5.暴 力




 「こんにちは、ビールお持ちしました」
軽トラックからビールのケースを二つおろすと、勝さんはいつものようにインターホンに話しかけた。
 「御苦労様です、すぐにあけます」いつもと同じ返事が返った。
 丸々と太り、トレーニングウエアに草履を引っかけた、体格の良い若者がドアを開いた。
 「ご苦労さまです」
これまた、いつものように勝さんから、ビールケースを二つ受け取ると、勝さんを中に招き入れた。
 某広域指定暴力団幹部の組事務所である。
 繁華街から少し外れたところにある、ごく普通のモルタル建築の古い建物だ。入り口の横には代紋の入った大きな看板が眼を引く。
 入ってすぐのところは、事務所になっている。ごく普通のスチールのデスクが四脚置かれており、電話が三台と電話番が一人いた。
 「ご苦労さまです」
 電話番の若者は立ち上がり、鄭重に頭を下げた。
 勝さんは電話番の若者にも挨拶をした。横を通り奥の部屋へ案内された。
 いつものことである、勝さんが酒類を届けると、この大きな神棚のある応接室に通され、茶の接待を受けるのが常だった。組長は留守であった。そこにいたのは「ステゴロの健」(後年の健ちゃん)と、九州は博多で渡世上のトラブルを起こし、一時的に身を隠すために、この組長の世話になっている、大男のヤクザとその子分の三人だった。

 若者がすぐに茶を出してきた。勝さんが軽く会釈をし椅子に座ると、応接室は緊張感のただよう、異様な雰囲気になった。勝さんはいやな予感がした。健は場をとりもとうと、なにかと話しだしたが大男は勝さんから眼を外さない。勝さんはその眼に殺気を感じていた。
 大男はソファーにふんぞり返り、足を組んだ。坊主頭、額には深い傷、凶暴な目つきをしている。百九十センチはあろうかという上背と、百二〜三十キロの巨体を有している。
 勝さんがこの男に会うのは二回目である。以前、会ったときは組長が同席しており、勝さんの強さを組長が無邪気に吹聴した。
 いや、組長は無邪気を装いながら、絵を描いていたのかもしれない。たぶんそうだろう。その時から大男が、勝さんに対抗意識を燃やしているような噂がたっていた。
 大男が野太い声を出した。
 「健さん、あんた『ステゴロの健』という呼び名があるところをみるとステゴロには自信があんだろ」(ステゴロとは素手による喧嘩という意味)
 勝さんから視線を外さない。
 「この男とやったことが、あるかい?」
 「とんでもない、親分の知り合いで、この方は堅気ですよ」
 健はなんとかこの場の雰囲気を和らげたいと気を使う。勝さんは先ほどから発言しない。また、大男の殺気にも動じないことが、ますます大男をして苛立たせる。
 「堅気、ふーん。じゃあ組長さんは、なぜ業界人のおれに向かって、この男が強いなどと言ったんだ。俺は試されてるのか」
 勝さん全く動じない。良くあることである。腕自慢のヤクザが今まで何人勝負を挑んできたことだろう。ステゴロの健もその間の事情は、よくしっている。いつもなら全く気にも掛けないのだが、今回は多少ようすが違った。

 この大男、業界では名が知られている。ステゴロに関してはまず、業界ナンバーワンとの呼び声が高い。相撲取りの世界では十両までいった実績がある。頭に来ると前後の見境がなく、手が付けられなくなり「狂い牛」の異名まである。
 前回の顔見せの際、不用意か、計算づくか、何れにしよ、組長が大男の神経を逆なでするような発言をしてしまった。『この人は堅気だが、強いよ』大男は、この四〜五日この言葉が頭について離れない。
 沈黙を破るように、抑えた声で大男が話しかけた。
 「強いんだそうですね。ちょっと、軽くやってみませんか?」
グゥッと身を乗り出し、いっけん下手に出たように声をかけた。眼孔から出る殺気は収まるどころか、さらに強くなった。
 勝さん瞬時、考えた。こんなのと一々つき合ってはいられない。しかし、売られたケンカは買わざるを得ない。これは勝さんの人生観の根本にかかわる大問題であった。
 大男は湯飲みを掴むと、ムッと軽く声をあげ握り潰した。明らかな挑発である。
 『握力は100s近くあるかな』と勝さんは無感動に考えた。
 まったく動揺しない相手をみて、大男は切れた。
 「一寸だけです、裏の空き地までお付き合い願いますか」と大男は言うなり先に立って歩き出した。自信たっぷりである。勝さん黙って後に続いた。
 あまりの緊迫感に健も若者も大男の子分も声すら発することが出来なかった。
 バタンとドアを閉め出ていって一分も経っただろうか、勝さんが何くわぬ顔で帰ってきた。
 「毎度ありがとうございました。じゃあ失礼します。あ! そうそう、救急車を呼んで下さい」と言うと何事もなかったように出ていった。弾かれたように三人は事務所を飛び出した。空き地につくと三人は見た、うつ伏せに倒れピクリとも動かない大男を。

 後で判明したことだが、大男は左膝を砕かれ、三本の胸骨が折れ、内蔵に突き刺さっていた。致命症は天中に対する頭蓋骨への直接打撃であった。
 驚異的な体力の持ち主であった大男は、何とか一命は取りとめたものの、ステゴロとして復帰することは、かなわなかった。
 むろん、当然のことながら警察沙汰には、ならなかった。
 この一件以来、健の勝さんに対する態度は、神を崇めるがごとくであった。
 勝さんの強さはまさに「戦闘神」である。武道が強い、ケンカが強いのレベルを遙かに越えている。軽く向かっていくと、軽くいなされる。強くいくと、強く返される。倒すつもりで向かうと、倒される。まさに底の知れない強さである。
 健は後ろから、大砲をぶっ放しても、とても適わないと公言している。
 
 この街にも「角ウチ」をやっている店は、名が通っているだけで、十数軒はある。「名が通る」と言う意味は、ケンカが強いということである。
 戦闘隊員は健ちゃん、マツ、ゲンさんの三名。強そうなところが有ると聞くと吉田酒店の看板を背に、出かけていって締め上げる。勝さんの威光を背景に
「吉田酒店の角ウチ」の雷鳴は、堅気のあいだだけでなく、ヤクザの世界にも知られている。四十面をさげた大人が、一昔前の不良少年の番長組織ののりで悦に入っている。実に他愛ないが、皆は実に楽しげである。

 「ちゃーす!」けたたましいバイクの音が響いたと思ったら、四人がノレンを開けて入ってきた。暴走族集団の特攻隊長とその部下三人であった。
 暴走族もときに顔を出す。勝さんと健ちゃんに仁義を切るのである。彼らにも後ろ盾が必要らしく、ヤクザより勝さんのほうが安全だと本能的にしっている。
 「あんたら! 仕事は」ハツエの声が奥から響いた。
 「ちゃんとしてきたよ、おばさん!」
と、いったとたん特攻隊長の政夫はおもわず口をおさえた。他に考え事をしていたようだ。でなければ『おばさん』などという不用意な言葉が出るはずもなかった。
 「なんだと、もういっぺん言ってみな!」ドスの効いた声が近づいてきた。
 「いや、あの、その、姐さん」
 政夫は心底ビビッた。腕力を凌ぐ人間としての格の違い、覚悟の決め方が政夫の心魂を縮みあがらせた。
 「なんだと! 『姐さん!』 あたしゃ極道の妻かえ!」
 政夫の舎弟三人は通りへ飛び出していた。
 政夫はすがるような目つきで、勝さんに助けを求めた。
「ハツエ、許してやれよ。おーい、外の三人も入ってこい。働く青少年が仕事を終えて来たんだ。冷たいビールでも出してやれ」
 この四人は未成年である。しかし、吉田酒店では酒を飲むことは許されている。勝さんが許した。日本国の法律より、勝さんの法律が優先するのは、あたりまえのことである。     先ほどから、ことの成りゆきを、健ちゃんはニヤニヤしながら眺めていた。
 「健! 何が可笑しんだい? あたしを舐めてる訳じゃないよね!」
 ハツエは、健の方に向き直ると睨み付けながら言った。
 とばっちりは健に向かってきた。
 健は肘をついていたカウンターから飛び起き、思わず直立不動の姿勢になった。「ステゴロの健」もまったく形なしである。
 『戦闘神』『覚悟と格』最強の角ウチ集団、吉田酒店の伝説にまた新たなエピソードが加えられた。

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