無駄話が続いている間にも、車は青梅街道を横切り渋谷区に入った。話しに夢中になっていた熊田はやっと異変に気が付いた。車の前後を、バイクや改造車が取り囲んでいたのだ。明らかに暴走族だった。麗子はしばらく前に気づいていたが、注意をうながすことはしなかった。本人は否定するだろうが、彼女は事件に巻き込まれることを好む変な習性がある。
「何で奴らが、この車を狙うんだ?」
不思議そうに、熊田が呟いた。言葉とは裏腹に、期待でときめいているような顔をしている。彼は気づいていないようだが、無理はなかった。何と言っても、急ブレーキ、急発進、無理な車線変更、時速二十キロのノロノロ運転と、山手通りを傍若無人に走っていたのだ。暴走族を刺激しないはずがない。
みるみる、車の数が増えてくる。携帯で呼びかけているのだろう。前の車がスピードを落とした。横の車が幅寄せをしてくる。凶暴そうな顔をした若者が車の中をのぞき込んできた。麗子と視線があったとき、若者は、おやっと、怪訝そうな顔をした。ぼろ車と彼女の容姿に、違和感を抱いたのかも知れない。
前の車がウインカーを点滅させた。横の車が左折しろと合図を送る。
「こりゃ、おもしろくなってきたぞ!」
熊田が、舌なめずりをする。
「姉ちゃん、おもしろいことになりそうよ」
由美も嬉しそうだ。
「そうかしら」
麗子は気のない返事を返した。
車は、新宿中央公園の方に誘導されていく。
「何処かいい場所が、あるのかなぁ」
なぜ、由美が場所の心配をするのだ。
「由美ちゃん、この先にビル工事の中断した場所がある。そこだと思うぞ」
「工事の中断ね? 姉ちゃんなぜ中断するのかな」
「バブルの傷跡がまだ残っているのね。由美さん、いろいろ事情はあるでしょうけれども、中断の最大の理由は、金融機関の継続融資が受けられなくなったことでしょうね」
「バカね。姉ちゃんに頼めば、解決して貰えるのに。熱海の山田旅館のように」(家族旅行の巻、参照のこと)
麗子に乗り出して欲しいとばかりに、由美は助手席から身を乗り出した。
「面倒なことは、お断りよ。守銭奴どもの、愚かな記念碑は永久に残しておいた方がいいとおもうけど、どうでしょう熊田さん」
「は、はあ」
「当時、愚かにも日本経済のファンダメンタルズは盤石だと、学者や官僚が声をそろえて叫んでいたけれど、それから僅か数ヶ月で、バブルが弾けたんですもの、良い記念だわ」
熊田には、とうてい答えようもない話題を、麗子は振った。熊田は返事にこまってしまった。それにしても、バブル崩壊当時の麗子は、高校に入学したばかりの頃のはずだ。その歳で経済、金融問題について興味を持っていたのだろうか。
廃墟の光景は、微妙に人の感性にしみ込む何かがある。それは、役目を終えて滅び逝く哀感かもしれない。
しかし、ここには生まれ出ることの出来なかった、荒廃があるばかりだった。麗子のいうとおり、精神の頽廃を現す記念碑に違いない。
基礎コンクリートを打ち放しで放置された乾いた地面に、熊田の車は誘導された。鉄骨が剥き出しの建物がそびえている。廻りは、鉄板とシートの柵で外界から隔てられている。意外に広い空間だった。時々、暴走族が集まっている感じがどことなく漂っている。
七、八台の改造車と同数のバイクが、熊田の車を取り囲んだ。
「姉ちゃん見てよ。見栄えの悪いのが降りてくるよ。なんであんなに格好が悪いんだろうね」
車から、いかにもそれらしい男女が降りてきた。全部で三十人近くはいるだろう。手に木刀、鉄パイプ、金属バット、チェーンをこれ見よがしに振り回している。この状況に普通の人間が置かれたならば、歯の根も会わずに震えあがるか、あるいは絶望的に逆上してしまうだろう。
しかし、車内の三人の様子は、別段何ら変わるところはなかった。
「由美ちゃん、やるかい」
「熊田さん、さっきは暴れることができず、うずうずしてるんでしょ」
「まあそんなところだな」
熊田の顔から、にやりと笑みがこぼれた。
「でも、武器はトランクの中よ。素手だと、さすがの熊田さんも、簡単にはいかないわね、私も手伝うわ」
「由美ちゃん、武器なんていらん。そんなものは、奴らのを取り上げてぶちのめしてやるから」
「そりぁ良い考えね。私、チェーンを使ってみたいわ。北御門流にもあるのよ、分銅鎖術が。剣術との対戦用にあみ出されたのよ」
「へぇー、そりゃ楽しみだな」
獰猛な族を前にして、二人の話は楽しそうに発展していく。族の連中は、彼らの存在をまったく無視したような車内の雰囲気に、いぶかしげにジリジリと近づいてくる。
「熊田さん」
今まで興味なさそうに聞いていた麗子が、優しく呼びかけた。
「えっ、何ですか」
熊田の表情から、思わず笑みがこぼれた。
「まどろっこしいわね。早く片付けて下さいな」
「解りました。すぐにでも。じゃ、由美ちゃんやるぞ!」
そう言うと、熊田はドアに手を掛けた。
「どうなさるつもりなのですか?」
「いや、どうするって? 早く片付けるんですよね」
熊田は麗子の言葉が、いまいち解らないようだ。
「そうして下さるの」
「そりゃ、もう・・・・・。麗子さんの頼みなら何でもやりますよ」
「だったら、ダッシュボードに入っている拳銃で、始末を付けて下さいな」
「けっ、拳銃ですか!」
「早く片づくでしょ。二、三人撃てば、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すに決まってますわ」
「ちょっ、ちょっと! 俺は、警察官ですよ!」
「ヤクザ以外で、拳銃を持ち歩いているなら、普通は警察関係者でしょうね」
その時、鉢巻きを締めた族が、熊田の車を蹴飛ばした。熊田は弾かれたように、外に飛び出した。それはある意味で、助け船であった。彼の顔は恐怖にかられていた。
あたかも、これ以上車内にいると、麗子に何を指示されるか分かったものではないと、言わんがごとくに。
麗子の命令に逆らえる男が、はたしてこの世に存在するのだろうか。
突然、鬼のような大男が、慌てて飛び出したのだ。先発の四人の族は思わず、あとすざりをする。
「やっ、やるか!」
手に持った金属バットを振りかぶる。木刀とナイフも見える。しかし、何となく気圧されているらしく、声が裏返っている。
「やるかも、くそもあるか。何を手に持ってやがるんだ! そのつもりで連れてきたんだろーが!」
熊田が怒鳴りつけた時、反対側のドアから由美が出てきた。ジーンズ姿も可愛い高校生は、この場にまったく似合わない。熊と美少女の出現は、族の若者に不安の種をまき散らしたようだ。
遠巻きに囲んでいる人々の群れから、言葉がかすかに漏れてきた。
「あの可愛い子が・・・・・釣り合わねぇーよな」
「おい、なんか変だぞ」
「やばいんじゃないか?」
「何がやばいんだ?」
「あの男、どう見ても堅気じゃないぞ!」
「で、でも、大丈夫だろ。俺たちにはバックが付いているんだ」
「そうだ、そうだ。浅草の石田組を締め上げた、強い味方が付いているんだ!」
雲行きがおかしくなってきた。しかし、熊田の耳にはブツブツ言っているとしか、入ってこない。
「おう、何か楽しそうじゃないか」
がたいの大きな凶悪そうな男が、人混みをかき分け正面に出てきた。
「隊長!」
前面で、かろうじて熊田の風圧に耐えてきた男がホッとした声を出した。しかし、隊長と呼ばれた男の顔が、引きつるのに時間はかからなかった。
「く、熊! 熊さんじゃありませんか」
「熊だとぉー! お前はなんだ! 誰にものを言ってるんだ」
「す、すみません。あっ、あのぉー、『毘沙門天』の特攻隊長をやらせてもらっております、ヤスと申します」
族の一団は完全に怖じ気づいてしまった。二歩、三歩と、あとすざりをしていく。
「ヤスじゃ解らん。しゃんと名前をいわんか!」
「な、名前ですか・・・・・北島康夫です」
「住所と生年月日、職業も言え!」
「そ、そんな・・・・・か、勘弁して下さい」
ヤスは肩を落とし、ほとんど泣きそうな顔になった。
その時である。傍若無人にも、クラクションを鳴らし車が突っ込んできた。いささか、くたびれ果てた古い型ではあるが、巨大なアメ車、ポンティアックであった。
「ゲンさんだ! 摩修羅のゲンさんだ!」
暴走族、『毘沙門天』伝説の総長、ゲンの出現であった。頼りになる男の出現に、この場の空気がゆるんだ。しかし、それも束の間のことであった。
「由美ちゃーん!」
ドアが開き、舌っ足らずの声がした。
「あっ、摩美ちゃん」
族の一団には、何が起こったか解らない。反対側のドアから飛び出したのは、摩美のボーイフレンドを自称する、ゲンだった。彼は、米つきバッタのように、熊田に向かって、何度もお辞儀をする。
一陣の風が吹いた。荒廃したコンクリートの上を、『ゴールドフィンガー』の曲が、流れ出した。少なくとも誰の耳にも聞こえたに違いない。
麗子がゆっくり地面に降り立った。長い髪が風にばらける。白くたおやかな顔に、黒いロングドレスがよく映える。
「お姉ちゃん!」
摩美が叫んで駆け寄った。ゲンはその場に土下座する。場の空気は一変して凍り付いてしまった。
「騒がしいわね。何ごとですの?」
返事を返すものは誰もいない。麗子の眼光が、大気を、ブリザードのように舞い上げた。彼女は背後から、そっと腕を前に突き出した。細い彼女の手には、拳銃が握られていた。 夕日が、彼女の横顔に射し込んでくる。その時、バックグランドミュージックが『夕日のガンマン』に変わった。
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