師とその周辺







塩川寶祥伝(その十九)




 前項の最後に、杖道の話しが出たので、続けていきたいと思います。居合道と同じように、杖道師範の各先生について、塩川先生に質問したことがありました。
「先生、中嶋先生の杖はどうでした?」
「ああ、中嶋先生は巧かったぞ、何をやらせても巧かった」
「その他の先生で、塩川先生の眼から見て、感心なされた先生はどなたです?」
「そうだなぁー、まず乙藤市蔵先生、この先生の間合いの取り方は絶妙だった。それから、乙藤春雄先生、この先生は強かった。自分が対峙した中で一番強いと思った。しかし、言っておくが、怖いとは思わなかったぞ」
 乙藤春雄先生。最近では人口に膾炙することも希になったが、大変な先生であったらしい。兄である、乙藤市蔵先生に語ってもらいましょう。相手は、むろん塩川先生です。

 時は、昭和の初めである。誰の指示でかは分かりませんが、たぶん白石範次郎先生か頭山満先生ではなかったかと私は想像します。
 杖道を全国に普及するために、清水隆次先生が東京に派遣され、乙藤春雄先生は兵庫に派遣されました。つまり、関東と関西と言うわけです。乙藤市蔵先生は、身体が弱かったせいもあり、福岡に残って、流派の伝承に努めるよう指示をされた。
「春雄は何というか…乱暴者でな、そうだ、塩川先生、丁度あんたにそっくりだったよ。兵庫に行った早々に問題を起こしてしまったんだ」
「ほぉ、どんな問題を起こされたのですか?」
「田舎から、杖使いとやらが出てきたと、小馬鹿にされることが度々あったらしい。そこで、春雄は警察の剣道家の集まりの席で、大見得を切ったらしいんだ。『杖術がどれほどのものか、教えてやる! 何時でも相手になってやるから掛かってこい! お前ら、気を付けろよ、俺の杖は切れるんだ!』とやらかしたんだ」
「いかにも、春雄先生らしいですね」
「ところが、だれも勝負を挑むものが出てこない。そこで、春雄のほうから剣道を始めて、彼らに挑んでいった。結果的には剣道範士にまでなったんだが、肝腎な杖道の方は疎かになってしまった。普及どころろか、杖道の型も忘れてしまったんだから、あきれてしまうよ」
 市蔵先生が言われるごとく、春雄先生は、何となく塩川先生を彷彿とさせるところがある。そして、春雄先生の穴を埋めるべく、関西で頑張ったのが、中嶋浅吉先生であった。

 後年、春雄先生が、憶えておられた型は、五本か六本であったという。
「しかし、この五、六本が素晴らしかった。あれは強いぞ!」
 と、塩川先生は仰った。
 塩川先生をして、そこまで言わしめるのだから、大したものである。むろん、実戦でと言うことになろうが。
 ここで、あまり根拠のない与太話を一つ。
 神道夢想流は、宗家という呼び方をしない。その時代の師範を束ねる、“統 ”という呼び方をする。二十六代の統と言うわけである。
 しかし、これはあくまで表の世界のことであると言う。裏の統が、存在するというのだ。その、裏の統の役割は、神道夢想流に挑む武術が出てきた場合に、流派の存亡を賭けて戦い、叩きつぶ役割を担っているのだそうだ。その裏の統が、乙藤春雄先生であった。
 どうです? 話しとしてはかなり面白いが、信憑性のほどは、疑わしい。

 中嶋先生、乙藤春雄先生の実際の動きは拝見したことが在りません。しかし、乙藤市蔵先生の演武は、拝見しました。“日本の古武道”という、ビデオシリーズの神道夢想流杖術の巻です。
 素晴らしい! の一言です。これほど品格のある演武は、未だかつて見たことが在りません。
 ここでまた、余談になります。このビデオの撮影時の逸話を一つ。
乙藤先生は、直弟子の波止師範を相手に、“表”と“奥”の演武をされています。“中段”の演武は米野先生と、神之田先生です。
 カメラマンは、リハーサルをしますと言って、一通り乙藤先生と波止先生の演武を、カメラアングルを試しながら撮りました。
 いよいよ、本番を撮りますと言ったときに、乙藤先生が言われました。
「リハーサル……試し撮り? そんなものは、神道夢想流には無い! 常に本番、何時も真剣である!」
 と申され、誰が何と言おうと二度と演武をなされなかったそうです。プロデューサーも困ったでしょう。
 よって、あのビデオにおける乙藤先生の演武は、リハーサルの時に撮影したものです。
先生が真剣に演武されたものです。

 前置きが長くなりましたが、感動のあまり、恐れ多くも私、乙藤先生の真似をしたのです。大分以前の話しになりますが、杖道二段の審査の直前の事でした。
 今は、少し変更していますが、以前は初段を取り、二段の審査を受けることが決まるまでは、太刀(木刀)を持つことは許されませんでした。
 この、私がした乙藤先生の太刀の真似を、岩目地先生に激賞されたのです。
「谷さんの太刀、素晴らしいです。とても私の及ぶところではありません」
 もう、天にも昇る気持ちです。岩目地先生は人をからかうことは、決して言われない先生です。嬉しさのあまり、他の先生から、ちょっと? と言われても聞く耳を持ちませんでした。

 二段の審査は、杖三本、太刀二本で行われました。私は自信満々で審査に臨みました。そして、審査後の講評を、主任審査員で在られた、岩目地先生が申されました。そのとき、私については、
「谷さんの杖は良かったです。三段を許しても良いと私は思います。しかし、太刀が全然駄目でした。結果は協議の後に発表致します」
 我が耳を疑いました。どうして? 先生に褒められたのと同じように、やったつもりだったのです。同じように使ったつもりでも、僅かの差が、とんでもなく大きく違ったのでしょう。その日以来、乙藤先生の真似は止めました。そして、あの日以来、岩目地先生に太刀を褒められることは、今日まで在りません。

 二段の審査は合格しました。審査の終了後、会場で山田先生、松原先生に言葉を掛けて頂きました。
「今度は太刀を集中的に稽古しような」と。
 その時、岩目地先生が歩いて来られました。私は先生を掴まえて言いました。
「先生の指導が悪いから、太刀が下手なんです。悪いのは先生です」
「谷さん、あなたは私の弟子ではありません。塩川先生のお弟子さんです。文句は是非塩川先生に言って下さい」
 横で聞いておられた、川畠博師範が笑いながら言われました。
「谷さん、一本取られましたね。返す言葉がないでしょう。しかし、試験とは厭なものですね」
「川畠先生も厭ですか?」
「大嫌いですよ」
 以上が、乙藤先生の太刀を、私が真似した顛末です。生兵法は怪我のもとですか……。


 ついでに、私が真似をして、塩川先生から大目玉を喰らった話しを一つ。
 山口県に剣道、居合道の範士であられた、樋口信雄先生がおられました。流派は夢想神伝流です。この先生の居合が実に格好いいんです。断然気に入った私は、さっそく真似を始めました。
 剣の動きは実にユックリと行います。真っ向に上段から斬り下ろす場合でも、遠山の目付で、思いを込めるように、四秒ぐらい掛けてスーと斬ります。そして、剣をピタリと止めます。そのままの姿勢でまた三秒という案配なのです。横一文字も同じです。
 これをやっているのを、塩川先生に見咎められました。
「ばかもん! 何をやっておる! 俺の教えた通りにやれ!」
 大目玉です。今思い出すと、なんとも情けない話しであります。恥じ入るばかりです。単に型だけを真似ても、何の意味もないのです。樋口先生は、その型に至るまでに何十年という鍛錬を重ねているのです。出来上がった結果だけを、下手くそが真似てもまったく意味がありません。初めの内は、理屈は要りません。師匠の言うとおりに基本を積み重ねるべきなのです。

 と言っても、真似がすべて悪いわけでは在りません。技術の習得はすべてが真似だと要っても過言ではないでしょう。ただ安易に結果だけを真似ては、害になると言うことです。
 塩川先生は、守、破、離ということをよく言われます。
「守の間は、とにかく師匠の言うとおりにせよ。その時は、理屈で納得行かないことが在っても無視だ。それが、本人の為だ」
「何時までが守なんですか?」
「それは、師匠が決めるんだが、何時までも弟子を引っ張る奴も多いからな……一応の目安は、六段錬士だ。そこまで行けば破に行っていいだろう。そうなったら気に入った先生を、渡り歩くのも良いだろう。自分で考え工夫してみるのも良いだろう。俺は、一切文句は言わないし、むしろ奨励する。これは、糸東流の伝統である」
「えっ、糸東流……」
 突然、空手道糸東流が出てきた。
「ああそうだ。摩文仁先生から聞いたことがある。先生が、糸洲先生のもとで長年修行をしていた。そして、ある日、摩文仁先生はどうしても東恩納先生の“手”を習いたくなって、糸洲先生に申し出たんだ。糸洲先生はその時、許可を出し、さらに摩文仁先生を励まされた。これは、糸東流の伝統である」
「先生、では離とは?」
「ああ、長年修行をつんで、破の混乱がまとまり、自分なりの武術が出来上がった時だ。その時は、一流一派を立ち上げても良い。例えば、岩目地だ。あそこまで行けば、俺には何も言うことはない」
 書物によくある守破離と違って、私には極めて具体的に理解できた。 
その話を聞いた直後に、塩川先生がこう言われていますが、と言う話しを岩目地先生に申し上げた。
「谷さん、それは違います。私はまだ守の段階です」
 その返答はいかにも岩目地先生らしい。そして、衒いではなく、本当にそう思っているのだから始末に負えない。塩川先生が言うだけじゃない。乙藤先生から、免許皆伝をもらって、十七年も経つんだぞ!……いい加減にしろ!
(普通、免許皆伝は、修行を積み“離”の段階になった時に許されるものである。乙藤先生はその点は、実に厳しい先生であった)
 ところが、最近になって、やっと“破”の段階に入ったと、岩目地先生は申された。
好きにしろ!

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