんか」
「兄上は母上から、私は父上から今でも教わっているわよ。親がいない人は兄弟から教わるものなのよ」
「そ、そんな淫らなこと、聞いたこともないぞ・・・・・親子でそんなこと・・・・・」
「えっ、当たり前のことじゃないの?」
「そんな、変なことがあるもんか!」
「ああ、そうかユイマは庶民の出だったわね。確かにそうだわ。ダハイでも王宮に住む選ばれた人だけに許されることだったんだわ」
「バカな! もし、子供でも出来たらどうするんだ!」
「かわいそう。ユイマは何も知らないのね。避妊なんて何千年も昔からあるわよ。いいわ、サティーから教わってないんだったらよかったわ。私が教えてあげるわよ」
 ユイマより一つ年上のイスメネは、口の端を吊り上げ、ニヤリと笑みを浮かべた。
「避妊?」
「子供が出来ないようにして楽しむことよ。杉の樹液でしょ、羊の盲腸、小腸、それにワニの糞・・・・・ここではワニの糞は滅多に手に入らないけど」
 イスメネの瞳が悪戯っぽくクルクル回る。長い赤毛の髪を掻き上げ、唇を意味ありげに舐める。ユイマは混乱と恐怖にさいなまれる。この城に来て以来の様々な出来事は、瘴気となって彼の身体を蝕んでいくのだろうか。 


「ユイマくん!」
「あっ、サティー!」
 ユイマにとっては、突然の呼びかけだった。いまわしい部屋を出て、すがりついてくるイスメネと手を組みながら、回廊を歩いていた彼は、まさに、サティーのことを考えていたのだ。
「何を驚いているの。二人とも仲が良いのね。お似合いだわ」
 ユイマは慌ててイスメネの腕を振りほどいた。彼はサティーと視線を合わせることが出来ない。
「ええ、そうなんです。さきほどユイマくんと仲良くなったんです」
 そう言うとイスメネは、再びユイマの腕をとった。サテイーを意識しての行動に見える。「そう、それは良かったわ。ユイマは同じ年頃の友人がいなかったのよ。それがこの城に来て友達が出来たの。女の子の友達は初めてでしょ。ほんとに良かったわ」
 サティーは二人に向かって話しかけているのだが、ユイマだけは、少し頸をそむけている。なぜか恥ずかしく、まともに彼女の顔が見られない。頬が熱い。白い頬がうっすら紅くなっているだろう。
「サティー様、それは何です」
 イスメネがサティーの胸を指さした。
「ああ、これは蜻蛉玉というの?」
 サティーは白いキトンをゆったり身にまとっている。くるぶしまでの長いキトンを腰ひもで縛り、襟ぐりの大きい胸元には、色鮮やかな玉のネックレスが細いうなじから垂れ下がっていた。
「蜻蛉玉?」
「そうよ、トンボの眼に似ているからそう言う名前が付けられたらしいの。ガラス製で色彩と象眼が難しいの」
「サティー様はそれが作れるの?」
 イスメネは強い興味を感じたようだ。
「ええ、あまり上手ではないけれど作れるわ、絨毯織りを教わる替わりに皆さんに教えているのよ」
 そう言うと、サティーは長い金髪を掻き上げ、蜻蛉玉のネックレスを首から外すとイスメネに差し出した。その仕草をイスメネは魅入られたように見つめている。
「綺麗!」
「ありがとう。うまくできた作品だと思っているのよ」
「綺麗なのは、サティー様のことよ」
「まぁ・・・・・」
 恥ずかしそうに、サティーは少し俯いた。ユイマには彼女の蒼い瞳と、ほっそりした横顔が神々しいほどに美しく、瞼に強く焼き付けられた。

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