二十九、潮干狩り(二)





春の山陰海岸は、響灘から吹く風もやわらぎ、穏やかな日よりである。
 室津海岸の遠浅の海は、引き潮のせいか、遙か沖まで砂浜が続き、波打ち際は見えない。
 防波堤に二人の男が腰を掛け何か話し込んでいる。
 「政夫、いいか、男は磨かなければクズだ。お前は磨いているか?」
 健は、政夫に説教しているようである。
 「オッス、磨いちょります」
 「なにをやってだ?」
 「えーと、喧嘩。それと、スピードに命を懸けての爆走・・・・・」
 リーゼントに鉢巻きの頭を、ボリボリ掻きながら、政夫は答えた。
 怖い物なしと、うそぶく政夫ではあるが、吉田酒店に集まる人間には手も足も出ない。

 「おい、政夫、立ってみて見ろ」
 健は防波堤に立ち上がり、浜を指さした。
 政夫は仕方ないとばかりに、グズグズと立ち上がった。
 「お前、何も解っちゃおらん。この広い海原を見て何にも感じないか。磯の香りに胸がときめかないか。悠久な時の流れを感じないか。いにしえの昔、朝鮮半島より、新たな希望の土地を、夢見た数家族が、この海岸に一歩をふみだした。弥生時代の始まりであった・・・・・」
 健が、こんなクサイ話しをするときは、必ず裏がある。
 単純にいえば、「詐欺師、健ちゃん」の出動というところであろう。
 「おれ、頭悪いから、健兄いの云うこと半分も解らない」
 「バカヤロー、男を磨けと云ったろーが!」
 健は、政夫の頭をひっぱたいた。
 「いてー!」
 「男の美学は、我慢だ」
 健は、支離滅裂なことを云いながら、政夫を、おちょくっている。
 「いいか、俺はここを舞台に、偉大な絵を画く、お前もその同志にしてやろうというのだ。ありがたいことだぞ」
 「あ、ありがとう、ございます」
 政夫は健の顔色を伺いながら返事をした。
 また、手が飛んできては、堪ったもんではないと、首をすくめながら。

 「あそこで、堤防が切ってある。浜に出入りする場所だ。側にある、小さなテントのなかで、切符を売っている。入り口のところで入漁場の切符を渡す仕組みだ。政夫! 今、浜に出ている潮干狩りの人間は何人いるとおもう?」
 眩しいのか、政夫は手を額にかざして、遠浅に干上がった浜を見つめた。
 芥子粒ほどの、黒い点が浜に散らばっていた。
 「二千人ってとこですかね?」
 「まあ、いい線だろう。休日ならば、この数倍だろう。五月初めのゴールデンウイークは、さらなる人出が期待できる」
 「あッ、わかった。健兄い、切符売り場を襲って、金にしようと・・・・・」
 終わりまで、云う暇もなく、政夫はぶっ飛ばされた。
 「お前は、ほんとうにバカだ! 俺が性根を叩き直してやる」
 政夫は、ほんの冗談のつもりだったのだ。
しかし、健の剣幕に驚き、倒れた姿勢のまま、ジリジリ後すざりをした。
 「いいか、一万人で、一人あたり二百円の入漁料、全部戴いたとしても二百万円、そんなもので、強盗? 割が合うわけ、ないじゃないか!」
 政夫の予想とは、まったく違ったことを健は言い出した。
 (やっぱり、健さん、堅気になったというのは嘘か? このままだと、俺も懲役に行くことに・・・・・?)

 「いいか、政夫。一万人の人間に二千円づつ、払わせる算段をするんだ。合法的にだ」
 「合法的ですか!」
 政夫は、ホッとした。
 (刑務所の塀が、少しだけ遠のいた)
 「健さん、俺にはむりだよ、とてもそんな考えは浮かんでこない」
 「政夫、絵を描くのは俺がする。お前は、手足になればいいんだ。良い経験をさせてやるよ。お前は知らないだろうが、昔の偉い人が、云ったんだ。価値は、投下労働量に等しいとな」
 政夫は、健の云うことが皆目わからない。
 ただ、解っているのは、逆らうことが出来ない、ということだけだ。
「お前の配下、十四〜五人借りるぞ」
 「わかりました。そっちの方ならまかして下さい」
 政夫は、座り込んだまま返事をした。下手に立ち上がって、また殴られてはたまらない。

 「おーい!」
 防波堤の近くの駐車場(単なる空き地)に車が止まった。
 男が降りると、二人のところに手を振りながら駆け寄ってきた。
 臆面もなく、そんな格好で走るのはゲンさんに決まっている。
 「よー、健ちゃん。政夫も一緒か」
 「ゲンさん、どうしたんだよ?」
「お前の家にいったんだ。そしたら、お前のかあちゃんが、室津にいったと言うから、ここだと、思ったんだ。それにしても、お前のかあちゃん、色っぽいな! やっぱりシャベルカーだろ?」
 相変わらず、ゲンさんの言うことは支離滅裂だ。
 頭の中もそうに違いない。
「ゲンさん、勝さんにぶっ飛ばされたろうが。まさか、勝さんに逆らうわけじゃないだろ?」
 「とッ、とんでもない。逆らうなんて出来るもんか」
 腕っ節なら自慢のゲンさんだが、勝さんだけには頭が上がらない。
 ゲンさんの人物判断は、腕っ節の強さにある。
 よって、勝さんのことは、畏怖すると同時に、心より尊敬している。
 単純といえば、これほど単純なことはない。
 「じゃー、シャベルカーのことなんか、云うなよ」
 「わかった、わかったよ健ちゃん。二度と云わない」
 政夫が不思議そうな顔をして、立ち上がった。
「シャベルカーって、なんですか?」
 いい終わると同時に、ゲンさんのパンチと、健の蹴りが飛んできた。
政夫は、顔と腹を押さえ、その場に崩れた。

 「ゲンさん、もっといいこと考えたんだ。まだ細かいことは決めてないが・・・・・手伝ってよ」
 「おい、もったいぶらず教えろよ、まさかここで、やきそば屋をするのか?」
 「うん! 悪くはないが、発想があまりにも貧困だよ。いいか、ここで潮干狩りする人たち、何が一番困ると思う? トイレ、手と身体を洗うこと、食事場所、考えてもみろよ、実際、弁当持ってきても喰う場所にこまるだろ」  
 健はいったい、何をするつもりだろう。
 喋りだしたら止まらないのが、健の美徳である?
 「交通アクセス、これも重要だ。JRの駅からここまで、不便なことこの上もない。駐車場だって何だ。ただ広場があるだけじゃないか」
 「けど、健ちゃん。ここ、人が来るのは潮干狩りのシーズンの一ヶ月だけだろ。駐車場の整備をするわけには、いかないよ」
 「整備なんかはしないさ・・・・・。なんといっても、潮干狩りの醍醐味は、自然と戯れることにあるんだ。そして、子どもから、老人まで一緒に楽しめるんだ、そこんとこを忘れちゃならない」

 その時、健の話しを折るように、ゲンさんが云った。
 「おッ、おい健ちゃん、あのでかい箱を肩に提げて、うろうろしてるの、ハツエさんの従兄弟の、シンペイさんじゃないか?」
 「えッ、ああ、たしかに、シンペイさんだ」
 「おーい! シンペイさーん」
ゲンさんは大声を張り上げた。
 臆面もなく、大声を出して、はばからないのはゲンさんならではだ。
声が聞こえたらしい。
 ぼさぼさ頭に、ちょび髭なんぞを蓄えた、中年男が振り向いた。
 長い白衣で隠してはいるが、かなり腹も出ている。
ゆっくり、三人のほうへ歩いてきた。
 「よー、あんたら、なにしてんだ? ハツエから聞いたよ、ゲンさん、シャベルカーで、潮干狩りするんだって? ばっかだなー、実際シロウトは困ったもんだよ」
 「ハツエさんも、おしゃべりだなー、冗談、冗談だよ」
 ゲンさんは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
 シンペイさんは、貝の養殖に骨身を削り、研究一途の水産試験所の職員である。
 いかに、無神経を誇るゲンさんでも、申し訳ないと、おもわずにはいられなかった。
 「ゲンさん、アサリを一網打尽にするには、シャベルカーなぞ、たいそうなものはいらないよ。洗剤があれば十分だ」
 「えっ、洗剤?」
 健は思わず疑問を呈した。
 「健ちゃん、潮が引いた砂のうえに、洗剤、なんでもいい、例えば洗濯用の洗剤をぶちまけるんだ、貝のやつら、苦しくなって砂の上に出てくる。ほんとうに、ごろごろ出て来るぞ、気持ちが悪いくらいに」
 「シ、シンペイさん、あんた実際にやったのか?」
 「うん、ときにやるよ、女房は大喜びだ、ハッハハハハ・・・・・」
 健は、心底驚いた。
 (貝の養殖一途の研究員? 違う、絶対に違う。ヤクザか密漁業者だ!)



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