「段はその辺でいいとして、称号の話しをしようよ」
健はどうやら、話しを早く終わらせて食べたくなったようだ。中学中退と言う学歴を自慢するだけあって、込み入った話は苦手らしい。かといって頭が悪いわけでは決してない。とくに、頭の回転の早さはたいしたものである。
「じゃあ、次は称号つまり、錬士、教士、範士、名人ということになるが、いまいち良く解らない。浅見さん、武道をやっている現役として、説明できるだろ?」
進行役の学者の言葉をうけて、あまり自信なさそうに浅見は話し出した。
「段位が技術的な面での位置づけだとすると、称号は精神的というか人格というか、その組織に対する貢献度。そういうモノの総合ということになるらしい。これは客観的評価が難しい、突き詰めれば曖昧模糊というか? よって、現実には錬士は六段、教士は七段、範士は八段以上というところに落ち着いているようだ。明治のころ、当時の剣道連盟が決めたのが嚆矢らしい。経過は良く解らないが」
「それでいい、それでいい」
ゲンさんは、相づちを打ったが、他の者はなにが『それでいい』のか良く解らない。本人すら解っているかどうか怪しいものである。
「ゲンさん、錬士は六段、・・・・・で良いということか?」
「そうだよ健ちゃん、その通りだよ」
「だそうです。ところで学者、規約には名人、十段というのがあるが、その点に関してはどうなんだ? 名人という称号もあまり聞いたことがないが?」
「健ちゃん、その件に関しては浅見さんが一番詳しいと思う。浅見さん頼むよ」
「剣道にも柔道にも昔は、十段がいたが最近はあまり聞かない。名人も一般的には良く聞くが、称号としての名人位は古武道の世界に僅かにあるらしい。問題は十段と名人をどのように判断するかだ。つまり、誰もが認める客観的判断が出来るかどうかだろう」
学者は浅見の発言を受けて、少し首を傾げながら話し出した。
「あまり自信は無いんだが、武術も長い歴史をもつと、どういう訳だか、精神的な要素が強くなるようだ、精神論を強く打ち出すと武術から武道に変わると思えてならないんだ。あくまでも、単なる部外者の感想という次元にすぎないが・・・そして、宗教的な要素が強くなる。無我の境地、無念無想の境地、・・・などと言う言葉が氾濫してくる。勝さんどう思う」
「学者、解るような気がする。もう少し言いたいことがあるだろう? 続けて見ろよ」
勝さんに励まされて学者は続けた。
「茶道、華道、書道、・・・『道』が付き、技術に精神的な意味合いが加えられると変なことになってしまう。技術という実際的、現実的なものが、観念的な者になってしまう。それに、金銭、名誉という人間のなま欲望が結びつくともう見てはいられない。 大工が大工道というか? 床屋が床屋道というか?
博徒が博打道というか? スケコマシが色道というか? かれらは本当に健全である。そういう強い皮肉をこめて、草刈道を企画したんだ」
学者は、話しているうちにだんだん興奮してきた。彼にとっては珍しいことである。浅見は彼の興奮を鎮めるように、ゆっくり話し出した。
「学者、気持ちはわかるよ。だから、みんなも全草連に賛成したんだと思うよ。しかし、私の師匠の塩田先生のように、武道の宗家でありながら、段位、称号はつまるところ商売であると喝破した先生もいるんだ。是非そのことは知っていて欲しい」
そこまで話すと、浅見は、一口ビールを飲んで続けた。
「ところで話しを戻して、十段、名人のことで今思いついたんだが、どうだろう。本当の無我の境地、天地と一体になる。しかも客観的で誰がみても納得できる境地の体現者。すなわち、アルツハイマー病の重傷患者。徹底的な痴呆症の老人が有資格者ということでは? 草も鎌も差別無く、さらに、差別という観念すら超越してはいまいか?」
「賛成!」
勝さん、ゲンさん、学者、健、四人に異存のあるはずがなかった。
話が妙にヒートUPして、おかしな方向に行きかけたところで、御大の勝さんが、何か食べようと話題を変えた。
「よし、喰おう! 喰おう! おねえさん頼むよ」
ゲンさん急に元気になった。なかなか、来てくれぬ、おねえさんに業を煮やしたゲンさん、テーブルをまたいで飛び出していった。
「おーい! ゲンさん、注文あんたにまかせるよ!」
ゲンさんの後ろのほうで、誰かの声が響いた。
「えーと、サンマの塩焼き四人前、シシャモ二人前、焼き鳥三人前、焼きナス四人前、つけもの二人前、餃子もいいな二人前、それと、生ビール四つ。とりあえず以上」
ゲンさん、一気に注文を終えると、ホットした。
今まで何となく出番がなく、気が滅入っていた霞がはれ、開放的な気分になった。
「さあ、飲もうぜ! 騒ごうぜ!健ちゃん歌え」
「ゲンさん、ここ、居酒屋だぜ、カラオケはないよ。ほかにも、お客はいるんだよ」
「健ちゃん、あんたカタギになったんだろ? だったら、シロウト衆に迷惑かけなきゃ。シロウトに迷惑かけないなんぞ、ヤクザのたわごとだ。いいか、カタギは人に迷惑かけて初めて一人前だ」
少々どころか、明らかな乗りすぎである。
勝さん、珍しく考え込んだ。『男も、女も、俺の近くにいる人間はどうもおかしい、変である。いやそれとも、人間、多かれ少なかれ皆どこかおかしい。俺をのぞいては』
結構、自分が一番変なんだが、そうだとは、つゆほども思わない。
騒ぎを抑えるように、冷静さを取り戻した学者が口を開いた。
「食べながらでいい、聞いてくれ。会の運営資金のことだ、これについても一つ考えがある。会費のみで運営しないか? 会員一人あたり、月五百円、年間六千円、会員千人で年間六十万円。通信費、諸雑費、これだけあれば十分だと思う。別に金の掛かることもない。イベントするなら参加者から、そのつど集めればよい」
「わかった、それでいい、組織運営にかんしては、学者と浅見さんできめるが良い。ドンドン進めてくれ」
勝さん、焼き鳥をほおばりながら、先をうながした。
「じゃあ、つぎにいくぞ。段を取った場合の免状料だが、その段の二倍の日にち、草刈りのボランティア活動をするというのでどうだろう。初段なら二日間、二段なら四日間、・・・・・九段で十八日間。称号も同じだ、錬士なら五日間、教士は十日間、範士、二十日間」
「ちょっと待ってくれ、九段までは何とかなるかも知れない。しかし、十段、名人はどうなるんだ?」
健は本当に心配そうに、日に焼けた顔を学者にむけながら呟いた。
「健ちゃん心配するな。十段、名人になれば、逆にボラティアを受ける方にまわるんだ。どうだ、良い考えだろう」
「そこまでは良いとして、最後になるが、「道着」については、捩り袖、マタギ袴、ニッカボッカ、と色々考えられるが、ここのところはカッコ良く、作務衣でどうだろうか? 雰囲気があっていいだろう」
「学者、作務衣ってなんだ?」
「ゲンさん、禅寺などで、坊さんが着る作業着だよ。上は筒袖、下はズボンだよ。機能的に作業するのに都合のいいものだ。あ! そうだ! この店の大将が着ているやつだ。おーい! 大将! ちょっとこっちに来てくれ」
めんどくさそうに、グズグズしながら大将、四人のところにやって来た。この連中に逆らうと、とんでもない目にあうことは重々承知である。
「何事ですか?」
ゲンさん、体をテーブルから外し、上がりカマチに腰をおろすと、がっしり体を大将の正面に向けた。
「いいから大将、そこで、廻ってみろ・・・・・・なるほど、なるほど悪くない。大将、もういって良いぞ」
大将わけが解らず、首をかしげながら退場した。
「学者、OKだ! 俺も思いついた。あの大将と同じく、タオルをくびにまいたらカッコいいぞ、それに、頭には麦藁帽を被るってのはどうだ。それから、足下は地下足袋にかぎる」
「ゲンさん、タオル、地下足袋は良いが、頭には、菅笠のほうが似合うんじゃあないか?」
「スゲガサ? よくわからんが、まあいい、学者が言うんならいいだろう」
浅見は何とか、話しをまとめながら記録しようと、鼻に汗をかいて頑張っている。
「浅見さん、もう良いよ。あとで学者と話し合って、決めてくれ。よーく解ったよ、二人が決めたことなら誰も文句はないよ。 浅見さん、飲もうよ。みんな、今から飲み直しだ。おーい! ビールもって来てくれ!」
勝さんの言葉で今日の議題はなんとなくまとまったようだ。まだ宵の口である。この宴会いつまで続くことやら。この連中、帰る気にならない限り、決して店を閉めさないのは、いつものことである。居酒屋の大将、恐怖におののいている。
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