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夕焼けに去っていったの巻(五)
「あそこだ! あそこです貴彦さん。なんとも立派になったもんですね」 熊田がハンドルから片手を離し指さした。熱海ビーチラインに入って暫く走った。“お宮の松”までもうすぐだ。 「イチロー君、あの先のでかい看板がみえるだろ、あれがこれから行くホテルだよ」 助手席で振り返りながら、貴彦はイチローに話しかける。イチローは後部座席で一人座っているが、荷物に埋もれそうだ。いったいなんの荷物だろう? 「何とも派手な看板ですね、しかも、ゴ、ゴールデンホット…アイランドホテルですか。カタカナ表記のところが変ですよ」 「そう思うかい、たしかに普通はアルファベットで書かれているところが多いだろうが、それとても、キャバレーの乗りだろう」 貴彦はやけに嬉しそうだ。 「まったくです。なぜあんな名前を付けたのでしょう?」 「名前を付けた、本人に聞いてみるかい」 「えっ、誰が付けたんですか?」 「麗子だよ」 「ま、まさか! あの麗子さんが…信じられません」 「何故だか、そのうち分かるよ。とにかく大変なホテルだぞ」 イチローは、驚天動地とはまさにこのことかと言わんばかりに、頭を抱え込んでしまった。まさか、麗子さんが……そんなバカな、と思っているに違いない。思えば、北御門家に来て二週間たつが、彼が心の動揺を見せたのは初めてだった。 「いや、いや、本当にいい名前ですよ、奴らは派手なら派手であるほど、ステータスを感じる連中ですから、ピッタリだ」 熊田も笑いながら、貴彦の話しに乗ってきた。 「奴らってなんです」 「イチローさんも、そのうち分かりますよ」 ますますイチローは怪訝そうな顔をする。貴彦と熊田は、その様子がおかしくて堪らないらしく大笑いをした。熊田はイチローとは、今日が初対面であったが、好感をもったようだ。 けたたましい騒音を響かせながら、覆面パトカーと、ポンティアックが正面玄関に横付けにされると、待ちかねていたように二人が駆け寄ってきた。 「いらっしゃいませー!」 「来て下さったのね! 本当にありがとうございます」 満面に笑みを浮かべた社長の山田直樹と、眼を潤ませた女将の多美子が深々とお辞儀をした。 「やー、お世話になります」 二台の車から、個性というか何というか、てんでバラバラな風采の七人が次々に降り立つが、社長も女将もビックリしない。それもそのはず、今春の大騒動で、北御門一族に対する免疫が出来ているのだ。 ビックリしたのは宿泊客の方であった。二階、三階はおろか、十階建ての各部屋の窓から男達が、癖の有りそうな雁首を揃え様子を伺っている。なにせ、緊急灯を点滅しサイレンを鳴らしながら車が入ってきたのだ。驚かない方がどうかしている。 「兄貴ーっ!」 印半纏を羽織った、品の悪い若者がゲンの側に駆け寄る。 「おお、久しぶりだな」 ゲンは気をよくして返事をする。土地のヤンキー崩れのマサであった。 「女将さん、この不良どうしたの?」 由美が声を掛ける。ほんの半年前、マサはこのセーラー服の美少女にひどい目にあったことがある。 「由美さん、そう言わないでやって下さいな。行儀見習いで働かせてくれと行ってきたんで、仕事をして戴いてるんですよ」 多美子女将が助け船をだす。しかし、眉は剃り上げ、短髪には切り込みが入り目つきは剣呑だ。 「おい、何処の杯を受けたんだ。それともまだ半人前の準構成員か?」 熊田は、眼光鋭く問いかけた。 「ハイ! その内、一人前になりたいですが、まだ見習い中です」 誰に仕込まれたのか礼儀は正しい。 「おまえなー、ヤクザもいいが、ゲンを見習ったらどうだ! こいつは医学部受験を目指して、予備校に通っているぞ」 「ゲ、ゲン兄貴がぁ! なんで、何でだよぉー!」 摩修羅のゲンは、医者か弁護士にならないと摩美が相手にしてくれないと知り、殊勝にも医学部進学を志したのだ。 「おい、マサ、男はまっとうに御天道様の下を歩くのが王道だぞ」 ゲンはその風采とは裏腹に格好をつける。 「ゲンちゃん、すてき!」 「おっ、摩美ちゃん、そう思ってくれる?」 「うん」 「僕、がんばる!」 ゲンが僕かよ! この二人、かつては誘拐犯と被害者の間柄だったのが信じられない。 「うそだ! うそだ……」 マサはその場に崩れ落ち、呻き声をあげた。尊敬していた摩修羅のゲンが、どうやら道を踏み外したらしいのだ? 貴彦達の一行は、別館に案内された。本館から中庭を隔て、三階建の和風建築だ。コンクリート製の本館10階建てとは異なり、木造の数寄屋造りで見事な木材を使用し、木々に囲まれ別天地のごとくだ。大風呂敷を広げる、先代の社長山田大樹がVIP用に贅をこらして建築したものだ。 それぞれの階に、五部屋並んでおり、各部屋は広いことこの上もない和室である。むろん部屋ごとに、三人は入れる檜の風呂が付いている。 七人は、三階の欅の間に通された。 「お疲れ様でした。このお部屋は、皆様の食事と談話にお使い下さいませ」 茶を入れながら女将が挨拶をする。 「後ほど、皆さんをご案内致しますが、ご連絡頂きました通り別に四部屋を用意させて頂いております。この階は北御門様ご一行だけですので、どうぞおくつろぎ下さい」 直樹が用意した部屋は、楢の間は貴彦と熊田、楡の間はイチローとゲン、楓の間に摩美と由美、そして桐の間は麗子となっていた。 「社長、申し訳ありませんが男手を三人ばかりと、台車も三台お願いしたいのですが」 たかが二泊でこの連中は何を持ってきたのだろうか? 懐かしそうに話し込んだ社長と女将が部屋を出て行ったのは、三十分もたっていただろうか。 「麗子、良かったな。このホテルは完全に立ち直ったよ」 「まあ、当然でしょうね」 「あとで、二人が報告に伺うと言っていたが、楽しみだよな」 「お兄様がお聞きになって下さい。私はお部屋に籠もりますので」 麗子は全く興味が無いようだ。 「持ってきましたよ。何処に置きましょうか」 「しかし、大層なものだよな」 「この長い棒は何なんだ?」 イチローとゲン、マサそして手伝いの二人が台車を引きながら帰ってきた。何とも凄まじい荷物だ。 「えーと、姉ちゃんはバック一つと、ノートパソコン。摩美ちゃんは、バックが四つ……。皆さんそれぞれ自分の部屋に持っていってね。そして、その他のものはイチローさん、襖の向こうの部屋に置いてね」 由美が張り切って仕切っている。今回の旅行を一番楽しみにしているのは、どうやら由美のようであった。 明らかにそれと分かる荷物は棒である。六尺棒が三本、四尺の杖が二本、木刀が三本むき出しのままになっている。大きな袋三つには、どうやら剣道の面と胴が入っているようだ。竹刀と本身の刀も有るようだ。 「さー、イチローさん、兄ちゃん、まだ二時半だからタップリ時間があるわ、さっそく稽古をしましょうよ」 今回の旅行は、由美にとってまさに武術の合宿だったのだ。 擦った揉んだのあげく、貴彦は由美の誘いを社長と打ち合わせがあると、なんとか言い訳をして断ることに成功した。摩美とゲンは、マサに案内させて熱海見物、熊田は熱海警察に行き静岡県警の安田刑事に仁義を切ると言って出かけていった。 「では、わたくしお部屋にまいります」 麗子は、ノートパソコンを抱えて桐の間に籠もった。こうなると彼女の邪魔を出来るものはいない。 由美とイチローは道衣と道袴に着替える。由美は上下とも白、イチローは黒に、剣道の防具を身につけた。さすがに面は外し左手に、木刀と竹刀を右手の格好で本館に続く廊下を歩く。温泉旅館にはそぐわない異様な格好である。敷石の回廊をぬけると本館の入り口のドアにつく。自動ドアが開いた。浴衣客がたむろする広いロビーに剣道姿の二人が乗り込んだのだ、手には木刀と竹刀を提げている。どう考えても温泉旅館の雰囲気とは言い難い。 「えっ!」 二人の異様な格好に気づいた何人かから、思わず声が漏れた。とんでもないギャグか、殺りく者の出現である。浴衣姿が腰を浮かす。 「何だ、何だ!」 「出入りか!」 剣呑な発言も跳んだ。ロビーにいたのは、従業委員を覗いては男ばかりであった。しかも、とても堅気には見えない。ようは人相が悪いのである。それもそのはず、このホテルは指定暴力団、吉田会の保養所になっているのだ。二の腕に掛けて彫り物が入った男達も多い。 「ふん」 軽く鼻先で笑うと、由美は無視してロビーを横に折れ、中庭に向かう。イチローは驚く面々に軽く一礼して由美に従った。 二人は中庭の一角にある芝生が敷き詰められた場所に出た。 「ふーん、金回りが良いんだね」 「由美ちゃん、どういうこと?」 「今年の春、ここに来たときは、芝がぼうぼうに伸びて、雑草も生えてたの」 「そうなのか、今は手入れが行き届いて良い芝生だね」 「さー、稽古しましょ」 そう言うと、由美は竹刀と木刀を側に置き、面を着け始めた。イチローも同じ動作に入った。
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