師とその周辺







一途な人(その四)




 閑話を一つ、
 坐禅会に参加する人は、大部分老齢の方でした。当時、四十過ぎの私は若手の部類でした。しかもこの若手は、作務衣どころか夏はTシャツ、冬は赤のスタジアムジャンパーで通したのです。どうしてもそれらしい格好が出来ませんでした。
 最近こそあまり耳にしませんが、以前には、女優さんが映画でヌードシーンを取るとき必ず「脱ぐ必然性があった」とか無かったとか喧しいものでした。
 私もそんな乗りで、必然性がない! と思ったようです。武道の時は、始めるやいなや喜々として道着を見に着けたのですが、どうしてでしょう?

 そんなわけで、意外に私は目立っていました。しかし、住職から別段注意を受けたことはありません。おそらく老師も何も言われなかったんでしょう。
 ある日、禅会の仲間の一人と帰る方向が一緒だと分かったので、車で送ることにしました。その人は、私より年上の四十半ばの女性でした。この女性も存在感がありました。モンペに雪駄、上着も同じような木綿の着物、野良着をファショナブルにしたような物を毎回着ていたのです。明らかに自作の着物でした。だいたいあんな物を店で売っているはずがない!
 これまた、自作の木綿製の大きな袋を下げていました。その中には、禅会の活動記録や禅会が不定期に発行していた新聞、書籍などが入っており、彼女は世話人のような役目をしていました。
 年の割には、顔立ちは可愛く、何となく色っぽいところもあって、使い物に成りそうでした。(何に使うんだ?)

「谷さん、あなた喋ると全然雰囲気が変わるわね」
 車に乗るやいなや彼女は話しかけてきた。
「えっ、それって…」
「黙って坐っているときは、厳粛な感じなのに喋ると崩れるのよ。その落差があまりにも大きいわよ」
「く、崩れますか?」
「けなしている訳じゃないのよ。崩れるのも味があっていいわよ」
 その時私は、たぶん褒めてくれているんだと勝手に良く解釈して、彼女に好感を持った。「あっ、此処で良いわよ」
 と言って彼女は車から降りた。以後、毎回同じ場所で降りる習慣になった。ようは、自宅を知られたくないのだ。人間関係における彼女の間合いの取り方も好ましく感じた。

 ある日の事であった。
「谷さん、一寸話しがあるの。車を止めるところは無いかしら」
 一瞬、この街道筋にラブホテルが在ったかな? という思いが頭を掠めた。しかし、その妄想はすぐに打ち破られてしまった。
「あそこの、ドライブインに止めて。コーヒー奢るから」
 そこは、ファミレスよりかなり洒落た喫茶店であった。コーヒーカップも安物ではない。

「ちょっと、これ見てくれる」
 と言って、彼女は大判の小冊子を袋から取り出した。私は渡された小冊子の表紙を見た。そこには雑誌の名前の横に「仏教詩」と書いてあった。明らかに同人雑誌である。
「読んでみて。感想を聞きたいのよ」
 私は、少し時間は掛かったが、真剣に雑誌を読んだ。
 そこに、書かれていた内容は深刻なものであった。我が子を亡くした母親の慟哭。死を待つ床の上で詠まれた作品……。すべて切羽詰まった真情の吐露が述べられている。
 私がテーブルの上に小冊子を置いた時に、彼女が声をかけてきた。
「どう?」
 彼女は、明るく笑みを浮かべている。彼女のその笑みを見た瞬間、これは素直に感想を述べなければいけないと私は思った。
「仏教詩というジャンルが在ることは知りませんでした。読む私の胸が詰まるほど、苦しく悲惨な事が書かれていますね。しかし…」
「しかし、何ですか?」
「これは詩では在りません。詩になっていないように感じます」
 一瞬彼女の表情が強ばったが直ぐに、穏やかな顔に戻った。
「詩になっていないって?」
「文学のジャンルにおける、詩です」
「そう思うのね…」
「はい、残酷なようですが…詩であることを標榜せずに、切羽詰まった心境の吐露でいけば良いのになあ……」
「あなたのような意見を聞いたのは初めてよ。どうも、ありがとう」
 思えばその出来事以来、彼女との親密度は増したような気がする。
 その時の私の答えは、決して間違っているとは思えない。しかし、今の私には、詩であるかどうかはあまり関係ない。ようは感動すれば良いのである。たとえ詩として感動できなくとも。

 このホームページで小説もどきを書き始めて三年、「初めは作文だったけど、最近は小説になって来たわよ」と、ヒロ子さんに励まされております。
 私自身、小説という言葉には違和感が有りました。習作、作文の方が収まりが良かったのです。
 その事を、ヒロ子さんに申しますと
「だったら、日記として書きなさい。そして、誰にも見せなければいいのよ」
 とまたまた厳しいことを言われました。
 やはり、作文と小説の間には溝があると言えるでしょう。

 禅会の会員とはプライベートな付き合いは殆ど無かった。しかし、彼女は例外で気が向いたときには、話し込むことがあった。誘いは何時も彼女の方からであった。
 私は、彼女の住まいを知らないだけでなく、何で生計を立てているかも知らなかった。だが、一人住まいで、陶芸をやっていて和裁もやっていたことは間違いない。
 彼女の人生に何が有ったかを彼女は話さない、私も聞くことは無かった。ただ、彼女は仏教詩の同人誌に関係していることは確かだった。あるいは、あの日読んだ作品の中に、彼女のものが有ったかもしれない。いや、たぶん有ったに違いない。
(彼女のことは、以後、A嬢と書くことにする。本当は、おばさんだろうが)

「谷さん、今日は面白いところに案内しようと思うの、いいかしら?」
 いつもの禅会からの帰りだった。
「別に用事が有るわけじゃなし……いいですね、行きましょう」
 どこに行くかは聞かなかったが、私にはラブホテルで無いという確信が有った。
彼女の指示に従って着いた先は、一軒の住宅であった。簡素な佇まいの住宅だったが、一応、門があり玄関までは敷石の上を歩いた。出迎えてくれたのは、品の良い老女だった。歳は七十歳を少し越えたぐらいか。案内されて私は座敷に通された。
 玄関、廊下と何とも簡素な室内である。生活に必要な家具が有るばかりで、美意識から生ずる飾りというものが殆ど無い。
 ただ例外があった。なんと蝦蟇の置物がそこかしこに置いてある。

「変でしょ?」
 一人暮らしの老女は、微笑みながら言った。確かに異様な感じである。庭先を見れば蝦蟇の石像が何体もある。
「亡き、夫が趣味で集めていたんです」
 なるほど、私なんぞは蝦蟇と言えば、蝦蟇の油売りか、地雷也しか思いつかない。しかし、別段趣味を他人がとやかく言う筋ではない。
 A嬢が私をこの家に連れてきたのは、そんな理由からでは無いことは分かっていた。

「谷さん、実はこの家で、ポンタル君が七日間の断食行をしたのよ」
 とA嬢が言った。案の定である。
 老女は庭に面した部屋に案内してくれた。
「この場所に、ポンタルさんは座っていましたよ」
 指さす方を見ると、何となく壁にポンタル君の影がしみ込んでいる気がした。その部屋は庭に面していた。
「あいつ、本当に七日間断食行をやったんですか?」
「本当ですよ。ポンタルさんは、時々庭を散歩する以外は何時も坐っていました。眠るのも坐ったままでしたよ。そして、水だけ飲んで断食行をやり遂げました」  
 老嬢は当時を思い出し、懐かしそうに話し出した。彼をこの家に紹介したのが、A嬢だったのだ。
 変なのは、無くなった御主人ではなく、ポンタル君である。そして、どうやらこの老女も仏教詩の同人だという気がした。

 A嬢はある日突然、禅会に顔を出さなくなった。
 禅会を主催しておられる住職から、「Aさんから、連絡が有りました。禅会をお休みするとのことです……」という報告があった。
 以来、A嬢から私に連絡は無い。私も連絡しないまま今日に至っている。



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