永久に未完の組曲
家族旅行の巻(六)



 


「由美ちゃん、さっきの打ち合わせ分かった?」
「よくわからない、摩美ちゃんは?」
「多少は分かるけど、いまのところ出番は無いみたいね」
 まだ細かい打ち合わせは続いているようだが、摩美と由美は早々と部屋に戻ってきた。「由美ちゃん、ここにいても仕方ないから出かけない」
「どこに行くの?」
「駅からの商店街があったでしょ。あそこ行ってみようよ、まだ色々面白い店がありそうだし」
「そーね、ここにいても仕方ないし。行こう摩美ちゃん」
「じゃーちょっと待ってね」
「早くしてよ」
 今から、摩美は改めてお色直しに入るのだ。ちょっとが、摩美の場合確実に三十分になる。
「おまたせ、行こう由美ちゃん」
「うん、もー長いんだから」
 二人が出かけようとしたとき、麗子が部屋に入ってきた。
「お姉ちゃん、終わったの?」
 摩美が尋ねた。
「ええ、みなさんは未だ色々なさっているけど。わたくしはここまでで、すべて終わりにいたします」
「お姉ちゃん、今から由美ちゃんと商店街にいくの。一緒にいこうよ」
「わたくし、ここで休んでますから、行ってらっしゃい」
「姉ちゃん、何時もそう言って一緒に出かけないんだもの」
 由美も麗子と出かけたいらしい。
「お姉ちゃん、たまには一緒に出かけましょうよ。お願い」
「分かったわ、じゃ行きましょう」
 摩美と違い、麗子は出かけると行って改めて化粧をすることはない。常にきちんとしているのだ。人に隙を見せることがない、という言い方もできる。
 由美は高校生になっても、化粧というものを知らない。

 三人姉妹がエレベーターを降りた。麗子は黒いロングドレス、摩美は、ツーニットの上着に白のタイトスカート、由美はセーラー服姿である。
 ロビーでは、貴舟と老夫婦が話しをしていた。
「こんにちわ、おじちゃんお友達になったの?」
「ああ、そうだ、紹介しようかい。姪の麗子、摩美、由美です。こちらは吉田ご夫妻だ」 三人は、それぞれ名前を言って会釈をした。老夫婦は、立ちあがって会釈を受け、名乗った。姉妹は知的な感じのいい老人だと思った。
 麗子は大学院の松永先生に似ていると感じ、親近感を持った。
「私たち、商店街に行くんですけど、ご一緒しません?」
 人なつこい摩美が誘う、こういう場合、いつもならいやがる麗子だが、松永先生に似たの面影のせいか機嫌良く微笑んでいる。
「よろしいんですか?」
 老婦人が嬉しそうに言った。
「行きましょ、行きましょ。おじちゃんはどうするの?」
「おい、おれはついでかい!」
「あら、おじさまは、ソープランドの早朝割り引きと聞きましたわ」
 麗子が冷たく言い放った。吉田老人は頭を掻きながら照れ笑いをした。

 旅館を出てすぐ横の坂道を上がっていくと、五分で商店街の入り口に着く。ちょうど山田旅館の駐車場の側を道が通っている。駐車場は所々にひび割れが走り、雑草が顔を出していた。
 寂しい光景の中、摩美は吉田老人と腕を組んで、楽しそうに歩いていく。ときおり笑い声も聞こえる。なにかご馳走してもらおうとの魂胆かもしれない。
 老人はベージュのシャツにズボン、ループタイを結びキャメルのジャケットを着ている。老婦人は、白いブラウスの襟を立て、金鎖のネックレスを着け、黒いスラックスを履き、肩には黒いセーターを掛けている。
 七十過ぎだというのに、二人とも背筋がピンと延びているのに、麗子は感心した。
「麗子さん、あなた髪を巻き上げてらしてるけど、長いんでしょ」
「ええ、腰ぐらいまでありますわ」
「素敵ね、襟首なんか、女の私が見てもドキッとしますよ」
「えッ、そんな・・・・・」
 麗子には珍しく、頬にうっすら紅が差した。
「おばあちゃんになるとだめね。髪もこんなに白くなって」
「そんなことございませんわ。とても素敵です。ご主人も素敵ですね、わたくしも奥さんみたいに歳を取りたいものですわ」
「ありがとう、でもホントに羨ましいのよ。とても綺麗で、やりたいことを一所懸命なさることが出来て。どうして分かるとお思いでしょうね、でもこの歳になって欲が本当になくなると、人様のことがよく分かるんですよ」
 老婦人は孫にでも話すように、優しく麗子に話しかける。
「仰るとおり、わたくし、本当にしたいことをさせて頂いています。妹にも、とくに兄には感謝してますわ、みんなのおかげだと思っています」
 麗子は本心からそう言った。
「夫もわたくしも、時代の波に翻弄されながらも、必死に生きて参りました。主体的に考えればしたいことを、してきたとも言えるでしょうね。鋭い感性をお持ちの麗子さんならもう気づかれておられるでしょうね」
「はい、お名前と、伯父と知り合いだと言うことを思えば・・・・・」
「その通りです。夫は吉田一家の総長です。一応、吉田会の方は、山中にゆずって引退ということに成っておりますが。なかなか世間は許してくれません。でもホントに嬉しいわ、あの姿をごらんなさい」
 摩美に続き、由美ももう片方の腕にすがって、吉田老人に何か言っている。
「あんなに、嬉しそうに気持ちの緩んだ主人を見るのは初めてよ。お知り合いになってありがたいわ、今後ともよろしくね」
「いえ奥様、わたくしの方こそよろしくお願いします」
 兄と手をたずさえ、突っ張って生きてきた麗子は、老婦人との会話で気の緩むのを感じた。

「お爺ちゃん、これどう? ステッキ、似合うとおもうんだけど」
 摩美が土産品店の店先から、杖をもちだして吉田老人に持たせる。よくある大量生産の安物である。
「どうもな」
 吉田老人は気に入らないようだ。当然である。持つならもっと上等なものにするだろう。「ちょっと見せて」
 そう言うと、由美が杖を受け取り、二〜三度、振り回した。
「一応、樫ではあるけど、使い物にはならないわね。まず細い、木目が真っ直ぐ延びていない。人を叩けば簡単に折れるわよ」 
 由美は何を考えているのだろうか。ぜったいに杖の使用方法に誤解がある。
「ねえ、お爺ちゃん。これいいと思うけど?」
 摩美が手に取ったのは、ループタイであった。
「摩美ちゃん、それあんまりよくないと思うよ」
 異議を唱えたのは、由美だった。
「由美ちゃん、そんなこと言うけど、よく見てよ。般若心経が入ってるのよ」
 般若心経入りのループタイの、どこがいいんだ! 老い先短いから唱えろとでもいうのか! 
「この、ペンダント、おばあちゃんにどうかしら?」
「摩美さん、こんどは観音経でも入っているとおっしゃるの」
「お姉ちゃん、観音経てなーに?」 

 摩美と一緒に歩くと時間の掛かることこの上もない。店々で、どうしても引っかかり取っかかりになってしまうのだ。性格ではなく、持って生まれた性質のため、矯正のしようがないし、また、する必要もないだろう。
 摩美がかわいい喫茶店を見つけて、皆を引っ張り込んだ。
「由美ちゃん、何にするの? 私、フルーツパフェー」
 由美もフルーツパフェーを注文した。老夫婦はコーヒー、麗子はいつものごとく紅茶だ。「よーッ」
 ドアを開け、がやがやと不良っぽいのが入って来た。と思った瞬間、彼らは静まりかえった。
「あなたたち、なにか用なの」
 眉間に皺を寄せ由美が言った。
「あ、あ・・・・・そのう・・・・・」
 入ってきたのは、昨日、由美と摩美を襲撃した、ヤンキーのマサたち四人であった。 「手加減してあげたのに、またやるつもり」
「と、とんでもありません。失礼します」
 四人は踵を返すと、急いで出口に向かう。
「ちょっと待ってちょうだい」
 摩美の舌っ足らずの声がした。四人の足が止まった。
「入ってすぐに出たら、お店の人に迷惑でしょ。静かに座って注文してね。私、フルーツパフェーがいいと思うわ」
 四人は、すごすごと窓際のボックスに腰を掛け、言われたとおりにフルーツパフェーを四つ注文した。

「知らぬこととは言え、昨日はすみませんでした。先ほど、古川金融で熊田刑事と、摩修羅のゲンさんにお会いしました」
 マサが代表して詫びを入れた。
「何か云われたの?」
「はい『あの兄妹には近寄るな、命がいくらあっても足らんぞ』と言われました」
「摩修羅のゲンて、なあに?」
 ヤンキーの相手をしているのは、摩美である。
「ご存じないんですか! 毘沙門天のヘッドを努めたゲンさんを!」
「知らないわよ。そのほかに何か云ってた?」
「一番怖いのは、黒いロングドレスの・・・・・いやッ、云ってません。云ってません!」
 麗子が席を立ち、マサの目の前に歩を進めた。マサの顔は青ざめ、いまにも泣き出しそうである。
「ちょっとお聞きしてよろしいかしら」
「はッ、はいッ」
 マサの声が震えている。
「熊田さんの交渉の結果はいかがでしたの」
「あ、あの怖い古川社長が土下座をせんばかりにして、言うことを聞いていました」
「そうなの、ご報告ありがとうね」
 そう云うと、麗子は席に戻った。
 四人は、そわそわと落ち着かない。腰も浮いている。
「あのー、すみませーん・・・・・ちょっと用事が・・・・・お金はここに置いておきまーす」
 四人は、そーと出口に向かった。おどおどしながらドアを開けると、脱兎のごとく駆け出した。

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