春の山陰海岸は、響灘から吹く風もやわらぎ、穏やかな日よりである。
室津海岸の遠浅の海は、引き潮のせいか、遙か沖まで砂浜が続き、波打ち際は見えない。
防波堤に二人の男が腰を掛け何か話し込んでいる。
「政夫、いいか、男は磨かなければクズだ。お前は磨いているか?」
健は、政夫に説教しているようである。
「オッス、磨いちょります」
「なにをやってだ?」
「えーと、喧嘩。それと、スピードに命を懸けての爆走・・・・・」
リーゼントに鉢巻きの頭を、ボリボリ掻きながら、政夫は答えた。
怖い物なしと、うそぶく政夫ではあるが、吉田酒店に集まる人間には手も足も出ない。
「おい、政夫、立ってみて見ろ」
健は防波堤に立ち上がり、浜を指さした。
政夫は仕方ないとばかりに、グズグズと立ち上がった。
「お前、何も解っちゃおらん。この広い海原を見て何にも感じないか。磯の香りに胸がときめかないか。悠久な時の流れを感じないか。いにしえの昔、朝鮮半島より、新たな希望の土地を、夢見た数家族が、この海岸に一歩をふみだした。弥生時代の始まりであった・・・・・」
健が、こんなクサイ話しをするときは、必ず裏がある。
単純にいえば、「詐欺師、健ちゃん」の出動というところであろう。
「おれ、頭悪いから、健兄いの云うこと半分も解らない」
「バカヤロー、男を磨けと云ったろーが!」
健は、政夫の頭をひっぱたいた。
「いてー!」
「男の美学は、我慢だ」
健は、支離滅裂なことを云いながら、政夫を、おちょくっている。
「いいか、俺はここを舞台に、偉大な絵を画く、お前もその同志にしてやろうというのだ。ありがたいことだぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
政夫は健の顔色を伺いながら返事をした。
また、手が飛んできては、堪ったもんではないと、首をすくめながら。
「あそこで、堤防が切ってある。浜に出入りする場所だ。側にある、小さなテントのなかで、切符を売っている。入り口のところで入漁場の切符を渡す仕組みだ。政夫! 今、浜に出ている潮干狩りの人間は何人いるとおもう?」
眩しいのか、政夫は手を額にかざして、遠浅に干上がった浜を見つめた。
芥子粒ほどの、黒い点が浜に散らばっていた。
「二千人ってとこですかね?」
「まあ、いい線だろう。休日ならば、この数倍だろう。五月初めのゴールデンウイークは、さらなる人出が期待できる」
「あッ、わかった。健兄い、切符売り場を襲って、金にしようと・・・・・」
終わりまで、云う暇もなく、政夫はぶっ飛ばされた。
「お前は、ほんとうにバカだ! 俺が性根を叩き直してやる」
政夫は、ほんの冗談のつもりだったのだ。
しかし、健の剣幕に驚き、倒れた姿勢のまま、ジリジリ後すざりをした。
「いいか、一万人で、一人あたり二百円の入漁料、全部戴いたとしても二百万円、そんなもので、強盗? 割が合うわけ、ないじゃないか!」
政夫の予想とは、まったく違ったことを健は言い出した。
(やっぱり、健さん、堅気になったというのは嘘か? このままだと、俺も懲役に行くことに・・・・・?)
「いいか、政夫。一万人の人間に二千円づつ、払わせる算段をするんだ。合法的にだ」
「合法的ですか!」
政夫は、ホッとした。
(刑務所の塀が、少しだけ遠のいた)
「健さん、俺にはむりだよ、とてもそんな考えは浮かんでこない」
「政夫、絵を描くのは俺がする。お前は、手足になればいいんだ。良い経験をさせてやるよ。お前は知らないだろうが、昔の偉い人が、云ったんだ。価値は、投下労働量に等しいとな」
政夫は、健の云うことが皆目わからない。
ただ、解っているのは、逆らうことが出来ない、ということだけだ。
「お前の配下、十四〜五人借りるぞ」
「わかりました。そっちの方ならまかして下さい」
政夫は、座り込んだまま返事をした。下手に立ち上がって、また殴られてはたまらない。
「おーい!」
防波堤の近くの駐車場(単なる空き地)に車が止まった。
男が降りると、二人のところに手を振りながら駆け寄ってきた。
臆面もなく、そんな格好で走るのはゲンさんに決まっている。
「よー、健ちゃん。政夫も一緒か」
「ゲンさん、どうしたんだよ?」
「お前の家にいったんだ。そしたら、お前のかあちゃんが、室津にいったと言うから、ここだと、思ったんだ。それにしても、お前のかあちゃん、色っぽいな! やっぱりシャベルカーだろ?」
相変わらず、ゲンさんの言うことは支離滅裂だ。
頭の中もそうに違いない。
「ゲンさん、勝さんにぶっ飛ばされたろうが。まさか、勝さんに逆らうわけじゃないだろ?」
「とッ、とんでもない。逆らうなんて出来るもんか」
腕っ節なら自慢のゲンさんだが、勝さんだけには頭が上がらない。
ゲンさんの人物判断は、腕っ節の強さにある。
よって、勝さんのことは、畏怖すると同時に、心より尊敬している。
単純といえば、これほど単純なことはない。
「じゃー、シャベルカーのことなんか、云うなよ」
「わかった、わかったよ健ちゃん。二度と云わない」
政夫が不思議そうな顔をして、立ち上がった。
「シャベルカーって、なんですか?」
いい終わると同時に、ゲンさんのパンチと、健の蹴りが飛んできた。
政夫は、顔と腹を押さえ、その場に崩れた。
「ゲンさん、もっといいこと考えたんだ。まだ細かいことは決めてないが・・・・・手伝ってよ」
「おい、もったいぶらず教えろよ、まさかここで、やきそば屋をするのか?」
「うん! 悪くはないが、発想があまりにも貧困だよ。いいか、ここで潮干狩りする人たち、何が一番困ると思う? トイレ、手と身体を洗うこと、食事場所、考えてもみろよ、実際、弁当持ってきても喰う場所にこまるだろ」
健はいったい、何をするつもりだろう。
喋りだしたら止まらないのが、健の美徳である?
「交通アクセス、これも重要だ。JRの駅からここまで、不便なことこの上もない。駐車場だって何だ。ただ広場があるだけじゃないか」
「けど、健ちゃん。ここ、人が来るのは潮干狩りのシーズンの一ヶ月だけだろ。駐車場の整備をするわけには、いかないよ」
「整備なんかはしないさ・・・・・。なんといっても、潮干狩りの醍醐味は、自然と戯れることにあるんだ。そして、子どもから、老人まで一緒に楽しめるんだ、そこんとこを忘れちゃならない」
その時、健の話しを折るように、ゲンさんが云った。
「おッ、おい健ちゃん、あのでかい箱を肩に提げて、うろうろしてるの、ハツエさんの従兄弟の、シンペイさんじゃないか?」
「えッ、ああ、たしかに、シンペイさんだ」
「おーい! シンペイさーん」
ゲンさんは大声を張り上げた。
臆面もなく、大声を出して、はばからないのはゲンさんならではだ。
声が聞こえたらしい。
ぼさぼさ頭に、ちょび髭なんぞを蓄えた、中年男が振り向いた。
長い白衣で隠してはいるが、かなり腹も出ている。
ゆっくり、三人のほうへ歩いてきた。
「よー、あんたら、なにしてんだ? ハツエから聞いたよ、ゲンさん、シャベルカーで、潮干狩りするんだって? ばっかだなー、実際シロウトは困ったもんだよ」
「ハツエさんも、おしゃべりだなー、冗談、冗談だよ」
ゲンさんは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
シンペイさんは、貝の養殖に骨身を削り、研究一途の水産試験所の職員である。
いかに、無神経を誇るゲンさんでも、申し訳ないと、おもわずにはいられなかった。
「ゲンさん、アサリを一網打尽にするには、シャベルカーなぞ、たいそうなものはいらないよ。洗剤があれば十分だ」
「えっ、洗剤?」
健は思わず疑問を呈した。
「健ちゃん、潮が引いた砂のうえに、洗剤、なんでもいい、例えば洗濯用の洗剤をぶちまけるんだ、貝のやつら、苦しくなって砂の上に出てくる。ほんとうに、ごろごろ出て来るぞ、気持ちが悪いくらいに」
「シ、シンペイさん、あんた実際にやったのか?」
「うん、ときにやるよ、女房は大喜びだ、ハッハハハハ・・・・・」
健は、心底驚いた。
(貝の養殖一途の研究員? 違う、絶対に違う。ヤクザか密漁業者だ!)
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