塩川寶祥伝(その一)
第一次世界大戦が終結し、好景気に浮かれていた世の中であったが、大正九年、突如、日本列島は経済恐慌の激流に襲われてしまった。
大正デモクラシィーをはじめ、エログロ、ナンセンスなどという、私の感性にピッタリ来るような言葉も、うたかたの夢のごとく消し飛び、世の中は騒然としてきた。富山県下に始まった米騒動は日本各地に飛び火していく。
大正十一年、度重なる米騒動に嫌気がさし、塩川亀三郎は福岡県鞍手郡若宮町をあとにして、下関の三菱造船所に職を得て、移り住むこととなった。
亀三郎は塩川家の三男であり、長男、安五郎(よけいなことではあるが、とてつもない女好き)が赤松円心十七代目の当主であった。赤松円心入道則村といえば、南北朝時代の武将で播磨の守護職であったが、子孫が何故に北九州に本拠地を移したかは、解らない。また、このエッセイの本筋でないので放っておく。
ただ、塩川家は、貝島炭坑に米を送り込む仕事を一手に引き受け、直方からの鉄道、宮田線を自力で引いた逸話からすると、この地方の有力者であったことは間違いない。
こうなってくると、大正時代の筑豊炭坑に触れるのが筋であろうが、これまためんどくさいのでやめる。興味のある方は、五木寛之著、青春の門を読んでその雰囲気を味わって下さい。
塩川寶祥照成(しおかわほうしょうてるしげ)は、亀三郎を父、千恵を母として大正十四年、十二月十日、下関で出生した。照成は昭和天皇の姉、照宮成子(てるのみやしげこ)様からいただいたそうだが、出自、名前を裏切りとんでもない子供として成長することになる。
腕白、やんちゃ、どうげん坊主、等々、悪ガキを評する言葉は数々あれど、照成少年は遙かにその次元を超えていた。子供の次元どころか、大人の次元も遙かに超えていたのである。
どの程度、並はずれていたかの例として、照成少年の尋常小学校時代の、象徴的な出来事を二つ紹介してみたい。
これから述べる話を聞いたのは、今は亡き、塩川先生(つまり照成少年)の伯母さんからである。山口県の小月まで、先方の迷惑も顧みず、話を聞きにわざわざ尋ねていった私も、野次馬根性きわみの下衆と言えようか。
亀三郎を下関に呼びよせ、後に自分の娘、千恵との仲を取り持ったのが、義重じいさんである。(照成少年の祖父にあたる)
義重じいさんは、当時、著名な弁護士として、下関の名士であった。また、名の聞こえた剣道家でもある剛の者であった。
尋常小学校三年生の照成少年は、祖父に対して強い憤りを感じていた。なぜなら、このじいさん、威張るのである。特に、母親を含めた婦女子に対して威張り散らすのである。
ことあるたびに、自宅の座敷に、一族の婦女子を集め訓辞を垂れるのであった。そこでは、貝原益軒を気取り“女大学”の講義でもしていたに違いないと、私は勝手に想像する。 照成少年はこれが我慢出来なかった。平成十七年、よわい八十歳の現在まで、塩川先生が貫いてきた信念は、一、弱いもの虐めはしない。二、女性には必要以上に優しいと言うことだけである? (少し言い過ぎでした。先生許して下さい)
後者の、女性には必要以上に……は、私こと谷照之は、先生よりしっかり受け継いでおります。
『いつか、必ずやっつけてやる!』と、九歳の少年は心に期していた。武道家で土地の名士の大人に対してである。(さらに祖父)
なぜなら、『あやつは婦女子を虐めているからだ!』と少年は思った。わたくし、五十代を半ばを過ぎた谷照之は、単純にそうだと肯定できない部分もあるのですが……ともかく、照成少年はそう思ったらしい。
悶々としていた少年に、絶好の機会が訪れた。風雲急を告げる、ある日の午後の出来事であった。義重じいさんは、いつものごとく、一族の女性と子供に、自宅の座敷に集合を掛けた。
床の間を背に、羽織袴の義重じいさんは、十数人の女子供を睥睨して訓示を垂れた。
「まったく、けしからん! お前たちは何と心得るか! 我が家系に恥を塗るつもりか!」
この、じいさんの激怒した内容については、小月の伯母さんは、まったく憶えていなかった。ようは大したことはことは無く、じいさんの自己満足、いつもの習慣だったと思われる。一座の者は平伏して、じいさんの次の言葉を待った。
「愚か者め! 家系の長として、儂は腹を切らねばならぬではないか!」
その時、突然、照成少年は席を立ち座を外した。じいさんの許しがないうちに座をはずすなど、考えられぬことであった。あり得べきことが起こったのである。一座は重苦しい沈黙に支配された。
「台所の方で、なんかゴトゴト音がしているなと、思っていたら、照ちゃんが、出刃包丁を持ち座敷に入ってきたんだよ」
照ちゃん、いや照成少年は、そのまま義重じいさんの前まで歩み寄ると正座をして、じいさんの膝の前に出刃包丁を置くと、キッと相手をにらみ据え、言葉を発した。
「腹を切れ!」
「さあ、早く切れ!」
じいさんは、返答が出来ない。一座の空気も固まってしまった。
「あの、声、迫まり方はとても、子供のもんじゃあなかったよ」
往時を思い出しながら、ちょっと嬉しそうに、小月の伯母さんは私に話す。
「男が嘘をついていいのか!」
「武士に二言はないって、いったいなんなんだ!」
照成少年の追求は止まない。気迫と眼光で押しまくられたじいさんは、腰が浮き、気持ち床の間の方に後ずさった。しかし、少年は決して許さない。
「それで、どうなったんですか?」
私は質問した。
「じいさんには、どうしようもないんだよ。それで、私たちが照ちゃんを一所懸命なだめて、なんとか部屋から、つれだしたんだよ。じいさんの、あれほど困った顔を見たのは、あれが最初で最後だね。覚悟と言うんかね……とても、子供とは思えんかったよ」
婦女子に君臨していた、じいさん。婦女子に救われる結末になってしまった。
こうして照成少年は、九歳にして剣道家に勝利を収めたのである。胆力においては、並の武術家の域を超えていたとは言えまいか。小月の伯母さんの話はまだまだ続いた。
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