突然、一気に話しは飛ぶ。
勝さんと初枝は結婚した。紆余曲折を繰り返しながら、勝さんは結婚にまで何とか、漕ぎ着けた訳である。とにかく極端な一目惚れであった。
勝さんは、仕事は手に付かず、配達はうわの空、毎日山田商店に通い大将と女将さんに、頭を下げ哀願を繰り返すのだった。
野上家のほうでも、最初はあまりの出来事に呆れてしまったが、時が経つにつれ、勝さんの純情、朴訥なところに好感を抱くようになった。特に海の男の父親がそうであった。
「うん、・・あれは良い男だ・・だけど多少問題がある・・・」
多少どころではない、大いに問題はある。
肝心の初枝は、自分に気持ちに戸惑いを感じていた。初枝は村でも評判の小町娘である、交際を申し込まれたり、言い寄られたりした経験は何度もある。
相手が、本気であればあるほど、自分の気持ちが引いてしまうのが常であった。 しかし、今回は少し違った。勝さんのひっきりなしの行動に、だんだん取り込まれて行くように感じるのだ。一日に何度も勝さんのことを思う日が続いた。 何のことはない。要は初枝も一目惚れだったのだ。
「親分、俺、結婚することになった」
○○一家、本部の応接室で勝さんは総長と雑談をしている。酒の配達のあと
応接室に招かれたのだ、いつものことである。総長は勝さんと話しがしたくなると、酒の注文をするのだった。
「おー、・・そうか、それはよかった。あいてはどんな娘だ?」
「室津の漁師の娘で、漁協に勤めている」
「良い娘か? 美人か?」
「良い良い、絶対いい。それに美人だ!」
「おぼこか?」
「たぶん・・・・」
「よーし、分かった。仲人は俺がする」
「ちょっとまって親分! 仲人は決まっているんだ」
「なに! どこのどいつだ・・・」
「山田の大将だよ」
「んーん、あの大将じゃ、仕方ないか!」
堅気の結婚式に、武戦派で鳴らした親分が仲人もないもんだと考えるのが普通であるが、そんな配慮をしないところも、逆に此の親分の魅力の一部である。
後日談だが、結婚式での新郎側の主賓の席はゆずらず、紋付き袴ででんと構え、貫禄は周囲を圧していた。
「えー、只今、ご紹介にあずかりました、○○一家の××です。ハッキリ申しまして、私はヤクザであります。御天道様に背を向けて、世間の裏街道を歩むものであります。こんな晴れがましい席で祝辞を述べるなど、とんでもないことであるのは、重々承知の上です・・・・・・」
総長の祝辞が始まった。さすがに、会場までには護衛も付いてはいない。しかし、会場の入り口に三名、建物の入り口みは五名の明らかにその筋の人間とわかる屈強な男が控えていた。
駐車場には、三台の黒塗りの巨大なアメ車が他を圧していた。
そういう訳で、披露宴はある種の緊張感に包まれている。
「・・・しかしながら、今日は敢えて、無理矢理頼み込んで主賓の席に座らせて戴きました。もし不調法なことでもしでかした場合は、指、いや、利き腕一本差し上げる覚悟はいたしております・・・」
物騒なことこのうえもない。座はシーンと静まっている。有る者はひたすら俯いて料理を見ている。また有る者は、新郎新婦を見ている。誰一人として、総長に視線を向けていない。しかし、全員が耳をそばだて、総長の話に聞き入っている。
「新郎と私の関係は、友人です。業界用語の兄弟、舎弟の関係では断じてありません。歳は四十も違いますが、心の通った親友であります。思えば六年前、
家の若い者と勝が、歓楽街で大喧嘩をしでかしたのが、そもそもの始まりでした。力、度胸、覚悟とヤクザにもってこいでした。清水の次郎長、大前田の英五郎に匹敵する歴史にのこる大親分になる資質を見抜き、私も随分誘ったのですが、決して首を縦には振りませんでした。ただひたすら『吉田酒店を立て直す! とも子を嫁にやる!』と、うわごとのように、ほざいておりました。皆さん、十八、九のガキがですよ・・・そのあまりの必死さに、中途半端な同情は出来ませんでした。私が一寸手を貸せば、酒屋の建て直しなど造作もないことです。しかし、私には陰ながら応援することしか出来ませんでした。今、仲人席に座っておられる、山田の大将も私と同じ気持ちだった筈です・・・・・・・・・」
とも子はハンカチで目頭を押さえた。山田の大将の眼も潤んできた。方々ですすり泣きの声が漏れだした。
新郎新婦も俯いたままであった。
「ヤクザは任侠道と言うものの、きれい事ではありません。汚い事この上もない稼業です。ハッキリ言って、シロウトの旦那衆と女をくいものにするのが、シノギ、すなわち商売です。であるからなおさら、純なものに強く憧れる性癖ももっています。なるのではなく、憧れるのです。勝のフアンはまず、赤線の売春婦の間に広がりました。世間に蔑まれ、身を売り、泥沼に喘いでいる売春婦に応援される男。これは本物です・・・・・・」
結婚式の披露宴の祝辞としては、かなりきわどい話しではある。少し間違えれば利き腕が無くなるところを危うく綱渡りしている状況である。それだけに緊迫感は聴衆の胸を打つ。
言葉の通り、表にまず出す事はないが、総長自体が強く純なものに憧れている。出入り、斬った張ったの修羅場より、今日の祝辞は遙かに命を賭けている。
彼の人生の一大事でもあった。
「初枝さん、勝とはこんな男です。父親はすでに亡く、母親は入院中で此の席にも出席しておりません。一所懸命突っ張って生きてきた男です。それが、初枝さんと出会い、メロメロの腑抜けになってしまいました。それも中途半端ではありませんでした・・・・・・・・・・・・」
総長の話しは、十分以上も続いた。その間、咳払い一つする者もなく、全員が話しに聞き入った。総長の話しが終わった時、その場にいた全員は感動に打ち震え、暫くは静寂が座を支配した。
しかし、隅のほうで小さな拍手が起こると、一瞬に会場全体に広がった。会場は沸き上がり、全員が立ち上がると、力の限り拍手した。席から飛び出し総長に握手を求める者が列をなした。
「いらっしゃいませ!」
初枝の優しい声が店内に響くようになった。
勝さんは結婚すると、念願の「角ウチ」を始めた。ゲンさん、学者など以前からの友達と忌憚無く話すのが目的であったが、初枝と話しがしたいために訪れる客も多かった。
身体も華奢で、引っ込み思案な初枝を守るのは、常連の役目であった。
「やめろ! 出て行け!」
酔っ払い、初枝に絡み、からかう客が来ると、ゲンさん、学者、マツがその腕力にものをいわせ、外に放り出すのだ。もっとも勝さんがいるときはその役目は勝さんのものである。
声も細く、相手の眼もまともに見て話せない初枝は、皆のアイドルの様な存在であった。とも子は初枝を姉として以上に憧れ、慕っていた。
勝さんも大事にすること甚だしい。夜の方は、度の過ぎるほど毎晩のように愛し、いたわった。
長男の生まれたのは、結婚して二年目のことであった。
その日も、いつものように子どもを寝かしつけて、初枝は「角ウチ」のカウンターの中で、伝票の整理をおこなっていた。
「今日は、大洋対国鉄戦だな」
「国鉄のピッチヤーは金田だろうな?」
「近藤和が打ち崩すよ」
他愛のない野球の話しであった。
客は三人いた、ゲンさんと学者もいた。勝さんは配達にいっている。
そこに、二人の柄の悪い男が入ってきた。
「お! しけた所にしては、いい女が入るじゃないか。姉ちゃんビール・・・・・・」
初枝はビールを二本とグラスをテーブルの上に置いた。
「おい、おい、愛想がないなー、色っぽく注いだらどうだ?」
ニヤニヤ笑いながら一人が言うと、もう一人が、
「やさしくしてよね! そしたら、腰が抜けるほどやさしく可愛がってあげるから・・・・・・」
ゲンさんと学者が目配せをした。外に摘み出そうと言う合図であった。
その時、男が手を延ばし初枝の二の腕に触った。
突然、あまりに突然、初枝がテーブルを両手で思いっ切り叩いた。
「ふざけんじゃないよ! あたしを舐めるつもりかえ!」
ゲンさんと学者は茫然とした。とても初枝の声とは思えない大声だった。
『ガチャーン!』大きな音がすると同時に、彼らは見た。砕いたビール瓶を右手に振り上げ、猛り狂った魔女の姿を。
そのままカウンターの外に出てきたからたまらない。二人の男は肝っ玉を潰してしまった。
「あう!あう!・・」
口を開けたまま言葉にならない。
砕いたビール瓶を相手に突きつけ、厳かに言い渡した。
「ビール代と、店を片づける費用を置いて出て行け!」
学者とゲンさんも唖然としてしまった。全く信じられない光景が繰り広げられたのだ。彼らにといっては、チャカを片手にヤクザがなぐり込んで来た方がよほど現実味があった・・・・・・
その日以来、『初枝』は『ハツエ』となった。
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