永遠に未完の組曲
夕焼けに去っていったの巻(七)



 


 ゴールデンホットアイランドホテルには、百五十人収容の宴会場が三つある。その内の二つは仕切を取り払えば三百人収容になるが、最近は宴会場が全部埋まることは先ず無くなった。以前は五百人宿泊できる規模であったが、今では特別のことがないかぎり、半分の二百五十人しか泊まりの予約を受け付けないからだ。その分、少人数で大きな部屋を占領できることになる。四人部屋を二人部屋にしてしまったのだから豪勢である。
 さらに、サービスも至れり尽くせり、ヤクザという自己顕示欲の強い連中にとっては、極めて心地よいはずだ。当然ながらホテルに落ちる金も多くなる。なお大宴会場の他に、五十人収容の小宴会場が四つ用意されている。

 三百畳敷きの大宴会場に、石田組は組員総数三百人の内、主だったものを九十人集めて、出所祝いとやらの祝いの宴を張っていた。
 上座には、なんとも形容しがたい鳳凰の巨大な金屏風を背に五人の人間が座り、上座から見て正面はステージとなっている。金屏風からステージまでは向かい合う形で三列に膳がならび、それぞれ三十人分並び、イチローと由美の席は、上座に近い端の最前列に用意されていた。

 上座に座る五人のまん中に位置しているのが、どうやら放免された本人らしい。年の頃は四十代半ばだろうか、眼光鋭く巌のような身体付きをしている。頭を下げて俯いている坊主頭に、何本もの深い傷がみえる。隣には石田組、石田辰雄組長が正面を向いて一点を見つめていた。彼は長い挨拶を静かに傾聴している。長めのオールバックには白髪が目立つ。五十過ぎにしては多い方であろう。黒いスーツを身に着けた姿は、どこから見ても一分の隙もない紳士である。
 挨拶は延々と続く、話しをしている男は六十過ぎであろうか、祝辞は長ければ長いほど良いと勘違いしているらしい。肥満体をゆらし、癖の悪そうな顔を歪め、無理して笑顔を作っているという感じだ。

「イチローさん、あの人、人を殺したらしいよ」
「……そうらしいな」
「人を殺して七年の刑期を終えたって、そんなものなの?」
 由美が唇を耳に触れるようにして、イチローに耳打ちをする。イチローは困ったような顔で“由美ちゃん静かにしようよ”とばかりに眼で懇願する。
 先ほどから由美は、「料理が凄い!」「石田組長格好いい!」と、何かとイチローに話しかける。それでなくても一癖ありげな集団の中で女性は一人きりである。ヤクザの集団に可愛い女子高校生が目立たないはずはない。この席で由美はクールニットのテニスセーターにジーンズといういかにも少女らしい清潔な服装をしている。この場居並ぶ男達の視線を集めているのだが、彼女はまったく意に介するふうがない。
 むくつけき男どもは、彼女のことが気になってしかたないらしく、盗み見をする。イチローと由美が席について一番驚いたのは、加納鉄心御宗家とその取り巻き連中かも知れない。どういう訳か彼等も出席している。しかも、彼等は二人よりかなり下座である。 
「何で奴らが!」
 と、初めて二人に気づいたときに鉄心の口は開いたまま、しばらく閉じることはなかった。

 長い挨拶はやっと終わった。会場をかすかに溜息の波紋が拡がる。その流れを変えるように、石田組長が立ち上がると、つられたように全員が立ち上がった。組長はグラスを片手に持ち上げ「吉松の今後を祝して乾杯!」という彼の音頭で、一座のものは吉松と呼ばれた男にグラスを捧げる。
「ご苦労様でした!」
 多人数の大声である。
「ありがとうございます」
 一人のお礼の声である。吉松という男は、すこし頭を下げて、決して誇らしげな態度は取らない。
 拍手がわき起こった。ヤクザも、一般社会の儀礼と同じようなものである。一座の中で由美だけが、ジュースでの乾杯と相成った。彼女は乾杯なんぞは初めてらしく、笑みを浮かべて喜んでいる。
「けっこう、楽しいね! 好きだなーこういうの」
 腰を降ろした彼女は、さっそくイチローに話しかける。
「由美ちゃん、宴会は初めてなの?」
「うん、時々呼んでもらいたいな」
「だめだよ、こんな席は」
「なぜ?」
「だって、ヤクザだぞ」
 イチローは、まわりを気にしながら由美の耳元にそっとささやいた。それを見咎めたのか、恐いお兄さん達の視線が二人に集まる。この場の主役は吉松という男のはずだが、主役は完全に二人に取られてしまったようだ。なにせ、このような席に可愛い女子高生が出席するのも前代未聞だし、さらに若い男とイチャイチャしてるとしか見えないのだ。


 式が終わると、一座はくつろいで酒席となった。
「失礼ですが、お二方は、どのようなご関係でこの席へ?」
 堪りかねたのか、向かいの席の男が声を掛けた。一見会社の重役と言った風貌でヤクザには見えない。二人の向かいに坐ると言うことは、席順からいって幹部に違いない。なにせ、ヤクザは席順にはうるさく、その序列を巡っては、後で血の雨が降ることも珍しくない。それだけにただ者ではないと思っているのか、丁寧な言葉使いだ。
「組長さんに頼まれたのよ。ぜひ来て下さいといって」
「組長直々ですか?」
 石田組は吉田会の中でも有力な組織である。石田組長は、次期吉田会会長の有力候補と見なされている。
「そうよ、組長さんとはお友達なんだから」
「お、お友達?」
 女子高校生とお友達とは? と不思議そうな顔をした。その時、隣の席の者が耳打ちをした。下座に座ったこの男は、いかにもヤクザでございと言わんばかりの風貌をしている。
「兄弟…じ、実は…」
 聞きながら、話しかけてきた男の顔色が変わってくる。由美と貴彦が、淺草の石田組にカチコミをした話しになっているに違いない。
「そ、それじゃあ…あの…ご兄妹で!」
「こちらは、お兄ちゃんじゃないの、イチローさんよ」
「イチローさん? 何れにせよ、まあまあ、お一つ」
 男はイチローに向かって、徳利を差し出した。イチローは軽くお辞儀をして、盃で受けた。
「恐縮です」
「わたくし、田所と申します。今後ともよろしくお願いします」
 田所という男は、丁寧に挨拶をした。

 宴は進んでいく。皆がうち解けた雰囲気で談笑を続ける。上座に鎮座する五人に次々に献杯に行くが、順序よく列をつくっている。
「中居さん、またちょうだい」
 由美が皿を差し出す。
「由美ちゃん、少し遠慮しなさい」
 イチローが心配そうに声を掛ける。
「はい、でも…」
 和服を着た中居さんもしこし困った顔をする。それもそのはず、由美は少しの遠慮もなく、先ほどからアワビとウニばかり食べている。
「仲居さん、構いませんよどうぞお嬢さんに好きなだけ取ってあげて下さい」
 大きな舟盛りの活き作りを前に、田所が微笑みながら言う。
「おーい、こっちから取ってもいいぞ!」
 少し離れたところから声が掛かる。
「ヤクザ屋さんて、皆さんお行儀がいいんですね。学校の食事会だったら大騒ぎよ!」
「確かに、会社の宴会に比べてもおとなしいですね」
 イチローも不思議がっている。
「我々、ヤクザは無礼講と言うことが無いんです。酒席の乱れは信用を失う第一ですから、特に気を付けます」
「なるほど…」
 イチローは感心したように頷く。
「でも、あそこの席はうるさいよ!」
 由美が指さした席では、酒が相当回ったらしく、加納鉄心御宗家連中が騒いで奇声を挙げている。廻りのヤクザは、時々上座を窺いながら、何とか取りなそうと勤めている。
「ああ、あちらさんは堅気の方ですから」
 当然のように田所が言った。堅気の人間の方がだらしないのは、この世界では常識らしい。 

 由美は田所という男と気が合うのか、楽しそうに談笑している。石田組長の誘いを受けて本当に良かったと思っているらしい。彼女はどうもヤクザと波長が合うようだ。
 石田組カチコミ事件以後も、どういう訳か石田組長と仲良くなり、時々待ち合わせて、デートをしている。ボディーガードの若者の言葉によると、その雰囲気は親子か、祖父と孫のように見えるらしい。
「由美ちゃん、あんた本当に可愛いよ」
「ありがと、でも悩みがあるの」
「えっ、何なんだい?」
「どういう訳か、もてるのは同性の女の子か、おじさんばかりなの」
「そりゃそりゃ…なあ姉さんどう思う?」
 田所は頭を掻きながら、問いなりに坐る仲居に問うた。
 年の頃なら二十歳を過ぎたばかりに見える仲居は、由美を見つめたままポカンとして返事をしない。
「おい、姉さんどうしたんだ。このお嬢さんは可愛いと思うかい?」
「えっ、ええ…」
 我に返った仲居は質問の意味を知ると、真っ赤になって俯き、モジモジし始める。
「こりゃ、参った!」
 田所は大笑いした。
 由美と田所の話は弾んでいる。その時、一瞬イチローに異変が起こった。箸を膳の上に置くと、正座の姿勢を取った。眉間には深い縦皺が刻まれる。他の者はイチローの変化に気付かない。

それは突然であった。宴会場の襖が激しく開かれると、若い男が乗り込んできた。膳を蹴飛ばし、金屏風まで一直線に走る。顔色は真っ青で眼は吊り上がっている。彼には目標以外何も眼に入らないはずだ。一座の者は一瞬虚をつかれ唖然として、動けない。イチローは徳利を手に掴んだ。
 どうやら、標的はこの宴の主賓、吉松のようである。
「覚悟ぉー!!」
 吉松は、すべてを承知しているのか、頭を上げない。若者は吉松を見据え、トカレフを両手で前に突き出す。指に掛かった引き金を絞が絞られる。その瞬間、イチローの手から徳利が飛んだ。
 ダァーン!! 乾いた音が座敷に響いた。

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