海老名のサービスエリアは、ごった返す人と車で溢れていた。九月中旬、敬老の日を含めた穏やかな三連休である。東名高速を西に向かう家族連れ、若いカップルはいかにも楽しそうだ。むろん定期便のトラックやトレーラーも大きな図体を駐車場に横たえている。
人々は用便を済ませ、あるものはレストランに向かい、土産物品店をひやかす。ファーストフードの店には長い行列が出来ている。
建物の軒にそって自動販売機が立ち並び、前の広場には屋台とおぼしきテント張の店が焼きそば、いか焼きを提供している。缶コーヒーを飲みながらタバコを吸うトラックドライバー。ベンチに腰掛け焼きそばを食べる子供たち。子供は、これから向かう旅行の期待を楽しげに母親に話しかける。大声で談笑する男女の若者グループも眼に付く。日本は平和である。じつに和やかな風景だ。
その時である。穏やかな光景は突如一変した。それは、歓談のざわめきの中に突然現れた異常事態であった。一台の国産セダンが猛スピードでエリア内に飛び込んできた。しかも、車上で非常灯を点滅させサイレンを鳴らしている。覆面パトカーだ!
そのパトカーを追いかけるように、二十数年前の車だと思える巨大なアメ車。暴走族にとっては垂涎の的、改造され車高を下げた真っ紅なポンティアックが後に続く。
エリア内の広場は一瞬静寂に包まれた。何が起きているのか事態が把握できない。暴走族が、覆面パトカーを追いかけているように見えるのだ。
駐車場を逃げまどう人々を蹴散らし、二台の車は広場の正面、建物の前にキッ、キッ、キーッ! とタイヤを軋ませ急停車した。キャー! どこからともなくかん高い悲鳴があがる。
駐車スペースではない建物の前に、横付けにされた二台の車はその場を動こうとしない。サイレン音は止まったが、非常灯は点滅を続けている。建物の中からも人が飛び出し遠巻きに囲む。ゴムの焦げた匂いがあたりに立ちこめてきた。エリア内の視線が二台に集中している。唾を揉み込む音も聞こえる程に緊張感が漂う。
ドン! 低い音をたてて、ポンティアックの後部ドアが開いた。ゆっくり降りてきたのは由美だった。カモシカのような肢体に、短いセシールカットの髪がよく似合っている。鼻筋が通り目元の涼やかな美少女だ。さらに驚くことにセーラー服を身に着けている。何故なんだ! 全然この場の雰囲気にそぐわない。観衆は自分の目を疑った。
覆面パトカーの後部座席から、中肉中背のごく普通の男性が降り立った。チェックのシャツにジーンズという出で立ち、平凡すぎるほど平凡だ。男はイチローであった。美少女が男に歩み寄る、どうみても高校生と高校教師の図柄だ。
「由美ちゃーん待って!」
ポンティアックから、声が響いたと思うと若い女が飛び出した。オーッ! かすかな歓声があがる。摩美である。なんとも刺激的な格好だ。
タンクトップを短く切り落とし、腹部を丸出しにした、真っ赤なブラトップの上着に、カット・オフ・ジーンズ姿だ。そのカットたるや大腿部の付け根までおよび、極度に丈が短く、白く健康的なヒップが覗く。すんなり延びた生足はスニーカーを履いている。ゆるやかにカールした髪に、人におもねるような笑顔で腰をくねらせ、セーラー服を追いかけた。
「こらーっ、見るんじゃねえ!」
大声を挙げて転がり出てきたのは、ゲンだ。そう、あの暴走族毘沙門天OBの摩修羅のゲンである。むろん品のないアメ車は、彼の愛車であった。摩美の艶やかな臀部を見つめる男達を怒鳴りつける彼は、いかにも最近の若者の出で立ちだ。そこここに穴の開いた長袖のTシャツ、ダブダブで腰から落ちそうなジーンズにも穴が開けられている。顎髭を少し伸ばし、耳にはピアス。ニットの帽子を被っている。
摩美にぞっこんの彼は、セクシーこの上ない彼女の姿を、男共に見せるのが苦痛でしかたないのに違いない。かといって、摩美の意向に逆い、着る服を指定するなど思いも寄らぬ事であった。
セクシーな若い肢体に見惚れている観衆に冷水を浴びせる光景が現出した。パトカーの運転席から、ヤクザ以外ではあり得ない男が降りてきたのだ。短髪に鋭い眼光、身長は180pを超え、体重は120kgはあろうという、マル暴のクマこと熊田刑事だ。その後に続き、身長こそ前のヤクザ者よりも高いが、少し背を丸め気弱そうに貴彦が車より出た来た。熊田が何となく気を遣うのが見て取れる。
本当に危険なのは、暴走族とヤクザ風な男ではなく、高校教師風の男と、気の弱そうな背の高い男で有ることを、観衆は知るよしもない。
最後にゆっくりと降りてきたのは、麗子であった。白く細い指が、微かに深紅のポンティアックの屋根におかれ、細い足が車外に降り立つ。ホーッ! すっくと立ち上がった麗子に、溜息が投げかけられた。
彼女はそよ風に髪をなびかせるように、そっと襟元の髪の毛をなで上げた。薄いグレーのスキニー・ドレスの胸元は、深いVネックで大きく開き、細い首には黒いレースのドッグカラーを装着している。濃いグレーのヘアバンドで纏められた長い髪は腰まで届き、身体の自然な線を顕わにするような、ほっそりとしたロングドレスの姿だ。柔らかい胸と腰のラインは、布の収縮で眩しく素肌にまとわりついているのだろう、下着の存在を感じさせない。というか、本当に下着を身に着けていないのかも知れない。肌の露出は多くはないが妖艶なことこの上もない。
これほどのアンバランスな集団は有るまいと思われる七人が、レストランに向かい歩き始める。先頭の露払いは熊田だ。その後を麗子が背筋を伸ばして颯爽と歩を進める。人々はこぞって進路をあけた。摩美と麗子は男どもの熱い視線を一身に浴びているが、全く意に介するふうもない。朝八時半に青葉台を出発した彼等は、用賀インターから東名に入った。今から遅い朝食を取るつもりらしい。
彼等の向かう先は、厚木インターから小田原厚木道路をぬけて、さらに海岸線を走った先の、熱海のゴールデンホットアイランドホテルである。到着は十二時半にはなるだろう。
熱海行きが決まったのは突然であった。
「兄ちゃん、また案内状がきたよ」
夕食の後、由美が手紙を貴彦に差し出した。
「えっ、由美ちゃん本当! お兄ちゃん熱海に行こうよ」
北御門家兄妹の支援によるホテルの再建が巧くいったようで、ここのところ招待の手紙がひっきりなしに来るのだった。
「そうか、先方は来て欲しいと言って、職場にも電話が掛かってくるんだ…感謝しているらしいんだが、どうだろう麗子…」
「よろしいんじゃありませんの」
「えっ! れ、麗子…」
貴彦だけではなく、みんなが驚いた。旅行嫌いの麗子がこのように簡単に承諾することは信じられないらしい。
「麗子、本当にいいのか?」
貴彦は、恐る恐る伺いをたてる。
「ええ、イチロー様は、熱海をご存じですか?」
麗子がイチローに問いかけた。
「熱海温泉の名は関西でも有名ですが、むろん私は行ったことは有りません。それどころか、そもそも私は温泉に行った事がないのです」
「えっ、イチローちゃんどうしてなの?」
摩美には、まいってしまう。いつの間にか、イチローちゃんになってしまった。
「金銭的余裕がなかったものですから……でも皆さんと温泉に行けるのは嬉しいです。蓄えを取り崩して何とかしますよ」
「イチロー君、熱海の温泉には、ただでいけるんだよ」
「ただっ、ただですか?」
「イチローちゃん、この春に私たち兄妹が、ホテルの危機を救ってあげたの。だから私たちは何時でもただで泊まれるわけなの」
兄妹とは言いながらも、ほとんど摩美は役に立っていない。大部分は麗子の手柄である。「摩美の言うとおりだ。よほど感謝したのか、遊びに来てくれとうるさいほど連絡があるんだ」
「なるほど、そういう訳ですか。でも、私は無料で泊まるわけにはまいりません。宿泊料を払わせて頂きます」
「イチロー君、ビジターも良いんだから。そういうことになっている」
「そうよ、イチローちゃん、そうしようね」
「駄目です! 皆さんとの旅行は嬉しいんですが、宿泊料は払います」
穏やかではあるが、毅然としてイチローは言った。
「お兄ちゃん、決まったら早いほうがいいよ。今週末は敬老の日を含め三連休でしょ、どうかしら? ねえ由美ちゃん」
イチローが自分で払おうが、どうするかは摩美の知ったことではないらしく、自分の望む次の話題に持ち込んだ。
「うん、摩美ちゃん、それがいいかも」
由美は一寸考える風に返事をした。彼女もまた思惑がありげだ。
「お姉ちゃんはどう」
ここで、麗子の意向を聞くのが北御門家の力関係である。
「よろしいじゃありませんの」
「お姉ちゃんがいいんだって! 決定よ!」
どうやら、北御門家の決定権は家長にはないようだ。
「摩美ちゃん、そうと決まったら足のことだけど、この前のように、ゲンちゃんと熊田さんでどうかしら?」
「由美ちゃん、それいい! 決まりよ」
「おいおい、おまえたち、ゲンはともかく、熊田は仕事柄週末が休みというわけにはいかないぞ。都合を聞かなきゃ」
さすが社会人として、常識ある判断だと言えよう。しかし、これでは収まらない。摩美は次の手を打った。この辺のタイミングは本能的としか言いようがない。
「お姉ちゃん、熊田さんに電話をいれてくれる。パトカー先導ということで頼んでよ。お願い!」
「いいわよ、摩美さん」
「やったー、すべて解決!」
とにかく、麗子がOKすれば、すべて丸く収まる段取りになることは違いない。貴彦の社会人としての常識よりも、摩美の本能が勝つのは当たり前だろう。
そんな訳で、熊田とゲンは土曜日の朝八時に北御門家に呼び出され、今はサービスエリアに居る。
このメンバーが熱海に行くと、一騒動が持ち上がるのは眼に見えていることだ。はたしてどうなることやら。
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