19、結 婚<2>





 「勝、お前いくつになった?」
 山田商店の事務所である。山田の大将は左手に番茶の入った湯飲みを持ち、
灰皿には吸いかけのタバコを置いている。タバコからは紫の煙が細く立ち上っていた。
 「え! 何で! 俺、二十三だけど」
 「そうか、お前が小銭を掴んで俺の店に来てから六年になるか・・・今の、とも子ちゃんと同じ歳だな! 早いもんだ」
 「そうか、とも子と同じ歳だったか・・・・」
 勝さん、感慨深げである。”あっ”と言う間の五年間であった。
 「来年、とも子ちゃん九州の短大に行く希望があるらしいじゃないか、とも子ちゃん気にしてるぞ、兄ちゃんの面倒をみられなくなると・・・・」
 「生意気なことを言うんじゃない! 全くあいつはときたら・・」
 勝さんは、多少嬉しげである。とも子は自分のことを心配していると思うと満更でもない。
しかし、此奴ならと期待していた浅見は高校二年になって直ぐ、父親の転勤で東京に行ってしまった。とも子と結婚させる事ができなかったのが悔やまれてならない。
「お前、結婚しないか?」
 「え! まだ早いよ」
 「良い娘がいるんだ! とも子ちゃんも安心するぞ、・・・まあ、とにかく見合いだけでもしてみろ。赤線に行くばかりが能じゃあないぞ!」
 「大将、赤線と結婚は別だよ、俺、結婚しても・・・・」
 勝さんは揚げ足を取ったような形ではあるが、多少まともなことを言った。吉田酒店も彼の努力により完全に軌道に乗っている。そうすると今度は人手が足りなくなった。とも子が九州の短大に行けば、今のような手伝いも出来なくなる。手伝いと言う訳ではないが、現実的な問題として結婚が持ち上がるのも無理はない。
 「まあ良いから、俺の言うことを聞け! 室津の漁協に勤めている娘だ、父親が俺の知人で漁師をしている。年はお前より一才したの二十二歳、気だてが良くて、綺麗だぞ。本音を言えば俺が貰いたいぐらいだ」 
 「へー、綺麗か・・・・」
 勝さん、満更でもなさそうである。
 「きれい、きれい、無茶苦茶きれいだ! 漁協じゃ経理の仕事をしている。
お前の店じゃ持ってこいだろうが」
 「そうか、仕事にも役立つなら・・・そういうことなら見合いだけはしてみようか・・・・」
 言葉とは裏腹に、勝さんの頭の中はただ『きれい、キレイ、綺麗』が渦巻い
ている。

 「兄ちゃん、山田のおじさんが言っていたけど、綺麗な人らしいね?」
 場所は市内のホテルのロビー。今日は勝さんのお見合いである。レストランで会食する事になっているが、少し早く着いたので、勝さんと、とも子はコーヒーを、先ほど注文し飲んでいる。
 「あのな、仲人口と言う言葉があるごとく、話半分がいいところだ。山田の大将に進められ見合いだけはと渋々承知したんだ」
 勝さん、同じ言葉をとも子に言うのは何度目だろう。
 「でも、写真では随分綺麗だったじゃない?」
 冷やかし半分でとも子は言った。
 「あのな! 写真は何とでも修正が出来るんだ。実際会って見なくてわかるもんか!」
 勝さんは、むきになってとも子に言った。これ又、何回とも子に言ったことだろう。とも子は可笑しくなって笑い出すのを堪えるのに精一杯である。
 とも子は、紺色のスーツに白のブラウス、高校の制服を着ている。勝さんは一張羅の背広である。格好を付けてコーヒーを飲むが、どう見ても様にならない。此の調子では、レストランの食事はどうなることやら。
 「おー! 来てたか」
 山田商店の夫婦がロビーにやってきた。
 「おじさん、おばさん、こんにちわ」
 とも子が愛想よく返事をした。勝さんは黙って頭を下げるだけだった。
 「とも子ちゃん、とっても可愛いよ!」
 山田のおばさんは、黒に金糸の入った留め袖を着ている。おじさんは借り着のモーニング姿であった。見合いする本人よりよほどめかし込んでいる。
 「少し早いから、俺たちもコーヒーを飲むか。道子、コーヒーを頼んでくれ」 山田のおばさんは、道子と言う。メガネを掛けた、少し小太りではあるが愛想のよい好人物にみえる。
 「勝、やけに早く来たんだなあ・・・・・」
 「大将、とんでもない! ほれ、此の通り時計が進んでいたんだ、ホテルに来て初めて気が付いた。 な! な! とも子・・・・」
 勝さんは、時計をしている左腕を突きだした。とおもうとあっと言う間に腕を引っ込めた。とも子は笑いを堪えるのに必死である。
 むろん、大将はすべてお見通しのようである。

 「紹介します、こちらは、吉田勝蔵君・・・・こちらは、野上初枝さん・・・・・」
 山田の大将が簡単に紹介した。事前にそれぞれ情報は伝わっているので、詳しい紹介は省かれた。
 野上家は両親と初枝の三人、吉田家は勝さんと、とも子の二人、それに山田夫婦の都合七人での会食である。
 フランス料理のフルコースを食べるのは、勝さんにとって初めてのことであった。昨日は夜遅くまで何度も何度も、とも子先生に指導を受けた。しかし、本番はひどく緊張するものである。
 体中が、ガチガチになった勝さんは眼を初枝に移した途端、視線が釘付けになり、口は半開きのまま固まった。
 『綺麗だ! 本当に綺麗だ! 写真なんて問題じゃない』勝さん一目惚れしてしまった。細くしなやかそうな髪にウエーブが掛けられ、うりざね顔に涼やかな瞳がある。和服の肩幅は狭く、身体全体からしとやかさが溢れていた。
 『え! こんなに素敵なひとだったの』
とも子はビックリすると同時に、あこがれを抱いたようだ。
 『勝にはもったいない・・・まだ俺でも・・・・・』
 と思っているらしく大将は、妻の道子の様子を横目で探った。
 初枝は末っ子である。野上家はもう二人、初枝の姉と兄がいる。姉は福岡に嫁ぎ、兄は東京で就職しており今日は同席していない。
 父親は漁師である。赤銅色の顔に節くれ立った指が眼に付く海の男であった。勝さんの顔をじっと見つめている。母親は気合いの入った元気そうな漁師の妻であった。父親は勝さんと同じく、身に付かないスーツを着、母親は和服だった。
 「勝蔵さん、お仕事大変なんでしょう? 頑張っておられると伺っていますが?」
 初枝の母親が少し気取った口調で口火を切った。
 「結構大変です。とくにヤクザを相手にするときは・・・・・」
 「え! ヤクザですか・・・」
 とも子はテーブルの下で勝さんの臑を蹴っ飛ばした。
 「いえ! ○○一家の総長さんに気に入られ、よく配達するんですが行くと必ず奥に通され、お茶とお菓子の接待があるんです。話し好きな総長さんで、長いときには半日も帰って来ないんです・・・・・」
 話し終わると、再びとも子は勝さんの臑を蹴っ飛ばした。
 「そうです、そのとうりです」
 勝さんは頭が混乱し、とも子を頼りにするしかなかった。
 『それにしても、何てステキなんだ!初枝さん・・・』
 「初枝さん、習い事は色々なさっていると伺ってますが?」
 山田のおばさんが、話題を変え初枝に発言を促した。勝さんは耳をそばだてた。初枝が初めて声を出すのだ。
 「いえ、華道、茶道もしたことがあるという程度です。続けているのは書道だけです」
 恥ずかしそうに俯いて答えた。細く情を含んだ、しとやかな声であった。
 『ああ! 初枝さん』
 もう、勝さんは完全に痴呆状態である。
 
 「勝蔵さん」
 初枝の父親が突然、勝さんに話しかけた。
 「あんた、なかなか良い身体をしているが何か鍛えているんですか?」
 「はい! 空手をやっています」
 「ほー、山田の社長には聞いていたが、それで喧嘩が強いんだね。実は今日の見合いの話しを漁師仲間にしたところ、乱暴者の若い衆が「関の勝」と君のことを知ってたんだ・・・・・・」
 少し雲行きがあやしくなりかけた。
 「空手をやっているから強いんじゃありません。元々喧嘩は強いんです、まず負ける気がしません」
 見合い相手の、父親に対する返答としては、少しまずいと、とも子は感じ助け船を出した。
 「兄は、強いけれども乱暴者ではありません。正義感が強く弱い者がいじめられていると黙っていられないんです。だから女性には本当に優しいんです。そうでしょう! お兄ちゃん!」
 「そうです、そうです、その通りです。なんでも、かんでも、とも子の言う通りです・・・・・」
 女性に優しいんでは無く、弱いのである。
「は・・初枝さんは喧嘩強いですか・・・」
 勝さんの初枝に対する最初の言葉がこれである。またもや、とも子に臑を蹴っ飛ばされた。あとで、青い痣になるのは間違いない。
 「えー!・・・・・」
 初枝は困惑の表情を浮かべた。
 山田の大将は勝さんの頭をひっぱたいた。その煽りでテーブルの上のビール瓶が倒れ、テーブルは水浸しになった。ウエーターが飛んで来たときはすでに遅く、あわてて立ち上がった勝さんは腹部をテーブルの縁にぶっつけた。勢いのあまり、テーブルはひっくり返り、皆はボーゼンとなり時間が止まった。

次ページへ小説の目次へトップページへ