永久に未完の組曲
家族旅行の巻(五)



 


「次に、魚市場からの仕入れだが、これのだけの解決なら簡単にいきます」
「えッ、そうなんですか」
 直樹にとっては、日参してお願いしても取引してもらえなかった事実がある。にわかには信じられないという顔をした。
「山尾食品の取引先が、この近くの小田原の早川魚市場にあるが、あえて、そこに頼むこともないでしょう」
貴彦は、旅館乗っ取りをたくらむ、古川金融を含むヤクザ組織があらゆる方面に圧力を掛けていると見ていた。大人しくヤクザを押さえるには熊田、暴力に訴える場合は貴彦が乗り出すとみんなに説明した。
 素人がヤクザを暴力で始末するとの話に、社長夫婦は驚愕したが、他のみんなは、当然のことだと頷いた。
「最後の客足を伸ばす件については、これは簡単には行きそうにありません。後輩の近藤の叔父は大手旅行社の役員をやっているので頼むことはできるのですが」
「えッ、あのコンドーム!」
 思わず由美は口を滑らせてしまった。みんなの視線が由美に集まる。
「由美よ、そりゃなんじゃい?」
 貴舟が、ニヤニヤしながら言った。
「静かにお願いします。旅行社に頼むのはいいが、すぐに効果は望めそうもありません。早くても二シーズン、二年は掛かると見なければならないでしょう。そこで、麗子。なにか考えはないだろうか」
 みんなの視線が今度は麗子に集まった。
真打ちの登場である。さしずめ歌舞伎なら拍子木が鳴り。『いよー、麗子屋ーッ』とでも声が掛かるところであろう。

「おじさまに、お聞きします」
 麗子は静かに問いかけた。
「なんじゃい?」
「確か、おじさまの後輩の方で、警視庁に奉職されていらっしゃる人が居られたわね」
「ああッ、毛利警視副総監のことか、昔はいじめたもんじゃが」
「けッ、警視副総監でありますか!」
 熊田がときならぬ叫びをあげた。上下関係に厳しい警察において、警視庁、警視副総監といえば雲の上の存在である。なにせ、うえには警視総監しかいない、ナンバーツウなのだから。
「熊田さん、暴力団関係にはその方、睨みが効くのかしら?」
「効くもなにも、毛利副総監どのは、組織犯罪対策部長も兼任されてあられます」
 熊田のもの言いからして、変わってきた。
「わかりました。この旅館、ヤクザの保養所兼、集会所にいたします」
 当然のように麗子が言い切った。
「いたしますって、いくらなんでも」
 貴彦も面食らった。
「他に、即効性のある再建策はございません。いやなら心中なさるべきですわ」
 身も蓋もない言い様だが事実である。
「関東最大の指定暴力団に、吉田会があります。構成員、準構成員を含めて一万二千人の大所帯です。先頃、お兄様が、いじめられた浅草の石田組もその配下のはずです。違いますか熊田さん」
「そ、その通りだが、麗子さんが何故知ってるんだ?」
「ネットですわ。ヤクザ社会は、儀式、儀礼にうるさいところです。宴会の席の序列を間違えただけで、刃傷に及ぶと聞いております。襲名披露宴、出所祝い等、儀式は日常茶飯事ですが、現在警察の締め付けが強く、公共施設はおろか、ホテルの式場も使えないありさまです。違いますか熊田さん」
「そ、その通りだが、麗子さんが何故しってるんだ?」
「ネットですわ。同じ質問とは、熊田さん少し能がないですよ。それはともかく、宴会好きなヤクザ屋さんのことですし、構成組織もそれぞれ独自性を維持していることを考えれば、使用頻度において、二十万人の従業員を要する、単一組織の企業の比ではないと思います」
 場の皆は、麗子の言葉に聞き入っている。ヤクザの保養所については、すでに既成事実になったかの感があった。

「図面を見せて頂き、実地に見聞したところ、山田旅館の宿泊人員は別館を合わせて五百名、駐車場は百五十台収容可能です。百五十人を収容出来る宴会場が三つ、その内二つの宴会場の仕切を外せば、収容人員、三百人の大宴会場になります。襲名披露でも何でもいらっしゃいと言うところですわ」
 麗子の説明は、立て板に水のごとくに淀みなく進んでいく。熊田による末端組織への勧誘に時を同じくして、毛利警視副総監への頂上作戦にまで及んできた。
「おじさま、副総監様へのアポイント、よろしいですわね」
「ああいいとも」
「吉田会、会長への紹介を御願いすることになるけど、熊田さんではちょっと、役不足かしら」
「自分は、いまいち自信がありません!」
 副総監が登場していらい、明らかに熊田の言葉遣いが変わってきた。
「わしが、一緒に行こうかい」
「おじさまは、ご遠慮なさって。事態が混乱して、ことが面倒になりますから」
「じゃあ、私が行こう」
 久しぶりに貴彦が発言した。
「お兄様は、我が家の家長ですから。わざわざおいで戴くこともございません」
 やんわりと、貴彦の体面を保ちながら麗子は拒否をした。貴彦の交渉能力には不安があるのだ。それにしても、山田旅館の運命を決める決定権は完全に麗子の手の内にある。
「わたくしが、行くしかないかしら」
 麗子がそう言った時、貴舟がおもむろに発言した。
「麗子が行くこともないだろう。わしが、毛利に言っとくよ。熊田というものが、行くから理由の如何を問わず承諾しろと」
「そ、そんなことが、出来るのでありますか! 本官は信じがたいであります」
 熊田はついに、本官になってしまった。
「ああ、わしに逆らいでもしたら、殴ってやる」
 熊田が、貴舟に向かって敬礼をした。

「いちおう、そちらの目処は付いたわね。次にお金の問題だけど社長さんどうなの?」
 麗子は、次の対策に話題を移した。
「資金繰りの目処はまったく立ちません。売り上げ予測が全く立たないからです。金利等返済資金、分納の固定資産税の支払いなどで今月一千万円は必要となります」
 公認会計士、山田直樹がなさけなさそうに説明した。
「保養施設、吉田会館は入会金を集めます」
 麗子が自信を持って言い放った。それにしても、名称まで決めてしまったのか。
「警視庁、組織犯罪対策部長と対決する覚悟のあるヤクザなど、存在しませんから。喜んで入会するでしょう。入会金として、各組織から組員一人につき、一万円。一万二千人だから、一億二千万円を今月中に振り込んでもらいましょう」
 その場の全員が呆然とした。そんなことがあり得るのだろうか? いや、話はでかいがきわめて実現性は高い。ましてや麗子のたてた計画である。狂いを生ずるはずがないではないか。
 話はさらに、進んで、年会費は一人同じく一万円。配下の組織単位で、協賛金年間五十万円。さらに、宿泊費、宴会費用は世間相場ということで決定した。
「先ほど、吉田会館と申しましたが、それはあくまで便宜上です。正式名称はゴールデンホットアイランドホテルで如何でしょうか。名称決定ののポリシーは、派手に下品にです。内装、外装もその線でいかがでしょうか。ヤクザ屋さんが好まれると思いますので」
 むろん、反対意見など出るはずがない。
 万歳三唱のうちに、ゴールデンホットアイランドホテルは発足したのだ。

 話が一応の決着を見たところで、貴舟はこそこそと、その場を外した。ちょっと、散歩してくると言い置いたが、風俗店に行くに決まっている。どこで手に入れたのか、懐には『熱海のソープランド、早朝割り引き』なるパンフレットが入っているはずだ。
 おいおい、歳は幾つだ。昨夜は寝てないだろうが!
 貴舟はエレベーターを降りた。相変わらず作務衣を着て、総髪を後ろで束ねたスタイルだ。フロントの横を通ろうとした時にそこにいた人と眼が合った。
 フロント側のソファーには老夫婦が座っていた。この夫婦、一日中ここに座っているのだろうとしか思えない。
 貴舟と老人は、お互いハッとした。知り合いらしい。貴舟は老人の側により、話しかけた。
「あなたは、黄門様じゃありませんか!」
「そういうおたくは、北御門御住職!」
「これは奇遇ですな、こんなところで御老公とお会いするとは」
「私の方こそビックリしました。あ、紹介しましょう。これがわたしの老妻、咲子です。こちらは、京都の北御門さんだ」
「お初にお目に掛かります。吉田の妻の咲子でございます」
「いやいや、ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。わたくし、北御門と申します」
 貴舟は勧められて、老夫婦の前のソファーに腰を下ろした。
「ところで、御住職。こちらまで来られたのはどういった御用向きですかな?」
 御老公の眼がキラリと光った。
「まったく用向きはないんです。麗子、あッ失礼、姪の車に乗せられたらここに来てしまったわけでして」
「姪御さんは、今朝ほど到着された、黒いロングドレスのとても綺麗な方ですか?」
「ええ、そうです。他にも甥と二人の姪が昨日から泊まっておるんですよ」
「ほー、そりゃあ、そりゃあ。昨晩の大活躍は見ものでしたぞ。さすがに、御住職の身内の方ですな。たいしたもんですよ」
 御老公も感心しきりである。
「いささか、たいしたもん過ぎますな。この旅館を救済するために、ここを広域指定暴力団、吉田会の保養所にするそうです」
 貴舟の眼がキラリと光った。
「ほー、私になにか、お手伝い出来ることが有りますかな?」
「いやいや、若い者の、手並みをご覧下さい」
「もし、上手くいかなかったら。関西の野中組でも出てくるんでしょうな」
「まあ、そう言う事には、ならないと思いますよ」
 野中組とは、日本最大の広域指定暴力団である。
「私も、会長の山中のお手並み拝見と行きますか」
 吉田会の会長が呼び捨てである。
「そうですな、年寄りの出る幕ではないでしょう」
 そう言う、貴舟はまだ、六十二歳である。年寄りとは言えないであろう。いずれにせよお互い、腹の探り合いというところだ。

「おじさん、古川金融に行ってくるからな」
 貴舟に向かってそう言うと、熊田とゲンが勇んで旅館から出て行った。間違えてはいけない、旅館ではなくなり、ゴールデンホットアイランドホテルであった。

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