、雪 路





 学者は車でマツの実家に向かった。一昨日のことである。バイパスから横道に入り、稲穂が30センチほどにも伸びた水田をしばらく走ると、おおきな楡の木が見えてきた。その側に昔ながらの大きな藁葺き屋根の家が見えてきた。道路から少し高台になっている。道路から坂を登り、庭にはいると学者は楡の木の側に車を止めた。
 玄関の戸を開け、来訪をつげると、マツの女房が出てきて挨拶をした。細面の繊細そうな女性である。ショートヘアーにメガネがよく似合う。どう考えても、マツのガサツとは釣り合いがとれそうも無いが、本人どうしが良ければ、はたが、とやかく言う筋合いはない。
 玄関から仏壇のある客間に通された。来意は告げてあったので、すぐに雪路ばあさんが出てきた。腰の曲がった小さな体であるが、真っ黒に焼けた顔に眼がギロリと光っている。驚いたことに、今時、筒袖の作業着にモンペという姿である。学者は『地上最強の人類!』と言った、マツの言葉を改めて思い出した。

 「さあ支度をして、作業に行こうか」
 挨拶もそこそこに、雪路ばあさんは腰をあげかけた。
 学者は焦った。
 「ちょっと待って下さい! 草刈りの研修にきたのではなく・・・電話では
・・・改めてご説明します・・・」
 学者は「全草連」設立の趣旨を一所懸命、汗をかきかき説明した。
 「おかあさん、おもしろそうじゃないですか」
 マツの女房が最初に答えた。
 「やろう! こまかいところは、よくわからんが、『最高技術顧問』というのが気に入った。草刈りに関しては、わたしゃあ、まずこの日本で五本の指にはいる。間違いはねえ! ちょっと待っとれ」
 雪路ばあさんは、そう言うが早いか席を外して出ていった。
 学者はいやな予感がした。

 二〜三分もすると、雪路ばあさんは、鎌を三本抱えて席に着いた。
 「いいか、この鎌は『鋸鎌』本来、稲刈り用につかう、今じゃ稲刈りでなく、ススキなどの繊維の強い草を刈るときに使う。これとこれが『刃鎌』。薄い方は草用、厚い方は柴や木を切るときに使う、鎌の使い方は引き切りで・・・・・・・・・・・・・・・・」
使い込んだ、柄の部分は黒光りしており、研ぎ込んだ刃の部分は青白い光を放っていた。
 初めは、おとなしく話していた、雪路ばあさん。
 しだいに話に身が入ってくると、明らかに興奮してきた。
 やにわに、立ち上がると、身振り手振りで所狭しと動きまわる。
 危なくて仕方がない。学者は自分の顔が青ざめて来るのを感じていた。
 ついに、やった! 湯飲みをひっくり返したのだ。
 「さち子さん! ぞうきん」

 マツの女房は「さち子」と言うらしい。
 「はい!」
 と、気持ち良い返事が返ってきた。雑巾を持ってくると、ニコニコわらいながら、さち子はテーブルを拭き、畳を拭いた。
 「おばあちゃんたら、いつもこの調子なんですよ」
 さち子は学者に話しかけた。
 本当に仲の良い、嫁と姑だと感心しかけたその時。雪路ばあさん、おもむろに立ち上がると、「きえー!」 裂帛の気合いとともに、刃鎌を袈裟に切り下ろした。
 「これが、引き切りじゃー!」
 海千山千の、さすがの学者もこれには、腰を抜かし、眼をまわした。
 『地上最強の人類』という、マツの声が遠くから響いてきた。

 さらに、二〜三十分間、雪路ばあさんの講釈は続いた。さすがの学者も口を挟むことが出来ない。
 話しの途切れたところで、すかさず学者は話題を変えた。本筋にもどしたのである。
 改めて、全草連設立の趣旨を話し、同意の確認を取った。
 「私も入れていただけるかしら」
 さち子も、かなり興味を持ったようである。
 「大歓迎です。どうも、長居をしました」
 と学者が立ち上がりかけたとき。
 「待ちなさい。その、なんとか会。会員は多いほうが良いんじゃないかい?」 不敵に笑いながら、雪路がはなしかけた。
 学者の脳裏に、また嫌な予感が走った。

 「この町の町長、あれは、わしに(女性がワシ?)逆らえない。農協の組合長、あれは、小さい時ずいぶん泣かせてやったよ。以来、60数年間いじめ続けだ。わしの言うことは何でも聞く。町全体という訳けにはいかないが、少なくともこの部落、40世帯、15才以上130人は全員、会員にする。文句は言わせない」
 「いやまいったな、まだ準備段階ですので・・・・」
 いつもの、冷静な学者どこへいったのだろう、オロオロしている。
 「この少し先に行ったところにある、海上自衛隊。あれも会員にする」

 「か、・・海上自衛隊・・・あの、海上自衛隊?」
 「他に海上自衛隊があるか! 日本に二つも三つもあるものか、あそこの指令。これも、わしには頭があがらん」

 話は、十数年まえにさかのぼる。かるい気持で、雪路ばあさんは、海上自衛隊基地を訪れた。受付にて、来訪の意図を説明した。
 「自衛隊さんご苦労様です。○○町の百姓です。、寄付というほどのことではないですが、皆さんに食べていただきたいと、すこしばかり野菜を持って来ました。食堂の材料の足しにでもして下さい」
 「おばあさん、ありがとう。でも受け取る訳にはいかないんだよ。隊規があって受け取るには正規の手続きを踏んでもらわなくては」
 「正規の手続き?」
 「まず、方面司令部にいって・・・・・・・・・・・」
 「そんな難しいことは言わないで、受け取ってくださいよ」
 「ダメです」
 「そんなことは言わないで」
 「ダメなものはものはダメ」 
 雪路ばあさん頭に来た。
 毎日のように談判に押し掛けた。
 「責任者を出せ。大将に会わせろ」
 十日も続くと、さすがに自衛隊の方でも手を焼いた。

 海上自衛隊指令の一佐殿が面談することになった。
 雪路ばあさん、司令室に通された。木製の大きな机の後ろに指令は座っていたが、彼は立ち上がり、ばあさんにソファーに掛けるよう進めた。ばあさん、相も変わらず筒袖に、モンペの姿である。副官が一人横に立っていた。
 「たいしたことじゃあないんです・・・・・・」
 雪路ばあさん、切々と訴えた。
 指令は諭すように、受け取れない事情を説明した。
 しかし、そんな説明で納得するなら、とっくに事はかたずいている。
いくら話しても平行線が続く。
 雪路ばあさん、しだいに激昂してきた。
 「軍隊が、銃後の国民の、ささやかな支援を受けぬとは何事か!」
 「グンタイ! ジュウゴ!・・・・・」
 さすがの指令も声がうわずった。
 「命を盾に戦う兵隊さんに、銃後の国民の一人として、慰問の気持ちを込めて、ささやかな・・・・・・・・」
 「ヘイタイサン! ジュウゴ!・・・・」
 いい加減、困惑した指令。
 では、食堂の方に御願いしますと、言ってしまった。その時は、せいぜい、一ヶ月にダンボールに一つ程度とふんでいたのだが、後の祭りとなってしまう。

 雪路ばあさん、勢いづいた。
 帰りに、その足で農協の組合長室に乗り込んだ。 
 「おお、居たか穀潰し」
 まったく、組合長もかたなしである。
 「いまから、わしの言うことをきけ。そして、すぐ手配しろ。・・・・・・・・・・・・・」
 「雪路さん、幾ら何でも私の一存では・・・・・」
 「なに! 反対するものがおるのか? 誰に気兼ねをするのか? いってみろ、只じゃ置かん!」
 こうなると、もう雪路ばあさんを止めることは誰にも出来ない。
 翌日の朝、自衛隊の食堂横の材料搬入口に農協の2トントラックが横付けされた。若者が二人、座席から飛び降りると入り口の側にダンボールをおろし始めた。ダイコン、キャベツ、タマネギ、色々表示されている、トラック一杯のダンボールを次々にである。ついに全て下ろし終えた。
 「これは、なんです」
 資材係りは詰問した。
 若者二人は、平気である。
 「わけは指令と、雪路ばあさんに聞いてくれ」
 と、あらかじめ、指示された通りこたえた。
 ゲートもこの言葉でフリーパスであった。若者は自信たっぷりに空になったトラックに乗り込むと、材料搬入口を後にした。
 それから、2週間毎日、この光景は続いた。
 ふつう、こういう事態が続けば、取引業者から苦情がでるものだが、地域住民と連帯するとか何とか、自衛隊の大義名分があり、取引業者は地元の農協であった。
 農協は臍を噛みこそすれ、どうすることも出来ない。なんせ相手はかの雪路ばあさんである。
 2週間目に米が10俵届いた時には、ついに指令は頭をかかえる羽目におちいった。そして雪路ばあさんに泣きをいれた。
 
 交渉いや、指令の一方的お願いの結果、野菜を週一回というところで、しぶしぶ、雪路ばあさん納得した。ただし、指令が転属になった場合、必ず申し送りをする、という条件をつけて。

 学者は、帰りに車を運転しながら大きなため息をついた。
 『俺はなにか大変な間違いを犯したのでは?』
『どうなっても、わしゃ知らん! 知らん!・・・・』


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