塩川寶祥伝(その二)
尋常小学校五年、十一歳の照成少年は廻りの大人からも一目置かれていた。早い話が、多少諦められていたのである。それに、追い打ちを掛ける事件が発生した。
前項でも述べたが、照成少年の遺伝子にまで組み込まれた本能は、弱いもの虐めは許さない。女性には必要以上に優しい。ただこの二点だけである。
その、本能の逆鱗に触れる事態が発生してしまったのだ。
照成少年の一学年上級生に、悪ガキがいた。この悪ガキは腕力が強く、さらに弱いもの虐めをする鼻つまみ者であった。その毒牙が少年の友人までにも及ぶにあたり、彼は立ちあがった。呼び出し、決闘、そして相手を叩きのめした。
「谷君、喧嘩に勝つ秘訣はなんだと思うか?」
後年、七十五歳の先生は、私に言った。
「なんです?」
「喧嘩に勝つには、腕力、技術ではない。ようは……」
先生は、具体的に教えてくれたが、ここで記すのはやめようと思う。
話しを戻すと、体力、腕力に勝る上級生を叩きのめす。ここまでは、珍しいとは言え、たまには起こる事件であるが、これからが照成少年の面目躍如となって行く。
彼は、仕返しをされたのだった。呼び出された決闘の場所に行くと、相手は四人であった。上級生の悪ガキと、その兄貴、そして兄貴の友人。この二人は明らかにチンピラであった。そして、もう一人、後日解ったのだが、この一人はヤクザの末端構成員で、貫禄を見せつけていた。
結果は、散々袋だたきにされてしまった。ふつうは、ここで終わるはずである。しかし、子供の喧嘩に大人が出てくることが照成少年には許せなかった。
彼は、執念深く仕返しの機会を狙っていた。
ある日、ついにその機会がやって来た。大人三人が遊郭へ上がっていったのだ。照成少年は義重じいさん宅にとって返すと、じいさん自慢の太刀を持ち出した。
少年は、太刀を胸に抱き、物陰から遊郭から出てくる三人を待った。執念深く待ち続けた。気持ちの高ぶりはなく、冷静で殺意だけが青白い炎を燃やしていたことだろう。
三人が出てきた。酒をかなり飲んでいる。欲望を発散したせいか、明らかに油断して歩いている。少年は鞘走ると、太刀を振り上げ三人に斬りかかった……。
命を奪うまでは行かなかったが、切られた三人は道に倒れ、血を吹き出している。急を聞いた人々が集まる。少年は血に濡れた太刀を持って、その場から走り去った。
自宅に帰ると、太刀を井戸に投げ込み、知らん顔をしていた。
多数の目撃者がいたのだ、警察の手が及ばないはずはなく、少年は逮捕されてしまった。井戸から、証拠の太刀も回収された。
「不思議なもんだな、人を切った太刀は、すぐに錆が出るぞ。井戸から上がった太刀にはもう錆が来ていた。あの井戸は多少塩分でも混じっていたのかな?」
違うでしょ! 先生! なにを仰るんですか、不思議なのは貴方の方です! そうは思ったが、わたくし、怖くてとても口に出来ませんでした。
「ちょうどその頃は、私たち長崎に住んでいたんだけど、たまたま、連れ合いが下関に行っていて、帰って来るなり話したんだよ。『おい、照ちゃんが大変なことをしでかしたぞ!』と言って一部始終話してくれたんだよ」
小月の伯母さんの話はまだまだ続く。
「連れ合いは、事件の新聞も待って帰っていて、見せてくれた。『辻斬り豆剣士、ヤクザ三人に斬りつけ、重傷を負わす』たしか、そうなっていたはずだよ」
「その新聞記事持っていませんよね?」
「ああ、持ってないよ」
私は、下関市立図書館に行き、その新聞を探した。しかし、見付けることは出来なかった。司書の方の話しによると、戦前の新聞もあるにはあるが、系統だって保存しているわけではないと言うことであった。
昭和十一年の地方紙、あるいは地方版、探すのは諦めた。
この事件は当然ではあるが、後々尾を引いて、少なからず少年の人生に関わってくる。親、親族からある意味で彼は、見放されてしまった。感化院にでも入って根性をたたき直して貰え位の乗りであったが、救世主が現れる。小学校の梅田先生であった。
梅田先生は、いささか度はずれではあったが、弱いものをかばう、照成少年の性根を愛していた。八方手を尽くし、先生が身元引受人になり、少年は彼の保護観察下に置かれることで結末と相成った。
高等小学校、青年学校を経た照成少年は、昭和十六年、大阪の桜島造船に奉公に出された。ここで彼は、摩文仁憲和先生の門に入るという、後年の彼の人生を決定づける出会いをする。しかし、この時、道場に通ったのはほんの、六ヶ月程度であった。
盆休みに帰省したおり、突然警察に逮捕されてしまったのだ。たまたま、北九州の戸畑で人切り事件が起こり、手口が似ていると言うことで重要参考人として取り調べられたのだった。
幸いなことに、すぐに犯人が逮捕され釈放されることとなったが、暗鬱な気分になってしまったのは、当然のことである。
「すまんかったな……」
と言って、刑事は親子丼を取ってくれた。少年は出された丼を食べながら、刑事に話しかけた。
「こんなに、札付きになったんではたまらん」
「真面目にやれば、そのうち信用されるようになるぞ」
「待っておれん。決めた、海軍の予科練へ行くことにする」
「お、おまえがかっ! おまえなんかに行けるものか……」
刑事は大笑いした。
「もし、行けたらどうする?」
「ハハハ、おまえが予科練に入れたら、俺は下関の街中を逆立ちで歩いてやるわい……」 ところがなんと、昭和十七年五月、照成少年は海軍の予科練に入ったのだ。さらに、予科練を終え、海軍高等飛行学校にも進み卒業した。
切っ掛けを作った刑事は、逆立ちをして歩いたかどうかは解らない。“頭が良い”という概念は、あまりに漠然として一言では言いがたいが、塩川先生は、常人を凌ぐ記憶力の持ち主であることは間違いない。
「谷君、試験に受かるのも、喧嘩に勝つのと、やり方は同じだよ……」
どこがどう同じと言うんだ! わたくしこと、谷照之には理解不能! パニック症候群に陥ってしまった。
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