24、生 き る (4)





 「おい、腕時計かよー・・中学生が時計していいのか?・・心配すんな、先公には黙っといてやる。お前、金持ちなんだなー・・」 
 洋一は中学二年生になっていた。
午後の港には人影もまばらである。時々少年が釣りにやって来て、停泊している漁船の陰で釣り糸をたれる。
 洋一は時々港へやって来ては、恐喝という、アルバイトをする。
 決して、遊びの為の金ほしさが目的ではない。生活の為のやむを得ない行為だと自分では思っている。
 先ほど『かも』を見つけて、倉庫の裏に引きずり込んだところである。
 「家に帰りたいんだが、バス賃がないんだ。悪いけど貸してくれないか・・・・・?」
 「ぼ・・ぼく、金もっていません ・・・」
 「嘘は良くないぞ。もし、身体検査して有ったらどうする? 只じゃ済まないぐらい分かるよな・・持ってる金、全部だしてみな・・貸してくれといってるだけだから、必ず返すから・・・・」

 洋一は身体は決して大きい方ではないが、敏捷そうな筋肉と、鋭い眼をもち、身体全体から危険な雰囲気を漂わせたいた。金持ちのぼんぼんふうの中学生は怖ず怖ずとポケットから金を取り出した。手には二十五円の硬貨が握られていた。結構な大金である。
 してやったり、さすがは腕時計をしている中学生だと洋一は内心、満足感を覚えた。
 「これだけだな! 他にあったら承知しないぞ」
 「これだけで、全部です・・・」
 ぼんぼんは、ヘビにに睨まれた蛙のように完全に洋一に呑まれたいるように見えた。
 「二十円だけ借りておく・・今度返すからな・・いいな・・」
 「うん・・」
 「よーし・・行ってもいいぞ・・」
 解き放された囚人のように、ぼんぼんは歩いて姿を消した。
洋一はほくそ笑んだ、二十円は良い収穫であるといえる。

 洋一は中学に入る少し前にこのアルバイトを始めた。母親の麗子には新聞配達で貰う金と一緒に、給料日に併せて渡すことにしている。毎月の給料より、恐喝のアルバイト料の方が多かった。
 元々身体の強くなかった麗子は、ここのところさらに弱り、青空市場で魚を売る仕事も休みがちになったいた。歳も四十に手が届きそうになっていた。

 「お帰り・・・」
 弱く細い声だった。
 しかし、優しい愛情に溢れている麗子の声である。
 床にこそ伏している訳では無いが、洋一がドアを開けた時は、枕を当て横になっていた。
 「そろそろ、夕食の用意をしなくっちゃね・・・」
 「休んでおけよ。俺がするから」
 洋一はぶっきらぼうにそう言うと、米櫃を覗いた。まだ、一週間分は有りそうだ。二合ほど容器に取り、共同炊事場に向かう。
 「洋ちゃん! かしな・・あたしがやってあげるよ」
 武田のおばちゃんは、そう言うと洋一から米をとり、釜に入れるととぎ始めた。五十過ぎの威勢のいいおばさんである。
 「おばちゃん悪いね・・」
 「なに言ってんだよ・・お互い様さ・・ところで、お母さんあまり具合良くないようだね・・医者行ってるのかい・・?」
 「医者、行くほどじゃないと言うんだ。単に疲れが溜まっただけだといって聞かないんだ」
 「医者も金かかるからね・・・洋ちゃん、七輪に火をつけな。市場で貰った
鰯がたくさんあるから、あげるよ・・・気にすること無いからね。お母さんにはよく魚もらってたんだから・・・」
 洋一は、ちぎった新聞紙をまるめ、七輪に入れると、その上に消し炭をのせマッチで火を着けた。
うちわで扇ぐと、火は真っ赤におこった。
 「援護館もだんだん寂しくなるね・・・人が次々に出ていってさ・・・洋ちゃん、覚えているかい? 昔は賑やかだったよね。此の炊事場も人があふれてさ・・・」
 元気のいい武田のおばちゃんが寂しそうに呟いた。
 鰯を焼いている煙が眼に入り、洋一は少し涙ぐんだ。

  洋一の中学二年の夏休みは、図書館、新聞配達、そして恐喝のアルバイトで費やされた。
 彼は本を読むのが好きだった。夏休み期間中、毎日のように昭和初期に建てられた市立図書館に通った。読む本は伝記、旅行記などのノンフィクション系統に嗜好がある。
 本の世界に入り込むと二時間でも三時間でも入りっぱなしになる。それは、豹のような眼をして、何時も獲物を狙っている、彼の風貌からはとても想像出来ないものであった。

 九月の新学期が始まった。
 「おい、洋一・・・助っ人を頼めないか?・・たのむよ・・」
 通学路で声を掛けてきたのは、伸治だった。学生服の前をはだけて、やけに幅広のズボンを履いている。何処から見ても不良だ。
「何だよ、又か・・いつ、何時だ」
 「今日・・五時」
 「相手は?」
 「明正中学のゲンだ・・・」
 伸治は身体も大きく、喧嘩がなにより好きな男であるが、洋一には一目置いている。それもそのはず、中学へ入学そうそう洋一に喧嘩を売り、こっぴどいめに遭わされていたのだ。
 「それで、相手は何人だ?」
 「うーん・・一人・・」
 「じゃ、お前一人で行けよ」
 伸治は大きな身体を小さくすると、なさけない顔をして、
 「でも、明正のゲンだぞ、・・・立ち会ってくれるだけで良いからさ・・」

 授業が終わったのは四時であった。クラブ活動をしていない洋一は、教室の掃除もせずに、そのまま校門を出た。
 「洋一・・・頼むよ・・」
 伸治が校門の外で待ちかまえていた。
 「なー・・頼むよ・・相手は明正のゲンだぞ・・」
 伸治は洋一の腕を掴んで離さない。
 明正のゲンという名は、中学生の不良連中の間では、ちょっと知られた名であった。洋一にとっても、多少興味の湧く男ではある。
 「分かったよ伸治。ただ立ち会うだけだぞ、相手が一人じゃ無い場合は助っ人するが、そうじゃ無ければいっさい手はださない。それでいいか?」
 「いい、それでいい・・・」
 「名を挙げたいのも解るが、無理は怪我のもとだぞ。始める前からそれじゃーなー・・・」

 決闘の場所は、『練兵場』であった。
旧帝国陸軍の練兵場のあとが、茫々とススキの生えた広い野原になっている。
 この広場の一部を使って、草競馬が時に開催されることがあった。
 その『練兵場』の中に数本の銀杏の木が生えているところがある。そこに向かって、二人が歩いていくと、男が一人、先に来て待っていた。
 上背は伸治より低いが、岩のようにガッシリした身体である。伸治のように、九月の初めに、格好を付けて詰め襟の学生服を着ることもなく、ごく普通の白い半袖シャツを着ていた。
 男は帽子を投げ捨てると、戦闘態勢になり呟いた。
 「二人か・・?」
 「いや、俺は立会人だ。手は出さない」
 「二人でも、別にかまわん」
 そう言うとゲンはニタリと笑った。
 伸治の顔色は緊張で真っ青になっている。
 洋一は、戦うまでもない伸治の負けであると思った。 

「いつでもこい!」
 ゲンは不適に声をかけた。
 「なにおー!」
戦う二人は、ジリジリ間合いをつめた。
 暫くどちらも攻撃をしかけることなく、睨み合ったまま動かなくなった。
 伸治の額から汗がにじみ出してきている。
 仕掛けたのは伸治であった。
 「イエー!」形相も凄まじく、ゲンの左のこめかみに殴りかかった。
 ゲンは、引くこともなく、手で交わしもせず、そのまま一歩踏み込むと、カウンターぎみに、顔面に頭突きをかました。
 ものの見事に決まり、伸治はその場に崩れ落ちた。一瞬で勝負は決した。
 伸治の負けである。彼は完全に戦闘意欲を失ってしまったのだ。

ゲンは洋一を睨んだ。
 洋一もゲンを睨み返した。
 暫く睨み合っていた。お互いに実力は変わらないと思ったようだ。双方、戦う意志のないことを確認するとゲンは、
 「おまえが、援護館の伏見か・・?」
 「ああ、そうだ。明正のゲンさんよ」
 「そのうち、やる羽目になるか・・?」
 「いや、そうはならんだろう。俺は得にならない喧嘩は、しないことにしている」
 思えばこれが、ゲンさんと、学者の初対面であった。



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