第二章、情念の結界<11>
草原を駆け抜ける騎馬の群れは、統制された秩序をもって、砂塵を舞い挙げていく。ステップの陽射しは容赦なくユイマに照りつける。兵士達の顔は皆、真っ黒に日焼けしているが、ユイマの白い肌は黒くならず、衣服から剥き出たところは、火傷をしたように、紅くなっている。
「ユイマ、どうしたんだ。今日は元気がないじゃないか」
馬を並びかけ、アレスが心配そうに声を掛けてきた。真っ黒に日に焼け、いたずらっぽい眼が生き生きとしている。
「あっ、うん・・・・・」
「心配事があるんだろ、お前はすぐに顔に出るんだから。言ってみろよ力になるから」
「そうか、顔に出てしまうんだ」
「顔だけじゃないぞ、手にも全然力が入ってない。その長槍を今にも落としてしまいそうじゃないか」
ユイマは、ハッとしたように長槍を見ると同時に、掴んだ手に力を入れた。
「あの時以来、どうもユイマは変わってしまった気がするんだ」
「あの時?」
「そうだ、ステントル様に拐かされて、洞窟の中に監禁されていた時からだ」
「そ、そんな・・・・・」
アレスから、ステントルという名を聞いた途端、ユイマの蒼い眼は見開かれ、腕が小刻みに震えだした。
「そら、そういうふうにショックを受けるだろ。なんとも弱々しく、儚く。とても放ってられないよ」
褐色の巻き毛を掻き上げ、アレスは、褐色の瞳で愛おしそうにユイマを見つめると、そっと、彼の肩を掴んだ。
「こら! 何をやっている。真剣にやらないと怪我をするぞ」
叱責の声を掛けてきたのは、モリオネだった。若い彼は、オリオンの手足にならんと欲し、懸命に騎馬の戦術を身に着けようと訓練におもむいている。
「はい!」
「はい!」
二人は同時に返事をした。
「アレス、さっきの話しは後でするよ」
「おお、分かった。お前のためなら、俺は何でもするからな」
そう言ってニッコリ笑ったアレスの、日に焼けた顔と白い歯が、ユイマの心に心地よく染み渡った。
「実はサティーのことなんだ」
「サティー様のこと?」
休憩時間に、草の上に寝ころんだ少年二人が肘を枕に向かい合っている。ユイマが訥々と話し始めたのだ。
「おととい、デメテル王妃とオイクレス様が話すのを、立ち聞きしてしまったんだ」
「そ、それで」
「オリオン様の勢力が強くなったのが怖いらしく、サティーを拐かして、アッシリア軍を味方にしようとたくらんでいるんだ」
「そ、そんなことが出来るのか?」
アレスは、身体を起こしその場に座り込んでしまった。ユイマも習って胡坐を組んだ。
「今すぐじゃなく、その為の準備を始めると言っていた」
「そうか、何時かはこうなるとは思っていた。きっとオリオン様のことだから十分に警戒していると思うよ。でもその話しは、オリオン様とカストル様、タンタロス様にも報告した方が良いと思うよ」
「うん、そのつもりだ。けれど、サティーには知らせたくないんだ」
「何故だ。一番気を付けなきゃならんのは、彼女じゃないか」
「心配させたくないんだ。詳しく知ってる訳じゃないけど、サティーはもの凄い苦労をしてきたらしい」
「そうなのか?」
「うん、エクバタナの時、アリウス様やパルコス様が漏らしたのを聞いたことがあるんだ・・・・・」
「そうか・・・・・分かった。ユイマこうしようじゃないか、俺たちでサティー様を守るんだ。いいか、今思いついたんだけど、一日中それとなく見張るんだ」
「一日中・・・・・出来るのか?」
「任せてくれよ。緊急の時だ、俺がユイマの部屋に泊まり込むんだ。ユイマの部屋はサティー様の部屋の真ん前だろ、交代で寝ずの番をしようじゃないか」
「そりゃあ良い。拐かすとしたら夜の可能性が高いと僕も思う」
「そうだ、まだ先のことかもしれないが、念のために今晩から始めよう。オリオン様たちも賛成してくれると思うよ。サティー様に知らせずに守るとしたらこの方法が最高だよ。やろうぜ!」
アレスは興奮して、ユイマの手を取り決意を込めた眼で見つめた。
「うん、やろう」
「そうさ、俺たちが協力したら怖いもんなんて何もないぞ」
「そうだよね」
ユイマの顔がニッコリ微笑んだ。落ち込んでいた心が軽くなった気がした。アレスに相談してほんとに良かったと彼は思った。
「ユイマ、夕食は旨かったな。お前は、いつもあんな旨いもんを食べてたんだな、兵舎の食事とは大違いだ」
「でも、アレス、今日からは毎日一緒に食事をすることになるんだよ」
夕食が終わった後、二人はユイマの部屋でくつろいでいた。すでに、寝台も運び込まれて、今晩からは一緒の部屋で暮らすことになる。
「俺、感激したよ。凄いよ。オリオン様、カストル様、タンタロス様も一緒に食事だなんて」
「タンタロス様は時々しか顔を出さないよ。兵舎の食事の方が、自分には合っていると言って」
「へえぇ、変わってるんだな。俺は断然ここの食事の方が良いぞ」
「食事はいいんだけど、僕は驚いたよ。オリオン様たちは、すでに動きを察知して、手を打っていたなんて」
二人はもう見張りを始めているつもりなのだろう。部屋の扉を少し開け、椅子を二つ持ち出して、視線をサティーの部屋の扉に置いて話し続けている。回廊の燭台は以前から夜通し灯されていた。
「俺もほんとに驚いた。宮殿の出入り口の衛兵は、すべてオリオン様の手の者になっていたなんて。そして、三階の入り口階段の護衛もそうだと言うじゃないか」
「そして、サティーが参加している、絨毯と蜻蛉玉の会にも、女性の護衛が付いていたんだろ、もう安心だよね」
「もちろんだ。でも俺たちが、交代で寝ずの番をするといったら、オリオン様は喜んでいたよ。それでいて、食事の時にはサティー様の前では、そんなことおくびにもださないんだからな」
「サティーは、喜んでいたよ。良い友達が出来たと言って」
「ああそうだった。『何時までも仲良くしてね』だって。当たり前じゃないかよ。でも俺は本当に嬉しかったぞ」
「僕もだ」
二人は顔を見合わせてニッコリ微笑んだ。
「これから、慌ただしくなるぞ」
「見張りがかい?」
「何言ってるんだ。敵の動きが確認できたんだ、オリオン様はすぐに行動に移されるはずだ」
「では、戦いになるの?」
「当たり前だ、わくわくして来るじゃないか。今頃、オリオン様、カストル様、タンタロス様は何処かで、作戦を練っているはずだ」
「もう、そんなことをしているのかな?」
「ユイマは、ほんとうにそっち方面は駄目だな。学問は何でもござれで、武術もこの俺が舌を巻くほどに出来るのに。策略は全然駄目なんだから、今度は兵術の勉強をしなくっちゃ」
「教えておくれよ」
「まかせとけ! そうと決まれば取りあえず、浴場にいくか」
「どうして、突然、浴場になるのかな・・・・・先に行ってくれば」
「何言ってるんだ、一緒に行こう」
「そんなことをしたら、見張りの方が・・・・・」
「あっ、そうだった。まずいよな」
「絶対まずいよ」
役目を忘れたわけではなかろうが、二人は結構楽しそうだ。とくにアレスは、浮き浮きしているようにさえ見えた。
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