潮風が顔を撫でていく。白髪交じりの頭髪が乱れる。
潮流が渦を巻き、舷灯の光は波間に孤独に進んでいく。巨大なコンテナ船が、喘ぐように流れに逆らっている。
肉体的に疲れていは居ないはずだが何となく気怠るさを感ずる。乾いた靴音がひび割れたコンクリートに響く。
昼間の残暑が嘘のように、夏物の薄手のスーツが心地よい。九月ももうすぐ終りで、明日は彼岸である。死んだ両親のことについて、それほど拘りはないのだが、二十年数年来、彼岸には墓参りをする習慣になっている。
私の生きてきた軌跡を知っている妻は、我が家の仏事を大切にしてくれる。私の心をおもんばかっての事だとは思うのだが、私はそれほど気にはしていない。ただ、そう考える妻の気持ちは大事にしているつもりだ。
仕事を終わった後、私はこの岸壁を散歩するのが習慣になっている。過去の繁栄の亡骸のように、倉庫群が連なっている。鉄骨は赤錆にまみれ、倉庫の壁面は風雨に晒された染みが拡がり、塗り直す気配すらない。なぜ心を引かれるのか自分でもよく分からないが、私の心はこの風景の中で落ち着く。
海峡の対岸は北九州市だ。門司と小倉のきらびやかな夜景が暗い水面に反射して美しく光が乱舞している。人は百万ドルの夜景などと、何処にでもありそうな事を言い、観光案内にも写真が載っているのは厭なものである。卑小な精神を感じてしまうのだ。
どのくらい歩いただろうか、気が付けば韓国の釜山行きフエリーの発着所のすぐ近くまで来ていた。ここまで来れば、さすがに岸壁は整備され、コンクリートも新しい。私は立ち止まった。街灯が立ち並んでぼんやり岸壁を照らしている植え込みのところだった。
弱い光は海面まで届くことはなく、打ち寄せ砕ける波の音が暗くなった海面から響いてくる。
先ほどから気になっていた。誰かの視線を背後に感ずるのだ。気が付かない素振りをしてはいたが、私の神経は勝手に気配を探っている。
呼吸を数え、急激に振り向いた私の眼に一人の男の姿が映った。突然の私の行動に男は慌てたように顔を隠そうと横を向いた。街灯の光に男の姿が映し出された。九月というのにジャケットの襟を立てている。私が近づいて行くと、男はそわそわ落ち着かない様子をみせた。
「私に何か用ですか」
「・・・・・」
男は襟で顔を隠そうとする。
「・・・・・おい、常田じゃないか。どうしたんだ」
「あっ、専務。ごぶさたしています」
常田は、びっくりしたような振りをして頭を下げた。この男ももう三十才になるだろう。
その筋の人間にありがちな、パンチパーマの頭に、ごつい顔をしているが、昔の面影は残っている。彼が我が社に就職した時は、中学卒業してすぐの十五才のまだ子供であった。
「私に、用があるのか」
跡を付けていたのは明らかだった
「いえ・・・・・」
彼は答えようとしない。
「言いたくないなら仕方がないが、足を洗うつもりなら相談に乗るぞ」
「専務、すみません・・・・・」
この男、ガソリンスタンドに勤めながら定時制の高校を卒業したのだが、ふとした切っ掛けで悪の道に足を踏み入れてしまい、今では一端のヤクザになっている。結婚して子供も出来たと聞いていた。ヤクザが家庭をもつ・・・・・まあ、そんなに不思議ではないかもしれない。私ですら家庭を持っているのだ。
「何か話があるんだろうが、何なんだ」
「いえ、ついお見かけして、懐かしくなったんですが、こんな身の上ですから挨拶ができませんで失礼しました」
「確か、吉村の身内だったな」
「はい、吉村組です」
跡を付けていたのは明らかだった。誘いを掛けるが、なかなか本音を言わないだけ、よけいに気になった。
「私に聞きたいことがあるなら、直接聞けと吉村に言っておけ」
「は、はい・・・・・」
彼は話をするつもりは無く、早くこの場を逃げ出したいようにそわそわしている。
常田と別れ、私は関釜フェリーの発着場の方へ歩いていった。後ろを気にしたが、後を付けて来る気配は感じない。
半年前・・・・・あるいは、あのとき岸壁の上に見た人影は吉村と常田だったのか。確信めいた思いが頭をよぎったが、関わり合いになる気はまったくない。最近は他人が何をしようが、あまり興味を引かれなくなっていた。他人の中にはむろん家族も含まれている。
「だめよ、もう一度きちんとやり直しなさい」
「はい、はーい」
妻の妙子の叱責に、二男の忠彦が気のない返事をした。決して嫌がるわけではなく、雑巾で墓石を洗い続けている。野球にしか興味がない彼は、真っ黒に日焼けした顔から時々白い歯をのぞかせる。背丈は我が家では一番になったが、まだ成人ではない思春期の身体は少し頼りなく感ずる。
「そこの字のところ。掘ってあるでしょ、そこは汚れているから特に念入りに洗いなさい」
年月が染みついた白い御影石には、直江家累代の墓と掘られているが、光線の関係ではほとんど判別できない。
「忠彦! お前は何時もそうだ。もう少し真面目にやれ」
「なんだよ! 兄ちゃんは何もやってないじゃないか」
「俺は、掃いてるだろうが」
「箒を持ってるだけじゃないか」
「ばか言え。見てみろ!」
一時もじっとすることのない忠彦とは違い、長男の正彦は何時もこの調子で、身体を動かすことをきらう。色白で小さい頃から部屋の中で絵を描くのが好きだった彼は、美大の三年生である。
我が家では、彼岸に家族で墓参りする習慣が根付いている。特に熱心なのは妻の妙子である。墓参りだけではなく、命日、誕生日など、すべからく生活をきちんと過ごさねば気の済まない質である。
彼女は新聞紙に広げた菊を手にとって、真剣な眼差しで葉を取りハサミを入れる。中肉中背で活発な性格ではあるが、ふとしたおりに、鬢のほつれが年齢を感じさせる。
私は、少し離れた場所で新聞紙に火を付け、線香の束に移そうとする。木々の影にひっそりと窪みがある。いつもの場所だ。燃え上がる火勢が病葉(わくらば)を焦がし、細い煙が筋を引いて初秋の空に昇っていった。
年に三回行われる墓参りに関する役割は、誰が何時決めたものでもない。いつしか各人が指示されることなく、それぞれの持ち場で動いている。
「お父さんはどうするの」
「ここら辺をゆっくり散歩して帰るとするよ」
「じゃ、私たち三人は小倉に行くから」
小倉は、北九州市の中心的な繁華街である。博多まで行くことはまずないが、ちょっとした買い物の場合は、下関の人々は海峡を渡り小倉に買い物に出ることがある。
関門鉄道トンネル、関門国道トンネル、関門橋と交通の便が良くなるたびに、下関の街は衰退していった。明治、大正時代の殷賑からは信じられないことだと以前老人に聞いたことがあった。
禅堂の側を通り、玉砂利の道を駐車場に向かう。この寺は、覚鹿寺と言い、長府毛利藩主の菩提寺である。裏山の一部が墓地になっており、それぞれの墓は、敷地が大きく門まで付いているのが少なくない。門を葺いている瓦が割れ、赤土から雑草が生えているものが多い。墓は立派であるが、訪れる人がいないに違いない。年代を経た大きな墓石が物言わず立ち並んでいる。彼岸だというのに人影は少ない。
「正彦、お前が運転するのか」
「そうだよ。母さんに運転させるわけにはいかないじゃないか。それにしても父さん付き合いがわるいよ」
「今に始まった事じゃないんだから、しかたがないの。お父さんはタクシーで帰ってね」 確かに、付き合いが悪いに違いない。しかし、高校生と大学生の男が母親と行動を共にすることに違和感がないのは、私には信じられない気がする。
“今頃の若い者は”とつい考えてしまった自省の念で少し気分が重くなった。やっぱり歳か。五十五か・・・・・。
「直江さん、直江さんですよね」
「えっ、はい、直江ですが」
駐車場から、寺門に向かう坂道を歩いていたとき突然、声を掛けられた。どこか、見覚えがある顔だが思い出せない。
「直江さん、私のことを覚えていらっしゃいますか?」
すらりとした体型に、身体の線の浮き出る黒いシャツ、クリーム色のジャケットをはおり、スラックスも同色である。長い髪をゆったりと一つに纏めている。
年の頃は三十ぐらいか。どこか、普通のOLとも、主婦だとも思えない独特な雰囲気を持っている。見覚えがある気はするのだがどうしても思い出せない。
「直江さんのスーツにネクタイ姿も素敵ですが、カジュアルなジャケット姿もお似合いですね」
彼女は思わせぶりに小首をかしげた。
「申し訳ない。どちら様でしょう」
「まだ、思い出しません? 一年半ぐらい前にお目に掛かったんですよ。刺繍といってもだめですか」
「あっ、広島の・・・・・」
「そうですわ。やっと思い出されたんですね」
「やあ、これは失礼しました」
「江里子です。その節はありがとうございました」
たあいのない話であった。私はその時、中国地区の石油販売業組合の関係で、広島に出張したのだ。宴会も終わり、付き合いのあった広島の経営者に案内されて行った、クラブにいたホステスが彼女だったのだ。会ったはその時一度だけである。
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