4.交 渉




 「おー、どうしたんです? その頭」
 健は、入ってきたゲンさんに声を掛けた。
 「ハツエさん、とりあえず冷たいビール。実際まいったよ、交通事故だよ」
ゲンさんは包帯を巻き、その上から白いネットを被せた頭を、押さえながらつづけた。健にはゲンさんが多少得意げに話しているように思えた。
 「勤務中だよ、俺がバイクで走っていると、突然、脇道から車が飛び出した。一時停止もせずにだよ! 俺も避けようがなかった。みて見ろ、ここもだ」
 そう言うと、ゲンさんは腕まくりをした。右の肘にも包帯が巻かれていた。
 「じゃ、ほぼ全面的に相手がわるいんだ、どんな奴だい?」
 健は少し興味をもってきた。
 「普通の勤め人だ」
 「ゲンさん疵のぐあいは?」
 健が本気なって聞き出すと、ゲンさんもほらを吹くわけにはいかなくなったようである。
 「おおげさに包帯を巻いているが、そうたいしたことはない。頭の疵だから出血はしたが」
 健は此処は自分の出番だと思った。ゲンさんの為に一肌ぬぐことにした。
 「仕事は休んだのか」
 「その日だけは休んだ」
 「今、通院しているよな」
 「うん」
 「示談の話はどうなってるんだい?」
 「来週、保険屋と一緒にくるそうだ」 
 「ようし、わかった」
 健は納得した。頭の中で絵が描けたのである。
 「健ちゃん、何が、わかったんだい」
 多少不安そうにゲンさんは聞いた
 健はゲンさんの方に身を乗り出すと小声で尋ねた。
 「ゲンさん、いくら欲しいんだい」
 「示談金か? 貰えるよな健ちゃん」
 「いくらだ」
 「十万・・・」
 「俺のみるところ、少なくとも二十万、うまく行けば三十万円にはなる。いいかいゲンさん。今から俺の言うことをよく聞いてくれよ」
 健はいささか得意になった。ゲンさんより自分が優位になった気分である。
 「ゲンさん、たしか、お宅には応接間があったよね。空手三段の免状を、額に入れて、よく目に付くところに飾るんだ・・・・・・」
 健は身振り手振りを入れて、ていねいにゲンさんに解説し出した。
 「いいか、ゲンさん。金のことは一切言うな。・・・・目標は三十万だ、これを頭に入れること、それと100%悪いのは相手だと思いこむこと・・・」
 得意げに話し込む健のようすを眺めながら、勝さんは、にやにや笑って聞いていた。

 吉田酒店から横道に入り少し坂を上ったところに、二階建ての門構えのある家がある。かなり大きな家だが、全体に古ぼけており、屋根瓦も修理が必要にみえる。
 ゲンさん邸である。
 二人の男が呼び鈴を押した。応対に出たのはゲンさんの奥さん。打ち合わせどおり、やけに丁寧におじぎをし、邸内に二人を招き入れた。
 ゲンさんは応接間の免状の額を背に、座卓の上座に和服を着てデンと座り込み客を迎えた。むろん頭には白い包帯をまいている。
 奥さんが襖を開け、茶をゆっくりとした手つきで出し終わると、おもむろに、二人は名刺を差し出した。気の弱そうな加害者と調子の良さそうな保険代理店の人間だった。
 ゲンさんは黙って名刺を受け取り、目の前に置いた。
 これまた事前の打ち合わせどおり、奥さんは深々と頭を下げ「失礼致しました」と言って席をはずした。打ち合わせどおり、というよりも、健の指示どおりと言ったほうが正確である。
「このたびは私の不注意により、まことに申し訳有りませんでした」
 加害者はうつむいたまま口上を述べ手土産を差し出した。
 ゲンさん黙って受け取り、手土産よこに外した。
 保険屋が言葉を引き取った。
 「怪我の具合はいかがでしょう、まだ通院されていますか?」 
 ゲンさん腕組みをしたまま、おもむろに口を開いた。
 「たいした事はない。通院はつづけている」
 「最近は、事故が多く私ども保険屋も大変です。これから他にもう一件抱えてまして、飛び廻っております」 
 保険屋は取り留めもないことを話し出したが、ゲンさん返事もしない。
「今回の事故のあった交差点、今年に入って五件目です。警察もミラーぐらい、設置すればいいんですが」
 ゲンさん黙ったままである。取り付くしまもないとは、このことか。
加害者は先ほどからうつむいたままである。しかたなく職業上の義務感から保険屋は切り出した。
 「じつは、今日お伺い致しましたのは、先日電話にてお話し致しました。示談の件です。どのようにお考えでしょうか?」
 言葉がやけに丁寧になった。やっと本題に入って来た。
 「考えるとは、どうゆうことか」
 ゲンさん腕組みしたまま相手をにらんだ。
 「いや、その、あのー、示談金のことでして。まー、相場というものもありまして・・・」
 「それで、どうなんだよ」
 保険屋の顔が緊張のあまり青白くなった。加害者はうつむいたまま両手を正座した膝の上へ置いている。心なしか、震えているようにも見える。
 「あのー、示談金・・・」
 「だから、どうなんだ」
 「・・・相場が・・・」
 ゲンさん腕組みしていた手をとき、座卓の上へドンと置いた。そのとき二人は二〜三センチ明らかに飛び上がった。
 「俺は、株屋じゃねえ! 相場なんか解りゃしねえ! はっきり言え」
 「・・・・・示談金は十万円とこのように考えておりまして。いや!これはあくまでも最初の提示金額でして・・・・」
 保険屋はこの場に臨む前から考えていた金額を恐る恐る口に出した。
 ゲンさん二人をジロリと睨むと言い出した。
 「昔は俺もいろいろあった。しかし、今はごらんの通り、カタギの公務員だ」 今、この場のゲンさんは、どうみてもその筋の人間にみえる。
 「初対面で金の話たあ恐れ入った。おれもバカにされたもんだな」
 「バカにするなんて、とんでもない」
 保険屋は手と頭、両方を横にふった。
 「ようは、気持の問題。誠意の問題だ。出直して誠意をもってまた来てくれ。
いいか間違うな、俺はあんたたちの誠意がみたいんだ」

 後日、加害者と保険屋は再びゲンさん宅を誠意をもって訪れた。
五十万円という誠意であった。

 「健ちゃん、ありがとう。おかげでうまくいったよ」
 ゲンさんと、健ちゃんが久しぶりに吉田酒店のカウンターで顔を合わせた。
 「ゲンさん、どんな具合だった?」
 「健ちゃんの言うとおりにやったよ」
 ゲンさんは、最初から詳しく健に説明した。
 「なるほど、なるほど。うまく行ったんだ。それで示談金は幾らもらったんだい」
 「五十万円よ!」
 「え! それどういうこと?」
 「誠意をみせろと言ったら。やつら五十万円という金額を出してきたから、すぐOKしたよ」
 健はまいったなという顔をして言い出した。
 「まったくシロウトは怖いよ。ゲンさん、あれほど言ったじゃないか、三十
万にしとけと。いいかい、先方が五十万という金額を出したらこういうんだ、
『おたくの誠意は良く解った。その気持に免じて三十万円でいいよ』そうすると先方は大喜び、ゲンさんに心より感謝をするよ。そうすると後腐れが全くないだろ」
 「なるほど、健ちゃん、どうしよう?」
 「いまさらどうにも、ならないよ。ところで、オーィみんな、今日払いは全部ゲンさんだよ!」

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