17、学 校





 「とも子! 話しがあるんだが・・・・・・」
 勝さんは思い詰めたような顔をしている。
 「ん! なに・・・」
 とも子は軽く返事をした。
 「・・・・話しがあるんだ・・・・・」
 「だから、何だって言ってるでしょ!」
 酒ビンを整理する手を止め、早くいえと言わんばかりの眼つきで、勝さんを見た。
 「いや・・・ここでは、ちょっと・・・店を閉めたあとで・・・・」
 「店を閉めたら、晩ご飯の用意しなければならないでしょ! お母さんは具合が悪く寝ているんだから」
 とも子は小さい子どもに言って聞かせるような口調で話した。
 「・・・そのご飯のあとで・・・」
 勝さんは冷や汗をかいた。喧嘩では、どんなに危険な場面でも、かいたことのない冷や汗を。

 晩ご飯が終わった後、片付けも終わり、二階で寝ている母親を起こさないよう、台所の側の茶の間で二人は向かいあった。
 なかなか、勝さんは話し出さない。
 「それで、何の話し・・・?」
 シビレをきらした、とも子は勝さんを見つめながら口を開いた。
 勝さんは、とも子と視線を合わせられず、下を向いたまま、暫く気持ちを落ち着けた。
 やっと決心がついた勝さん、とも子に視線を合わせると、
 「とも子! 高校へ行って欲しいんだ!」
 「うん、いいよ」
 「え!・・・」
 勝さん、思わず絶句した。
 「いま・・なんて言った!・・・」
 「高校でしょ。ん、行こうと思う」
 とも子は、別にこだわる風は全然ない。
 勝さんは一瞬、ポカンと口を開けた。
 「行っちゃ、いけないの?」
 「と・・とんでもない・・・・」
 勝さん、とも子の手を取ると、握りしめた。目頭の奥が熱くなってきた。
 「痛いわよ! にいちゃん・・・にいちゃんの気持ちは、本当にありがたいわ!・・・私みんな分かっているの。にいちゃんが、どういう気持ちか。今までどういう気持ちで頑張ってきたか。ちゃんと話してくれて本当にありがとう
・・・・・・・」
 勝さんの眼から涙がにじんだ。身体全体がジーンと痺れてきた。
 涙が止まらなくなって、ポロポロこぼれた。
こんなに嬉しいことは、絶望に沈んでいるとき、山田の大将から優しい言葉を掛けられて以来である。
 『とも子は自分の気持ちを理解してくれていた。それに引き替え自分はどうだ、結局、自分の気持ちだけで・・・とも子の気持ちを本当に分かろうとしたことが、あっただろうか?・・・・』
 そう思うと、ますます涙が止まらない。

 「にいちゃん! 約束して欲しいことがある。私、絶対! 絶対にお金の掛からない公立高校に行く。だから、店番をしようが何をしようが、一切文句を言わないで・・・来春までの六ヶ月間、黙って見ていて欲しいの!」
 「言わない、言わない・・・何をしようが一切言わない・・・・」
 勝さん、感極まって声をあげて泣き出した。
 とも子は困ったような顔になった。
 たしょう気がとがめているのかもしれない。溜息とともに言葉が口をついてでた。
 「にいちゃん・・実はね・・・昨日、山田のおじさんに会ったの、そしたら店の奥に連れて行かれて、こんこんと話して聞かされた。にいちゃんが、どんな気持ちでいるか、私のことをどう思っているか、今までどうしてあんなに頑張れたか・・・・あの、ぶっきらぼうなおじさんが、しみじみと話すのよ! 私参っちゃった。ああ言われたら、いうこと聞くしかないじゃない・・・・」
 とも子の照れくささが言わせた言葉でもあったが、勝さん眼が点になった。
思考が断絶した。暫く、ただポカンと口を開けていた。

 「にいちゃん! 山田のおじさんに、何度も言ったでしょ! 『とも子を立派に嫁に出す。良い婿を探す。おじさん頼む』と、恥ずかしいたらありゃしない・・・もう、やめてよね!・・・・」
 とも子の言葉は、勝さんの右の耳から入り、左の耳から出ていくばかり、意識は他のことを考えている。
 『まったく、戦後生まれの現代っ子は・・・・・』
 勝さんが生まれたのは昭和十八年の戦前である。とも子は昭和二十三年生まれであった。

 四月一日、入学式の日である。とも子と勝さんはバス停で所在なげに、バスの来るのを待っていた。今朝まで揉めていた。
 「いやだから! 絶対やめてよね」
 「いいじゃないか、俺おまえの入学式に行くことにきめてるんだから」
 「勝手に決めないでよね、店はどうするのよ!」
 「一日休んでも、たいしたことないよ・・・・」
 何日間も同じ会話が繰り返された。結局のところ、今日のバス停の結果となった訳である。
 とも子は不機嫌である。
 「ネクタイぐらい、きちんと締めてよ!」
 新調した背広にネクタイ、どちらも勝さん初めての経験である。
 どうしても、さまにならない。無理もないが、ぎこちなく変なのである。
それで、益々とも子はイライラするのだ。

 「浅見君!」
 バスより先に浅見が来た。とも子は手を振りながら大声を出した。
 幼なじみの浅見も同じ高校に入学したのだ。さすがに浅見は男で、入学式に親が付いてくることはなかった。
 「とも子さん、勝さん、こんにちは」
 「オー、浅見。変な虫が付かないように、とも子を頼むぞ」
 「恥ずかしいこと、言わないでよ・・・」
 「勝さん、とも子さんなら絶対だいじょうぶだよ」
 「浅見君! それどういう意味・・・・・・」
 とも子は、ムっとした。
 「いや・・・あの・・・」
 とにかく一番強いのは、とも子である。
 浅見は優しくおとなしい子であるが、結構芯が強く、喧嘩も強い。
 しかし、同級生である、とも子は何の遠慮もなく人前であろうとも、平気で浅見を叱りつける。理由があるなし関係なく、理不尽な事を平気で言ってすましている。
 浅見も、とも子には全く頭があがらない。
 
 校門を三人並んでくぐった。どういう訳か、校門には桜の木が付き物というイメージがある。
 現に、この高校にもイメージにたがわず、立派に桜の木があり、さらに、おあつらえ向きなことに、桜の花びらなんぞが散っている。
 とも子が感動しているようすだ。勝さんと浅見は思わず顔を見合わせた。
 勝さんは、差し押さえにあって以来のとも子の成長が思い出されて、思わず胸が熱くなった。
 浅見も、女らしいとも子の姿を心地よく眺めている様子だ。
 「キヤー!」
 突然、叫び声をあげると同時に、とも子は浅見に抱きついた。
 浅見の胸に顔を埋め震えている。
 「・・・とも子さん! ど・どうした・・・・」
 ビックリした浅見は、とも子の両肩を掴むと、どもりながら尋ねた。
 「・・・け・毛虫・・・」
 事態を理解した浅見は、心の余裕を取り戻すと、とも子の眺めていたとおぼしき、桜に眼をやった。
 その時、初めて浅見は自らの置かれている立場に気づいた。入学式に向かう大勢の足がとまり、その視線は浅見に集中している。
 さらに、凄まじい刺すような視線が、勝さんの眼から浅見に突き刺さった。
 その眼は、あきらかに『なんで俺でなく、お前なんだ!・・お前と、とも子はどういう関係だ・・・』と言っているようである。
 浅見は恐怖の為に、膝から力がぬけ、次第に崩れていく自分を意識していった。・・・・・・・・・・・・・。

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