師とその周辺







塩川寶祥伝(その十八)




 岩目地先生が、七段、八段を取った経緯は、まったく無茶苦茶であったと、私は前に述べている。これからそれを詳細に書いてみましょう。武道における段位制度の本質にも触れてくることになろう。

 塩川派糸東流に、小泉多加子師範、森京子師範がおられる。今は、支部長として後進の指導に当たられている。若き日(失礼、今でも若くてお綺麗です)二人は、互いをライバル視して競い合った。年齢も同じなら、入門の時もほとんど同じ二人であった。
 宗家盃、県体、中国大会などに出場されて立派な成績を残されているが、二人の競い合いはそこにはなかった。勝ち負けの判断基準は、実に岩目地先生が、どちらに良い得点を出すかであった。(型試合であり、岩目地基準は二人の暗黙の合意であったらしい)
 岩目地先生の慧眼、表裏に達するの発露でもあろうが、ここでの問題とは少し異なるので次ぎに進む。

 当時、岩目地先生は六段師範であった。お二人は、二段である。月日は流れ、お二人とも塩川先生から六段を許されるまでになった。しかし、ここで問題が生じた。二人が困ると言い出したのだ。岩目地先生と同じになってしまうのがまずいと申されたのだ。岩目地先生は六段のままだったのである。
「おい、谷、岩目地にはまいってしまうよ」
 先生は、困惑した顔を私に見せた。
「お前が七段にならないとみんなが困るから、昇段審査を受けろと言ったんだ。すると何と言ったと思うか…『降段審査なら受けます』と言いやがった!」
 それを聞いて、私は笑ってしまった。いかにも岩目地先生らしいではないか。しかし、事はけっこう深刻な問題である。
「降段審査など聞いたことがあるか! 『私は弱くなって、とても六段の資格はありません』と言いやがった。まったく困ったやつだ!」
 ここで、許されれば、本当に降段審査を受けてしまうのが岩目地という男である。おそらく審査料すら支払うであろう。

 そこで、塩川先生は一計を案じた。塩川派宗家盃の大会のとき、大会出場者の全員を前に、突然発表したのだ。
「岩目地は、空手、杖、居合と自分を良く補佐し、アメリカ、ヨーロッパまで指導に行ってくれた」
 と言って、感謝状を渡したのだ。それに、金一封と七段の免状を沿えて。
 塩川門下が、大集合しているのである。さすがにこの場では、岩目地先生も受け取らざるを得なかった。
「師匠が弟子に、感謝状と商品券をつけて、段位の免状を受け取ってもらった! しかも、感謝されない! こんな話聞いたことがあるか?」
「いやー、ありませんね。いかにも岩目地先生らしいじゃないですか!」
「免状を渡すのに、師匠をこんなに困らせやがって、まったく困った奴だ!」
 こういう経緯で、塩川派の秩序はなんとか保たれることになった。


 月日は流れ、今度は八段事件が持ち上がった。正攻法で行ったのでは、絶対に拒否すると踏んだ塩川先生は、またもや一計を案じた。
最近のことである、何時だったかは思い出せないが、たぶん三年ぐらい前であったと思う。塩川先生は御子息の塩川尚成師範に、塩川派糸東流の宗家を譲られる決断をして、幹部連中に集合を掛けた。
 その席上、二代目宗家の披露が終わった後に、光廣勝人師範に九段、大原道貼師範と岩目地光之師範に八段免状を許すむね発表した。
「異議あり!」
 と岩目地先生は手を挙げ、立ち上がった。塩川先生は一瞬黙って全員の顔を見た後、厳かに申し渡した。
「反対は一名。多数決の原理により可決された!」
 塩川先生ほど、民主主義の原理が似合わない人は希だ。その先生が、多数決の原理などと大声で言ったのだ。何とも微笑ましく、私は、その話を聞いたときに思わず笑ってしまった。


 段位制が出たついでに、岩目地先生の考えを述べてみよう。ある日の稽古が終わった後のことであった。
「谷さん、そもそも、段とはいったい何だと思いますか?」
 突然の質問である。どのような観点から返事をして良いか分からない。ただ、岩目地先生が、何か意見を言いたいことは分かった。
「えっ、先生どういうことですか?」
 としか私は返答できない。
「谷さん、武道における段とは、商売だと思うんです。組織維持の為の運営資金とか、大義名分はあるんですが、本質は商売だと思います」
 おい、おい、初段を目指して、一所懸命頑張っている子供達もいるんだぞ、一所懸命に武道に取り組んだ人の、達成感を満足させるという要素もあるだろうに……でも、段位を発行する立場になれば……私も、煎じ詰めれば先生の言うとおりだと思っていました。頭の切れる先生のことです、その辺の私の気持ちも読んでの発言だったと思います。
「ただし、あくまで商売と言ったのは、段位を発行する方で、もらう方の気持ちは違います」
 まったく同感でした。問題は、段位を出す方の立場と、もらう方の立場の違いです。
「た、たしかにそう思います。単純化して言えば、私もそう思います。でも、それを口に出して言って許されるのは、先生だからです」
 私は、そのように答えました。そもそも段位制度というものは、明治時代に、柔道の嘉納治五郎先生が考え出したと、聞き及んでいます。そして、今日では社会的に認知もされています。

 なお、岩目地先生は、目録、免許、皆伝になると段位とは少し異なり、師弟の関係という要素が、多少出てくると申されました。その言葉を聞いたとき、先生は遠慮為されているなと思いました。
 私は、段位も巻物も同じだと思います。商売なんです。これは、武道に限りません。華道、茶道、書道、日本舞踊、みな同じではありませんか。華道において師範免状をだす…団体維持の資金集めと、普及活動という目的があるのではないですか? 普及活動、それこそが商売そのものではないでしょうか? 
 さらに言えば、宗教活動も同じと思います。この素晴らしい教えを世の中に広めることこそが、自らの使命であると信じ、困難に立ち向かう自己犠牲。それはそれで素晴らしいものでもあり、あるいは、はた迷惑な話しだと思いますが、普及活動は商売であるという側面を知って欲しいと思います。往々にして、そうではなく正義が前面に出てきます。私の嫌いな正義が!

 繰り返し述べます。あくまでも免状を発行するほうの立場において言っているのです。
もらう方の立場になれば、それが生きていく拠り所になった例も、知っております。
親の商売が失敗し、自己破産となった家庭がありました。病気で伏せた父親に替わり、二十歳前の息子が商売を立て直す為に必死に頑張った。世間の誰もが相手にしてくれない屈辱の日々。塩川先生から頂いた、空手道二段の免状だけが自分の支えだったと、目を潤ませて語った人を知っています。

「貴方は、空手をされているそうですが、何段ですか?」
 さあ、ここで質問です。二段と答えた場合と、七段と答えた場合はどうでしょう?
そうです、明らかに反応が異なります。これが、社会的な認知度です。
 そうです、段位制度は社会において、広く知れ渡っています。ということは、部外者にとっては、それが判断基準になってしまう、ということでもあります。
 どういった団体から段位が出ているか? 弟子は何人いるか? となると、かなり突っ込んだ質問となると思いますが、しょせん五十歩百歩ではないでしょうか。空手の本質である術に触れることはないのです。蛇足ながら、術は体現しなければ意味がありません。理屈では何とでも言えるのです。

 私は、塩川先生に思い切って『先生、段位っていったいなんですかね?』と質問致しました。さすがに、段位を出されている先生は、私の質問の意図は汲んだものの、明確な回答をなされず、次のような返事をされました。
「おい、谷、お前が段を出しても良いんだぞ。俺は文句は言わない。しかし、もらう方は、俺からもらった方が喜ぶか、あるいはお前からもらった方を喜ぶか、ただ、それだけの違いだ。そして、そんなもんだ」 
 やはり、塩川先生は本当に正直な人だと思います。

 ちなみに、今日では、全日本空手道連盟の段位が、結構権威を持ってきたようです。しかし、以前は異なりました。一生懸命に、全空連の段位を取るように、依頼がありました。(商売です)
 全空連の大会に出るには、全空連の段位が必要だとの、お達しもあったようです。(圧力?)
 塩川派糸東流でも、流派では白帯の者が、全空連の黒帯を取ったこともありました。
 六年ほど前に、我が六本木道場によく稽古に来ていたテツヤは、全空連の二段を持っていました。しかし、塩川派では初段であり「ヨーロッパでは、全空連の段位より、塩川先生の段位の方が権威がある」と言って、なんとか塩川先生から二段をもらいたいと、頑張っていました。
現在では、かつてと異なり全空連の段位は権威があるらしく聞き及んでいます。おそらくその通りでしょう、時が移るに連れて状況は変わって行くものです。
 なお、そのテツヤは、彼女が出来たと報告した後、音信不通になってしまいました。
 このHPを見たら連絡しやがれ! このぉっ!!


 この項は、塩川派糸東流の段位を受けるときの、岩目地先生の対応で始まりました。しかし、空手だけでは在りません。神道夢想流についても述べておきたいと思います。
 岩目地先生が、乙藤市蔵二十六代の統から免許皆伝の巻物をもらったのは、平成元年三月です。ところが、その前に一度、受領を拒否しているのです!
 詳しい事情は止めますが、当時、東京他、全国各地から乙藤先生のところには、杖道関係者の来訪がしきりであったと、聞き及んでいます。二十五代の統、清水隆次先生は、免許は出されたが、皆伝は、あまり出されなかったそうです。よって、乙藤先生……と、なったわけです。
 そんなただ中、皆伝を許すと言って、まさか拒否されるとは! さすがの乙藤先生も仰天なされたことでしょう。
 結果的に、岩目地先生はある条件を付けて、免許皆伝を受け取りました。そもそも、条件を付けて、了解してもらったら受け取っても良い! そんなことが武道世界の、師弟関係にあるんでしょうか?
 我が、一貫堂の塾統、岩目地光之という先生は、こんな先生です。
 この連載は、岩目地先生にとっては、不快なことは十分に分かっております。
 しかし、貴殿が師匠に為された態度に比べれば、可愛いいもんじゃないですか?
 どうか、お許しあれ!

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