永久に未完の組曲
男はつらいよの巻(二)



 
「摩美さん、渋谷まで歩くわよ」
「お姉ちゃん、タクシー拾おうよ」
「贅沢云うんじゃありません。歩いても十五分なんだから」
 麗子と摩美は、連れだって家を出た。
 麗子は『アキバ』に行って、パソコンの部品を買い、神田の古本屋街を探索する予定だ。一方、摩美は、銀座で合コンに出席することになっている。
 麗子は、黒のロングスカートに半透明の黒いブラウスを身につけ実にエレガントである。一方、摩美は、太腿も顕わな、身体に密着した白いワンピースを身につけ、首にはスカーフを巻いている。二人の美女が歩く姿は、街行く男どもをして、振り返らずを得ないものがある。
「摩美さん、また合コンなの」
「うん、そうよ、お姉ちゃん。いい男を捕まえなくちゃ」
「相変わらず、医者か弁護士なの?」
「そう、絶対条件ね」
 摩美は、単に男を引きつけるだけのために、フェリス女子学院に進学した。しかも、格好が良いからという理由で仏文科を選んだのだ。二年生に在学中だが、卒論は『ランボー』とすでに決めている。理由はこれまた格好いいからである。
「でも、摩美さんなら、男を捕まえるぐらい、簡単なことじゃないの?」
「医者や弁護士だけなら、いつでもゲット出来るけど、いい男がいないのよ。格好良くないと、生まれる子供が可哀想でしょ。せめて、お兄ちゃんぐらいの男が、何処かにいないかしら」
「お兄様のような男が、そうそう居るものですか」
「お姉ちゃん、男はやっぱり、外見よね」
「外見よりほかに何があるの」
「お姉ちゃん。お兄ちゃんに彼女は居ないのかしら、もう二十八なんだから。結婚してもおかしくはないわよね」
「お兄様は、あの家から三人を嫁に出すまでは、結婚はしないと断言してるわよ。それが、家長の努めなんだって」
 麗子が微笑んで言った。
「でも、お姉ちゃん。由美ちゃんだってあと四年もすれば二十歳よ、結婚してもおかしくはないわ」
 摩美が珍しく真剣な顔をした。
「お兄様は、結婚出来ないわ。なぜなら、私が永遠に結婚しないのだから」
 麗子は顎を突き出し、しれーと云った。
「えッ、お兄ちゃん可哀想・・・・・」

 渋谷駅から二人は、地下鉄銀座線に乗り込んだ。地下鉄はそれほど混んではなく、二人は並んで腰をおろした。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんが言ってたけど、今年中に、お母さんの十七回忌と、お父さんの十三回忌をするんだって?」
「ええ、その予定らしいわ。少し早いけどまとめてするんでしょうね」
 そもそも、法事なんてものは、麗子の興味の埒外であるが、兄、貴彦が一所懸命なので、適当に付き合っている。
 母親、北御門雅子が死んで十五年になる。当時三十五歳で、三女の由美を生んで一年後のことであった。心不全で倒れそのまま意識が戻ることはなかった。摩美が四歳のときで、彼女には母親の記憶がない。写真で見る限りでは、儚げな美しい人であった。母の親友の両国のおばさんに言わせると、外見は、麗子とそっくりだが、性格は貴彦に似ているとのことだ。
 父親、北御門貴之が亡くなったのは、十二年前、四十三歳の時だ。交通事故であえなくこの世を去った。当時、麗子は十一歳。以来、兄、貴彦の奮闘ぶりを、身をもって知っている。これまた、両国のおばさんに言わせると、父親は、外見は貴彦、性格は麗子に似ていたそうである。
「お姉ちゃん、法事だったら、京都のおじさんが来るんでしょうね」
「当然、来るわよ。法相宗なんていう、珍しい宗派の上に、独立宗教法人だとうそぶき、本山もなく、檀家は北御門家だけなんだから。宗教活動と言ったら我が家の法事だけなのよ」
 おじさんとは、名前を北御門貴舟と言い、兄妹の父、貴之の兄である。北御門家の本家を継ぎ、京都の通願寺の住職で、六十二歳の独身である。
 出来得れば、貴彦を後継者にと考えているふうがある。
「でも、おじさんお金持ちよね」
「そうよ、広い土地に駐車場や、マンションを建て、経営しているのよ。摩美さん、養子に行ってさしあげたら」
「お金持ちは好きだけど、お寺なんて、格好悪いからいやだわ。お姉ちゃんは、どうなの?」
「私? 摩美さん、私の信条を知っているでしょ」
「えッ、何だっけ?」
「言ったこと、無かったかしら『死して屍、拾う者なし』よ」
「えーッ!」
 さすがの、摩美も二の句が継げない。
「摩美さんの人生訓は何なの?」
「うーん、あんまり考えたこと無いけど、『棚からぼた餅』なんていいかな」
「摩美さん。それ、あなたにピッタリよ、肛門に親指ってところかしら」
 麗子は儚げな美貌で、きわどいことを平然と言ってのける。それにしても・・・・・
「お姉ちゃん、こ、肛門に親指ってなんなの?」
「想像してごらんなさい。ピッタリという感覚がするでしょ」
「・・・・・」
 言われた通り、想像してしまうのが摩美の素直なところである。天衣無縫な摩美も、麗子にはかなわない。さすがに北御門家の長女である。
「おもしろーい。お姉ちゃん、由美ちゃんの信条はどんなのかな?」
「そうね、『当たって砕けろ』とでもいうところね」
「うんうん、解る。ピッタリ・・・・・いや、肛門に親指だわ」
 早くも、摩美は言葉の使い方をマスターしたようだ。
「では、お兄ちゃんわ?」
「そうね、『七転び八起き』、『七転八倒』ってところかしら」
 麗子は平然と言い放った。一見、似ているようではあるが、よく考えてみれば、似ているところは、七と八だけではないか!
「お兄ちゃん可哀想・・・・・」
 摩美の眼はうっすら涙ぐんできた。


 可哀想なお兄ちゃんが、長靴に作業ズボンをはいて、北御門家の敷地内の草むらを這いずり回っていた。頭にタオルを巻き、長袖のシャツに右手に鎌を持っている。長い身長を折り曲げるように、腰を屈め雑草を刈っている。額に髪が貼り付いている。
 たまたま、居合わせた不幸な近藤努も半べそをかきながら、貴彦と同じ格好で草むらを這いずりまって、鎌を振るっている。
「なんで、僕がこんな事をしなけりゃならないんだ」
「近藤! 何か言ったか」
「いえ、何でもありません!」
 しかし、本当に不幸な男は、近藤ではない。
 真実哀れな男、熊田一雄は、貴彦から借りた。いや、無理矢理履かされた、ズボンは腰までも上がらず、上着もつんつるてん。太鼓腹をむき出しにして、草むらの上に腹這いになっている。言い訳がましく鎌を動かす振りをしていた。惨めさに涙まで流している。
 数百坪の敷地の雑草を刈る。これは、大変な重労働である。週に一度、一日中草刈りに費やしても、綺麗になることはあり得ない。やっと刈り終えたとおもったら、すでに最初に刈ったところの雑草は、もう勢いよくのびだしている。貴彦にとっては、今日はしてやったりの大安吉日、役に立たぬながらも、男の手があるのだ。
「先輩、俺、非番じゃなく、勤務中ですよ」
 熊田の情けない声が、草むらからした。
「職務中の人間が、将棋なんぞをしにくるもんか」
「あッ、根にもっている」
「なにがだ」
「先輩、次からは気持ちよく待ったしますから、許して下さいよ」
「あッ、お前、僕がそんなケチな男だとおもっているのいか」
「ケチな男じゃないか」
 熊田はボソッとつぶやいた。
「何か言ったか?」
「なんでもありませーん」

 庭師とは言わずとも、シルバー人材センターに頼んで、下草と庭木の剪定を頼んだ方が楽なのだが、金がもったいなくて、とても貴彦は頼む気にならないのだ。
 それにしても、そろいもそろって妹三人は金のかかる私立の学校に行っている。歯がゆいことだが、貴彦はそれを口に出して言えない。家長として、扶養家族の面倒を見るのは当たり前だと、いつの間にか刷り込まれているのだ。
 もっとも、麗子には、金がかかった覚えがない。都立高校を出て、私立大学に入学したが、大学時代から、家庭教師のアルバイトをして学資を工面し、今は予備校の講師のアルバイトをして、家計費の助けもしてくれる。
 数年前のことである。
「お兄様、草刈りは大変でしょ。除草剤を蒔いたらどうですか?」
 麗子が、穏やかな笑顔でそう言った。
「除草剤か・・・・・」
 貴彦も多少その気になった。
「そうです、販売禁止の強烈なのを、ネットで手に入れますわ。根絶やしにしてしまいましょうよ」
「根絶やし!」
「そうです、殲滅するのです」 
「そッ、そんな可哀想な事ができるか。草が無くなったら、コオロギ、青虫、蚊やハエはどうするんだ。僕は一人でも、庭は責任をもって管理する」
「そうですか、どうぞご随意に」
 今にして思えば、麗子の言うことを聞いておれば良かったと、貴彦は心底おもうのだが、今更後には引けない。何たって彼は家長なのである。弱みを見せるわけにはいかない。
 しかし、貴彦はつくづく思う、麗子と言い合って勝ったためしはない。言うことを聞かないでいつも後悔するのも、彼だ。

「あーあ、ヤクザとの抗争がなつかしい。拳銃を撃ち合う方が、こんな拷問より遙かに楽だ」
 熊田がぼやく。
「あとで、ビールを振る舞うよ」
「ビールを飲む気力がありませーん」
「せんぱーい。僕は、冷たいモーゼルワインがいいな」
 近藤が言い終わるかどうかと言うところで、貴彦が投げた鎌が飛んできて、近藤の頭を掠め地面に突き刺さった。
 近藤は仰向けに倒れ込んだ。彼の頭に言葉がこだまする。
「仏滅・・・・・三隣亡・・・・・」
 そのうち、近藤の意識は草原の彼方に消滅していった。

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