三十一、潮干狩り(四)






「シンペイねェ〜。あの子はね、少し変わった子だったよ。なんていうか、う〜ん。たとえば、家に遊びに来ても油断ができないんだよね・・・・・」
「うん、それで、それで・・・・・」
 健は、けしかけるようにハツエをうながす。
「あの子が来るとね、家の中の物が無くなるんだよ」
「えッ、それってドロボウか?」
 マツも身を乗り出して、興味深げに相づちをうつ。
「悪気は無いんだろうけどね。気に入ったものがあると、持って帰るんだよ。
そう言えば、私が高校で使っていた地図帳をあの子が持って帰ったことがあったっけ・・・・・。私が家の中をひっくり返して大騒ぎしてたら、おばさんが来てね。『シンペイに聞いたら、ハツエに貰ったと言うんだけど、これ学校で使うんじゃない? ひょっとしたらシンペイのことだから・・・・・』て言うんだよ」
「その時、シンペイさんいくつだった?」
 健はハツエの顔を覗き込むようにして聞いた。
「小学五〜六年だったと思うよ」
「五〜六年か? それって、自分の物と人の物の区別が付いてないんだと思うよ。しかし、十歳も過ぎれば多少区別がついてもいいよな」
「健ちゃん、シンペイさん今でもその気はあるよな?」
「マツさん実は、俺もそう思う」
「あんたたち、何言うんだい! シンペイさんが、ドロボウだとでも言うつもりかい!」   
 ハツエが少し語気を荒げたところに、のれんを上げて、ぬーと学者とゲンさんが顔を出した。
「聞こえたよ。穏やかじゃないね、誰がドロボウだい?」
「学者、ゲンさん、いらっしゃい」
 声を掛けたのは、ハツエではなくマツだった。
「ハツエさん、ビール、ビールを早く出してあげなよ」
 マツにうながされて少し不満げに、ハツエはビールを取りに行った。

「・・・・・学者、と言う訳なんだけど、こいつらシンペイさんの事をドロボウと思っているんだよ。多少変かも知れないが、ドロボウはないだろう、ドロボウは・・・・・」 
 学者はコップ一杯のビールをグッとあけると、
「ふー、旨い。人の物を取ったからと言って、必ずしもドロボウとは言えないな」
 と言い、グラスに自分でビールを注いだ。
「学者! 人の物をとってもドロボウにならないのか? 懲役に行かなくてもすむのか!」
 いまにも、ドロボウをやりかねない剣幕でマツが言った。
「マツ、そうだよ」
 学者はすましたものである。
「一寸まて、俺にもわからん!」
「あたしにもわからんね!」
 健とハツエも口々に言った。
「いいか、ドロボウは窃盗犯だ。刑法において犯罪とされるには、犯意と実行行為が構成用件として不可欠である。このどちらが欠けても犯罪は成立しない」 学者の話は講義口調になった。
「ハンイと行為・・・・・それって、何か新しいセックステクニックか?」
 ゲンさんが言い終わらないうちに、ハツエのビンタが飛んでゲンさんの頬を激しく打った。
「まあ、まあ・・・・・ハツエさん落ち着いて。ゲンさん少し黙っておくれよ。学者もう少し解りやすく話しちゃくれないか?」
 と、健は必死に場を取り持った。彼は心底、話の続きを聞きたいらしい。
「例えて言えば・・・・・俺がこの店で、食い逃げをしたいと思ったとする。しかし、これだけでは罪にならない」
「そんななの、当たり前だ」
 と、マツが言った。
「なぜなら、実行行為がないからだ。それなら、これはどうだ。食い逃げをした。しかし、別に悪いことだとは思わなかった・・・・・これも罪にならない。なぜならそこに犯意がないからだ」
「えッ、そんなのありか!」
 驚いたのは、マツだけではない。みな怪訝そうな顔をした。
「おおありだよ。心身喪失者が罪にならないのはそれだ」
「学者、一寸待っておくれ、それじゃあ何かい。シンペイさんが、おかしいとでも言うのかい」
「ハツエさん、そうは言ってないよ。物を取ったからと言っても必ずしもドロボウとは言えないと話しただけだ」
「学者、たとえばだよ。精神鑑定でおかしくなくても。これが、まー例えば、食い逃げが悪い事だとは思わない、てことはないのかい?」
 健は真剣な顔で質問した。何か考えることがあるのかも知れない。 
「当然、あり得る。そこで出てくるのが、人格形成責任論ということになるんだが・・・・・もう止めようよ」
 学者は四人の顔色を伺いながらそう言った。とくにハツエは今にも爆発せんばかりの顔つきだ。大好きなおばさんのシンペイに対する教育にまで、けちをつけられるとでも思っているのだろう。
「もう止めようって言っても、勝手に学者が話し出したんじゃないか」
 と、ゲンさんは正解を言った。
 学者は黙ってグラスを口に運んだ。
「ハツエさん、話はもとに戻るけど。シンペイさんの子どもの頃の話でまだ面白いことがあるだろう? 話してよ」
 健はシンペイさんに、やけにこだわる。
「もお、やだよ!」
「ハツエさん、そう言わずに頼むよ。何かハツエがシンペイさんの子どもの頃の話を聞くと、微笑ましくて穏やかな気持ちになるんだ」 
「健ちゃんの言うとおりだ、俺も聞きたいよ」
 ゲンさんも興味深げな顔をしている。
「そうかい・・・・・まあ、色々あるけどね・・・・・差し障りのないところでいこうか」「ハツエさん、差し障りが有った方がおもしろいよ」
「おい、マツさん黙って聞こうよ」
 このメンバーでは、健が一番常識人かもしれない。
 
「さっき地図帳の話しが出たけどね。シンペイは本の好きな子だったよ。室津駅前に、小さな本屋があるんだけどね、あの子気に入った本があると『これもらうね』といって持って帰るの。そして、小さい町だからみんな顔見知りさ。後で親に金を貰うということになってるんだよね」
 ハツエは機嫌が直ったのか話しに乗ってきた。
「まあ、そりゃそれで納得できるわな」
 と言うと、マツはうなずいた。
「ところがある日、シンペイが動物図鑑の分厚い、えらい立派な本を読んでたんだよ。母親は生半可な代金じゃないんで、本を取り上げると駅前の小さな本屋に走った。しかし、本屋は『こんな専門書、店には置いてないよ』という返事だった。母親はシンペイを問いつめたんだ。すると白状したね。S市の大きな本屋でいつものように、『これもらうね』と言って持って帰ったんだとさ。あまりに堂々としていたんで、店の人も自然にうなずいたのかね?」
「ハツエさん、なんかシンペイさんが、市場で魚を貰う手口とにているよ」
 健は納得したようにいった。
「それで、その本はどうなったんだい」
 今まで黙っていた、学者が口をだした。
「そのままだよ、今でもシンペイさんその本を持っているよ。金も払ったとも聞かないね。学者これ犯罪かい?」
「それはだね・・・・・いややめとこ。またブツブツ言われるのもいやだしな・・・・・シンペイさんは、大人物だということにしとこうよ」

「誰が、大人物だと?」
 銅鑼声が響いた。勝さんが、配達から帰って来たのだ。 
「あんた、お帰り」
「なんだ、みんな雁首揃えて。学者、お前『大人物』とか言ってなかったか?」 勝さんは、タオルで滴る汗を拭いながら言った。殊勝にも勝さんは、みなが角ウチで、おだをあげている間に汗まみれになりながら働いていたのだ。この男、とにかく働く。精神の奥底に、働くことがインプリンティングされているとしか思えない。
 ハツエがにこやかに笑いながら。勝さんにビールを注いだ。
「勝さん、シンペイさんのことを話してたんだ。『大人物』とは、シンペイさんのことだよ」
「うーん、シンペイさんか・・・・・確かに、学者の言う通りありゃ大人物かもしれん。少なくとも常識では判断できないな」
 勝さんは納得したようである。
「勝さん、なんかあるんだろ? エピソードが」
 健は、随分シンペイさんに、こだわっている。
「まー、あることは有るんだ」
「おまえさん、あたしも聞きたいね」
「うーん、実はな・・・・・」
 吉田酒店の角ウチは、今から佳境に入っていく。




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