16、矜 持




 「触っちゃ駄目だ!」
 タンスに赤紙を貼った、裁判所の執行官は怖い顔をして女の子にそう言った。女の子は勝さんの妹のとも子である。勝さんは怖がる妹の手を引き外に出た。勝さん、高校二年生、とも子が小学六年生の時であった。
 三十分も経つと、執行官と債権者は家を出ていった。家の中に入ると、母親は、魂の抜けたように座り込んで茫然としていた。父親は隣の部屋で布団を被りまんじりともしない。家具には赤紙がベタベタ貼られていた。
 父親は博打で借金をつくった。悪いことにその借金返済の為、身を粉にして働いていた時、無理がたたって結核を煩い入退院を繰り返すはめにおちいったのである。そして、今日の強制執行であった。
 「僕が、頑張る。絶対に何とかする!」
 とも子の手を握り、母親の肩をゆすりながら勝さんは決心を固めた。
 戦前から続く酒屋の暖簾のことを考えた訳ではない。父親が倒れた今、自分が家族を何とかするという、漢の矜持からである。

 「○○酒を六本お願いします。お金はあります」
 勝さん、ポケットから現金を取り出した。
 「○○酒は無いよ」
 冷たい言葉であった。直ぐ近くの棚に○○酒は有るのだ。今まで何軒、酒問屋で同じ様な扱いを受けたことだろう。
 『子どもに売る訳にはいかん』『内は小売りじゃない』・・・・・・
 回収不能で迷惑を掛けたかもしれない。しかし、十七歳の勝さんはその事も考えたうえで、現金で卸して貰おうと必死であったのだが、世の風は冷たい。
 他に家族を養う方法のない勝さんは、あきらめる訳には行かなかった。 
子どもは残酷である。
 「やーい! 赤紙、赤紙」
 と囃され、泣いて帰った、とも子を連れ、悪ガキに家に怒鳴り込んだこともあった。
 腕力には絶対の自信があったが、現在の状況下では全く役立たない。屈辱に涙し、足を棒にしてでも酒を卸してくれる問屋を探すしかなかった。
 『とも子を立派に嫁に出すんだ!』とまで考えた。

 窮すれば通ず。必死の思いは、お天道様に通じるものである。
 「坊主、来たか。頑張れ!」
 「え! 卸してくれるんですか?」
 一瞬、勝さん耳を疑った。
 小売店に毛の生えたような小さな酒問屋であった。屋号は山田商店という。
 「話しには聞いていた、坊主が頑張っているとな。店を立て直し、その内、焦げ付いた債務も払ってくれよ!」
 山田の大将は、下駄履きに紺の前掛けをし、白髪混じりの短髪にタオルを巻き短躯ではあるがガッシリした両手で勝さんの肩を掴んだ。
勝さん、溢れる涙を右手の甲で擦った。
 「泣くな、坊主! 自転車の後ろのリヤカーに積んでやる。何が欲しい?」
 「○○酒を六本」
 「それと?」
 「それだけでいい、金が無いから」
 「金は後でいいから、欲しい物をいえ!」
 「おじさんありがとう。だけど、ホントに六本だけでいい」
 山田の大将が何と行っても、勝さん言うことを聞かない。感心しながら大将は酒を六本リヤカーに積んだ。
 坊主頭に詰め襟の学生服、ズック靴姿の勝さんは深々とお辞儀をすると、力強く自転車のペダルを踏むと走り出した。

「ごめん下さい。吉田です、おまたせしました!」
 二日前に貰っていた注文の酒を、配達することが出来た。そして、皆、現金で払ってくれた。
 「頑張りなさい!」と言って励ましてくれた。
 自信がついた勝さんはその足で注文を取って歩いた。
 その日の夕方、勝さんの自転車は再び山田商店を訪れた。
 「おじさん! ○○酒を五本と××酒を三本!」
 多少、誇らしげであった。
 「おお! 坊主。よっしゃ!」
 大将もうれしかった。すぐに積み込み金をもらうと大声で、
 「毎度ありがとう、ございます! 頑張れ坊主!」
 と言って、勝さんを送り出した。  
 家に帰ると、父母と、とも子に今日、一日のことを話しながら食卓についた。おかっぱ頭の、とも子の眼から、不安の影が無くなり元どおりになって行くのが勝さん嬉しかった。
 翌朝、学生服を着ると、勝さんは配達と御用聞きに、家をでた。
 そして、そのまま、勝さんは高校二年の二学期までで、高校を退学した。退学しても、暫くは学生服と坊主頭のまま、酒屋の仕事を続けた。

 一年後、山田商店の方から注文の品を配達して貰うようになった。注文の量が増えたのと、過去の負債を完済したためである。
 しかし、勝さんは煩雑に山田商店に顔をだした。
 「大将、こんにちは!」
 「おお! 来たか、にいちゃん!」
 『おじさん』から『大将』へ、『坊主』から『にいちゃん』へ呼び名は変わったが、二人の関係は相変わらずである。
 「いいか、掛け売りの回収は難しいぞ、催促し過ぎてはだめだ。かといって催促しないのもまずい」
 「じゃ! どうすりゃいいんだ?」
 「帳面もって来い、個別に教えてやる」
 勝さんにとって大将は商売のイロハから教わる先生である。
 「にいちゃん、骨身を惜しんでは駄目だぞ! どんなに遠くても、時間が掛かっても配達しろ」
 「大将、でも、あまり遠くだと配達しても損になる」
 「それが駄目なんだ、目先の損得にとらわれずバカになって注文には応じろ。
その内、それが種になって花が咲く」
 「咲くかなー」
 勝さん、いまいち納得していない。
 「咲くこともある。咲かないこともある。それが商売である」
 大将は禅坊主のように答えた。
 勝さんにとって、山田の大将の言うことは絶対である。誠心誠意、心を込めて何処へでも配達した。酒一本を半日掛けて配達したこともあった。
 そうすると驚くべき結果になった。どんどん花が咲いたのである。

 「駄目だ! 絶対、高校へ行け」
 「いやだ! 店を手伝う」
 店の前で、勝さんと、とも子が言い争っている。ここの所しばしば目撃される風景である。
 中学三年生、もう「おかっぱ」頭ではない。セーラー服のよく似合う、ショートヘアーの可愛いい娘になっていた。身体は小さい方だが、肝っ玉は太い。
簡単に、兄貴の言うとおりになってたまるか、と思っているらしい。
 昨年、父親は亡くなった。病みがちだった母親の変わりに、中学二年生のとも子が獅子奮迅の大活躍した。その後、母の看病と店の手伝いをしながら、学校に通っている。気は強いが愛嬌はすごく良い。
 「いらっしゃい! 僕おつかい?」
 「うん、お酒ください」
 「何というお酒?」
 「わからない」
「よし! 僕ちょと待ってて」
 とも子は、子どもの家へ走っていった。当時は、電話がまだあまり普及してはいない。息を弾ませながら店に帰ってくると、○○酒の五合瓶を新聞紙にくるんだ。
 「はい、僕。気を付けて帰ってね」
 とも子は店の手伝いをするのが本当に好きな子であった。
 しかし、夢中になって店の手伝いをするのを見ると、勝さん機嫌が悪くなる。
 「俺が配達に出るときだけ、座って店番だけすれば良い」
 「良いじゃない! 好きでやってるんだから」
 「そんな時間があったら、勉強しろ」
 「教育ママみたいなこと言わないで。勉強は嫌いよ」
 「夜遅くまで図書館で借りてきた本を読んでるのをしってるぞ、勉強して高校へいけよ」
 最後には勝さん、懇願するのが常だった。
 「高校いかなくても本は読める」
 とも子は実に素っ気ない。
  
 「大将、相談があるんだが」
 初秋の涼しい風が吹き始めた頃。勝さん元気なく山田商店を訪れた。
もう、学生服はとっくにやめ、ナッパ服の上下である。髪は角刈り、二十歳の若者であるにもかかわらず、全く格好を気にする気配がない。高校時代から引き続き暴力ざたは止まらないようである。
 「おう、勝か! なんだい?」
 『にいちゃん』から『勝』に昇格したらしい。思えば最初は『坊主』であった。
 「とも子のことなんだ、どうしても高校に行かないといって、俺の話を聞かないんだ」
 「とも子ちゃん、良い娘さんになったな!」
 「あいつ成績も良いんだ。出来れば大学にも行かせたいんだ。だけど、中学を卒業したら店を手伝うといって聞かない。俺、家具を差し押さえられ、恐怖に震えているあいつの手をとって、外に飛び出したとき決心したんだ。絶対に此奴を幸せにしてやると。誰にも後ろ指さされず、立派な嫁さんにしてやると・・・・・・俺に遠慮なんかしやがって・・・・・・・」
 勝さんは、話しているうちに眼が潤んできた。そのうち、涙が握り絞めた手の甲にこぼれ落ちた。
 「おい、勝! それでいけ。店先や飯のとき、ちょこっと話すんじゃなく、
二人きりで向かい合って、今のように真剣に話してみろ、とも子ちゃん、絶対にお前の気持ちを分かってくれる・・・・・・・」

次ページへ小説の目次へトップページへ