三十二、潮干狩り(五)






「あれは、ハツエと結婚したばかりの頃だったから、シンペイが小学五年ぐらいだったかな。室津のハツエ実家に行った時のことだ。ちょと海がみたいと思って、海岸に向かって一人で歩いてた。みんなも知っているように、ハツエの家から海岸までは小さな岡を越えなきゃならん。口笛でも吹きながら機嫌良く歩いていたら、道端にシンペイが、屈み込んでいたと思ってくれ」
「あんた、前置きが長いよ、早く早く、それで?」
「そう言うなよ、考えようによっちゃかなり深刻な話しなんだ。実は俺もその時は背筋にゾォーと恐怖が走ったんだ」
「なんだって! 勝さんが怖かったと言うのか」 
 ゲンさんは心底驚いたのだろう、思わずグラスを落としてしまった。
「ああっ! ハツエさん、ぞうきん、ぞうきん」
 マツはこういう時、こまめに働く得難い男である。ゲンさんも慌てて、割れたガラスを拾い集めた。

 話しの腰を折られ、いささか勝さんは不機嫌そうな顔になった。
「ゲン、なんでお前はいつもそうなんだ」
「勝さん、ごめんよ悪気は無いんだ」
「当たり前だ! この上悪気があったんじゃ、たまったもんじゃない」
「まあまあ、お前さん、機嫌を直しておくれよ」
「別に俺は話したい訳なんかないんだ。おまえたちが聞きたいと言うから話すだけだ」
「まったくゲンさんは、オタンチンパレオロガスだよな」
 学者がまた訳の分からぬことを言ったが、誰も質問してくれず、寂しく落ち込んでビールを口に運んだ。
「勝さん、話しを続けておくれよ。勝さんの背筋に恐怖が走ったというやつをさ」
 健が勝さんに頼み込む。健は異常にシンペイさんに興味を持っているようだ。「お前さん、一杯いきなよ」
 ハツエが勝さんのグラスにビールを注いだ。 
「・・・・・シンペイが、猫を抱きかかえて、何かにけしかけようとしているんだ。俺は声を掛けたんだが、奴はてんで相手にしない。そこで俺はのぞき込んでみたよ、そしたらそこに大きな青大将がいるじゃないか」
「なんだ、勝さん蛇が怖いのか」
 ゲンがそう言った途端にハツエの平手打ちが飛んだ。
「おまえは、だまっとけ! これ以上喋ると出入り禁止だ・・・・・。あんた、それでどうしたんだい?」
「青大将の腹が異様に膨れて、苦しんでいる様子なんだ。聞いて俺はおどろいたね、話しはこうなんだ。シンペイがバッタを掴まえたそうだ、そして足をもいだ、まあこれは悪ガキがよくやることだ」
「えっ、子供がそんなことをするのかい?」
 ハツエは結構ウブなところがあるらしく、驚いたふうである。
「子供は、基本的に残酷である。私もやったことがある」
 と学者がシンペイの行為を肯定した。

「そして、シンペイは蛙を掴まえバッタを食わせた。その時、たまたまシンペイは青大将を掴まえ瓶の中に飼っていた。家から持ち出すと、そいつに、蛙を食わせたと言うんだな、嫌がる蛇の口を開け、蛙を押し込んだんだそうだ」
「おーっ厭だ! なんて残酷な」
 ハツエの言葉に驚いたように、みんなの視線が集まった。彼女がカマトトぶっているとは思わないが、意外であった。改めて一同、ハツエが女性であることを認識させられた。
「それは理解できる。俺も蛙の尻にストローを差し込み、思いっきり息を吹き込み、膨らませた腹を、パチンと割って遊んだことがある」
 マツが懐かしそうにそう言うと、ハツエの顔色が変わった。
「人でなし! 人非人! 変態・・・・・!」
 ハツエは、罵詈雑言をマツに浴びせた。
「子供は、基本的に残酷である。私もやったことがある」
 先ほど言った言葉をまたもや学者が口にした。
「学者! 許さんよ! 子供ってなんだい、少なくとも女の子はそんなことは、しやしない!」
「まあ、まあ、ハツエさん分かったから、抑えて抑えて。それで、勝さんその続きは?」
 健はシンペイの行動が気になってしかたがない。何を期待しているのだろうか?
「マツの言うことも一理ある。そんなことで、俺が驚くわけは無いが、次があるんだ。今その場でシンペイのやっているのは、猫に青大将を喰らわせようとしていたんだ。異様に腹が膨らんで動けない蛇は可哀想なもんだよ。猫も嫌がって逃げ出そうともがくんだが、シンペイは容赦しない。猫の首根っこを掴まえ、無理矢理口を開けて蛇を押し込みはじめたんだ」
「勝さん、もう止めようよ。そこまで行くと、気持ちが悪くなって来た」
 マツが、最初に音を上げはじめた。彼の許容の限界を超えたのだろうか?
「マツさんの気持ちも分かるが、ここまで来たら、もう少し行こうよ」
 健が多少躊躇しながら、恐る恐る先をうながす。

「さすがに俺は止めたね。『シンペイ!蛇も猫も可哀想じゃないか』そしたらあいつ、えッ! と言う顔をしやがった。『これ、理科の実験だよ』と言うじゃないか、そして、シンペイの言うには、こんなの可哀想でも何でもなく、家で鶏や、山羊を絞めて食べる方がよっぽど残酷だって言うんだ。そこで、おれが言ってやったよ、『人間が食べるための殺生は許されているんだ』と」
「勝さん、良いことを言う。そのとうりだ」
 我が意を得たりとばかりに、健が言った。
「ところが、シンペイの奴、口答えしやがった。だから大人は駄目なんだと言い放ちやがった。大人は、食欲を満たすだけの為に殺すからいつまで経っても進歩がないそうだ。自分は解体の技術は会得したから、次の段階に進んでいると言うんだな」
「そう言えば、部落でイノシシを掴まえたときには、いつのまにかシンペイが現れて解体の手伝いをするらしく、『あいつは何だ!』と男達が言うのを聞いたことがあるよ」
 勝さんの話しを裏付けるように、ハツエが合いの手を入れた。
「そうか、さすがにシンペイさん、子供の頃から研究者としての探求心を持っていたんだ・・・・・それで次の段階とは」
 学者が感心したように言った。
「食い物が、いかに消化されるかの研究と言うんだ。青大将を喰わせた猫をしばらく置いといて、時間が経ったとき腹を断ち割ってどのぐらい消化されたか確かめるんだとよ」
「あんた、解ったよ。そのあと蛇の腹を切って蛙の消化具合を確かめ、蛙の腹を切って・・・・・」
 ハツエ様子が変だ、眼がとろんとして焦点があっていない。ハツエの口をついて出てくる言葉に男共は怖じ気づきはじめた。
「おい、さっき蛙の腹を割った俺のこと、ハツエさん、人でなし! と罵ったよな」
 マツが小声で学者に話しかけた。
「ああ、確かに変態とまで言った。マツ、そう言う問題じゃない。ハツエさんは、現実を離れてイメージの世界に漂いはじめたんだ」

「腹を割かれた猫が、手足を痙攣させて断末魔の叫びをあげた。猫の瞳からは、我が身の不幸を嘆く涙がこぼれる。そうだ、私は猫なんだ! 痛感は失われてしまった。ただ、涼やかな大気が晒されてしまった私の心臓が、弱々しく鼓動を打つ。冷酷な子供の手が、私の臓物を引きずり出す。ドロドロに溶けかけた蛇が微かに見える」
「わ、私の臓物だって・・・・・ハツエさん変だよ」
 健が気味悪そうに言った。
「そうよ、私は蛇なのよ。身体が動かない・・・・・身体の半分近くが溶け出してブヨブヨになってしまった。ベットリした血があらたに身体にまとわりつく、厭な臭いが、まだ溶けていない鼻腔を突く。いやだ! 何で私は蛇になんかに生まれついたのだろう」
「今度は蛇かよ。この先どうなってしまうんだ?」
 マツの顔は、真っ青になってしまった。完全にビールを飲む気を失ってしまっている。マツだけではない、誰もグラスを持たない。
「私は、蛙・・・・・・・・・・」
 ハツエの妄想は留まるところを知らず、更に発展していく。
「俺も、蛙・・・・・いや、かえるよ」
「勝さん、じゃまた」
「あ、俺も配達が残っていた」
 勝さんまでもが雲隠れを決め込んだ。みんなが何処かへいってしまった。カウンターに頬杖をつき、ハツエだけが妄想を膨らませていく。
「私はバッタ・・・・・」
 虚ろな、ハツエの呟きは続いていく・・・・・。




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