14、旗 印




 吉田酒店のカウンターに久しぶりにマツが顔を出した。養生した甲斐があったのか、病院が悲鳴をあげたのか定かではないが、一応退院したことは事実らしい。退院祝いは先日ここで常連が集まり挙行された。その日、マツは全草連、雪路とハツエの大騒動の事実を知った。
 「さち子から詳しく聞いたよ。農協も海上自衛隊も大弱りだそうだ! 俺がいないあいだに、えらいことになったんだなー」
 「実は勝さん、先日『ナポリ』でハツエさん、政夫たち族の連中と密談してたよ。俺は早々切り上げたので内容は知らないが」
 健はハツエの姿が見えないのを確認しながら声を潜めて話した。
 「ハツエは頭に血が昇ると、とんでもない事をしでかすからな。もっとも長続きするはずは無いんだが?」
 勝さん首を捻る。
 「全草連の方は、学者がまとめてくれると思うが、いくら何でも行き過ぎだよ。原因が自分にあると思うと気が重くなるよ」
 浅見も近頃、浮かぬ気持ちが続いている。
 健は手を打った。
 「そうだ! 浅見さんが居なくなれば問題は片付く。浅見さん、転勤願いを出したらどうだろう? 或いは消えるとか?」
健の冗談とも本気ともつかぬ発言ではあったが、その場に居合わせた人間はじっと浅見の顔を見つめた。

 「おいおい、物騒なことを言うなよ。ところで、家のババア。俺の退院前の話しになるが、村の公民館を摂取して、全草連の本部にすると騒いだらしい。さち子もさすがに呆れて、ババアを押さえ、なだめている。どういう訳か、クソババア、さち子には弱い。最近はかなり落ち着いて来たようだ。もう少し様子を見てみるよ・・・・・」
 「おいマツ、雪路ばあさん、どうして公民館摂取なんて言えるんだ?」
 勝さん、いくら何でもと疑問に思ったらしい。皆も耳をそばだて、マツの言葉を待った。
 「いや、大したことじゃないんだが、公民館を建てるとき、俺と、ババアが敷地を全部寄付したんだ」
 「たいした事だよ、コノヤロー!」全員が口を揃えた。

 「いらっしゃい! みんな楽しそうね」
 ハツエが登場。噂をすれば影とは、このことであろう。
「おい、ハツエ! 政夫たちと密談していたらしいが、何をやらせるつもりなんだ?」
 「ちょっと、待ってね!」 
 言うないなや、ハツエ、店の奥に引っ込んだ。
 皆の顔に一瞬不安がよぎった。
 「内緒にしていたんだけど、コレ! あんた、ちょっとそっち持って」
 白い布地であった。勝さん端を持った。
 二メートル四方はあろうという、白い布地に、墨痕鮮やかに『全草連』と大書されていた。ハツエ得意の書道である。勢いのある立派な書であった。
 しかし、どう見ても戦国の武将が用いた『旗印』ではあるまいか。
 「これを、三本用意して、あと、幟を十本作ろうと思うの」
 「ハ、ハツエ! 旗印と幟、十三本、いったいどうするつもりだ?」
 「山口の陸上自衛隊に行くとき、『こんにちわ』といっても適当にあしらわれるだけでしょ。甥の敬が一尉と言っても多可が知れてるじゃない! 先方を驚かせ、こちらのペースに持ち込む必要があるでしょ。政夫たち、暴走族『海峡』に手伝わせて、車三台用意し、それぞれこの旗印をたてるの。幟、十本はバイクにとりつけるの、ぜんぶで、車五台、バイク二十台、人数三十人以上手配しなさいと、政夫に頼んだのよ。そしたらあの子、喜んじゃって絶対五十人以上参加させるといって、大張り切り・・・・・」
 みんな、唖然として言葉も出ない。
 勝さん、自分の女房が鉢巻きを締め、和服に襷掛け、右手に『なぎなた』を立てて、オープンカーで、ふん反り返って暴走族を指揮する姿を妄想してしまった。
 「巴御前かー! してみると、俺は木曾義仲かー! 早く死にたいよ」
 勝さん、ため息と供に言葉が漏れたが、幸いなことに誰もハッキリと聞き取ってはいなかった。

 「ハツエさん、自衛隊にケンカを売る訳じゃないよね?」
 少し、心配そうに浅見は尋ねた。自分が消えると言う言葉が現実味を帯びてきた。
 「馬鹿なこと言わないで、協力をお願いするだけよ。参加者全員に『全草連』と書いた白い鉢巻きを配るの、カッコいいでしょ。 政夫なんか喜んで大乗り気、『海峡』を『全草連、海峡支部』にするんだとか、息巻いていたわ」
 「あの野郎ども、今度あったら絶対殺す!」
 勝さん、冗談とも思えない殺気だった眼をした。
 「あんた!あの子たち結構かわいいよ」
 「可愛いわきゃーねー! 殺す、殺す、ブチ殺す」
 可哀想な政夫である、勝さん夫婦のお手玉になってしまった。
 「ハツエさん、槍と弓も用意したらどう・・・・」
 ゲンさん話し終わらないうちに、勝さんに頭をドヤされた。
 ハツエは調子に乗って喋った。
 「勿論、マスコミも利用するわ。山口新聞、中国日報、それに、三大全国紙の支局。テレビはKRY山口放送、TYS山口、NHKの支局、みんな喜んで取材すると思うの。なにせ、鉢巻き、旗印、幟、を立てた、車とバイクが整然と自衛隊に嘆願の行動をするんだから。マスコミに遠慮する自衛隊は、これできちんと対応せざるを得ないでしょう。 もう一つ別の企みもあるの、宣伝効果よ、場合によったら、全草連の名が全国区になるかも知れない? 数億円使った宣伝広告と同じ効果を発揮するかも?」
 勝さん、沈鬱な顔になった。そうなったら恥ずかしくて、とても生きてはいられない。
 みんな、ハツエから視線を外しグラスのビールをあおった。

 「ハツエさん、ほんとにするつもり?」
 浅見は心配で堪らなくなった。肝心の時、学者はどうしたんだ、もっとも、さすがの学者も打つ手はあるまいが・・・・浅見は頭が混乱してきた。
 健もマツも口を挟むことが出来ない。
 唯一、発言可能なゲンさん、ものを言うと勝さんに、どつかれそうでコレ又口を挟めない。
 「自衛隊で話しを決めたあと、室津の漁協に廻るの。陸の草も、海草も同じ草だと説得するつもり。全行程だと丸一日は掛かるわね。あんた、一日店を空けるけどよろしくね!」
 宜しくなんかあるもんか、思うが下手に口に出せない勝さん。
 出来ればこの場から逃げ出したい健。
 混乱した頭を冷やそうとウイスキーを飲み始めた浅見。
 結構おもしろがっているんだが、口に出来ないゲンさん。
 さち子に頼んで、なんとか、クソババアを納めようとしたが、ハツエが、この調子だと、心配になって来た、マツ。

 マツは彼なりに、クソババアの弱みは、さち子。ハツエの弱みが何か無いか
考えるのだが、思いつかない。
 その時、引き戸が開いた。
 「今晩わ! 先生、どうぞ、どうぞ、足下に気を付けて」
 江島先生が学者に手を引かれて入って来た。

次ページへ小説の目次へトップページへ