「どうかしましたか、和子さん」
一閃した刃は、相手の首筋を断ち切り、その場に静止する。刹那、間をおくと刀を右に開いて血振りをおこない、納刀して残心。目線は断ち切られた首を見つづける。
無外流居合、野送りの型が終わったところで、清隆は体を入れ替え、先ほどから控えていた和子に声を掛けた。
父輝隆の身繕いをした後、いつものように居合いの稽古をするのは、清隆の日課になっている。彼が父、輝隆の指導のもと、武道の稽古を始めたのは六歳の折、直心影流の組太刀からであった。真剣を持っての居合の稽古は中学に入学してから始められた。
「はい、さきほど岸部さんから電話がございました」
「何と言ってましたか」
「今日の午後、伺うと言うことでした・・・・・あの・・・・・」
「なんですか? 遠慮しないで言ってください」
「なぜ清隆さまは、あんな品の悪いヤクザ者と付き合うんですか」
思い切ったように、和子は清隆を正面から見つめていった。
「確かに、品はよくありませんね。しかし、ヤクザじゃありませんよ。以前はそうだったかも知れませんが、今では立派な堅気です」
「でも・・・・・」
「あれでも良い奴ですよ。どこが嫌いですか」
「言葉が悪くて、変になれなれしく話しかけるし、いやな目つきで、私のことを見つめるんですもの」
「和子さんのことが好きなんだと思いますよ」
「えっ、そ、そんな・・・・・」
和子は、今時珍しく髪を三つ編みにし幼い顔立ちをしている。短い会話を交わしたのち、和子は母屋に戻っていった。清隆の視線は和子の後を追うことなく、再び半眼になると中断していた居合の稽古に没入していった。
清隆が中学卒業以来、久しぶりに岸部と再会したのは、十八歳の時、三年前のことだった。
白川家の玄関から、五十過ぎの肥満した男が、輝隆と一緒に出てきた。黒っぽいダブルのスーツに身を包み、頭を剃り上げ、目つきが剣呑で、明らかにその筋の人間だと思われる。
清隆は知らないが、男は山本泰蔵と言い、平塚市に縄張りを持つヤクザの組長であった。
輝隆はいつもの通り大島紬に袴のいでたちである。総髪をなびかせ姿勢正しく歩いていく姿は、普段と変わるところはなかった。
二人の後ろを、黒メガネを掛けた長身の大男が従っている、殺気をみなぎらせ歩く男は、おそらく用心棒であろう。
「父上、お出かけですか、お供致します」
異様に太い木刀で、直心影流、法定の型を一人で繰り返し稽古をしていた清隆は、音もなく輝隆の側に近寄ると呟いた。
「おお、清隆か、いいから稽古を続けなさい」
「いえ、お供させて頂きます」
清隆の直言に、輝隆は少し考える風であったが、静かに答えた。
「・・・・・いいだろう」
そう言うと、輝隆は南門の方へ歩き出し、清隆は黙って後に従った。二人のヤクザも喋らない。
正門の前に黒塗りの外車が二台横付けにされていた。一台はリンカーンコンチネンタルであった。これまた人相のよくない男が三人、深く頭を下げ彼らを迎えた。
車は松田国府津線から、国道一号に入り平塚方面に向かって走っていく。湘南海岸の側を走るのだが、誰も海の方を見ず真っ直ぐ前を向いて黙ったままだ。ゆったりと余裕のある車内で、輝隆は腕を組んで軽く眼を閉じている。清隆は前を向き、彼特有の遠くを見つめる眼差しで、剣道着のまま懐手をしていた。
前の座席では、黒めがねの大男がハンドルを握り、先ほどから親分と呼ばれている山本泰蔵は助手席にふんぞり返っている。
「白川の旦那には、何とか始末を着けて貰わねばなりませんよね、親分!」
運転席から、野太い声が掛かった。
「まあな、白川さんに落ち度がある訳じゃないから、落とし前と言うわけにもいかないが・・・・・ねえ、白川の旦那」
そう言いながら、山本泰蔵は振り向くと後部座席の二人をねめるように見つめた。
輝隆と清隆は同じ姿勢のまま、黙っている。まったく動揺しない二人に、山本はしだいに苛ついてきたようであった。
「旦那、息子さんは若くていい男じゃないか。これからの人生だよ、五体満足であって欲しいよな・・・・・」
よくありがちな脅しの文句が輝隆に通用すると思っているのだろうか。
平塚駅を過ぎてすぐ右に折れ、東海道線のガードを潜ると、すこし海辺に向かったところで前を先導していた車が止まった。その車の後ろに、清隆の乗る車は静かに止まった。
すぐに、前の車から若い男が飛び出し、外からドアを開けた。
古びてはいるが、鉄筋三階建ての建物の前であった。到着を知った若い衆が飛び出してきて出迎える。
「親分、ご苦労様です!」
四人の若者が最敬礼をして迎えた。
「白川の旦那、こちらです。どうぞお降りになって」
と、声を抑えて親分が言った。いっけん丁重そうではあるが、威嚇するもの言いである。
建物の鉄製の扉の入り口には、大きな看板が掛かっている。看板には代紋と山本一家という大きな文字が書かれていた。
若い衆が肩を怒らせ二人を睨み付ける。これ見よがしに木刀を振り回す者、意味もなくドスを見せびらかす者がいる。清隆にとっては、救いがたい下衆な振る舞いに思えたことだろう。あまりにもお粗末な脅しの芝居である。彼は父の横顔に視線を移した。輝隆は何事もないように、あくまで泰然として腕を組んでいた。
「おまえたち、客人だ、三階の応接間にいくぞ」
「はッ、承知しましたッ!」
そう言うと、若い者二人が弾かれたように建物の中に駆け込んだ。
「おい、白川じゃないか!」
突然の声だった。その場の全員の視線が声の主に集まる。清隆に呼びかけた短髪の若い男は、しまったとばかりに口を押さえた。
「・・・・・岸部か、久しぶりだな」
清隆の言葉は、その場を繕い、中学時代の同級生を救うように見えた。岸部と呼ばれた若い男は、おどおどした様子で、左右に眼を走らせる。
彼は、家庭的にも恵まれず、中学三年にもなると、学校にほとんど顔を出さなくなった。不良仲間に入り悪事を働いていた。たまに学校に顔を見せると、もめ事の処理を清隆に頼むのであった。岸部の頼みで清隆が、事の始末を着けたことは一度や二度ではない。
岸部は、清隆を崇拝している風であった。清隆は勉学において開校以来の秀才と言われ、戦いの場に置ける、微塵の呵責もない果断さは近隣に鳴り響いていた。岸部が依存するのを、あえて清隆が拒むことはなかった。二人はある種の欠落感を共有していたのかもしれない。岸部が思わず声をあげたのも無理はなかった。中学卒業以来、久しぶりの邂逅であった。
「どうして、お前がここに来たんだ?」
廻りを見回し、心配そうに岸部は清隆に話しかけた。
「ぶつぶつ言うんじゃねえッ! 行くぞ、こい!」
兄貴分ふうの男が、岸部を鋭く叱りつけ、山本に会釈ををすると、
「親分、小田原の伯父貴のところに行ってまいります」
「おおそうだ! 三橋の兄貴によろしくな」
小田原の三橋組組長、三橋康夫は山本泰蔵の兄貴分で、組自体も山本一家より遙かに大きい。
「マサッ、付いてこい!」
岸部正雄は心配そうに、清隆を何度も振り返りながら、兄貴分の後に従った。
通された応接間は洋室になっており、高価そうな絨毯の上に、大きなソファーが乗っていた。壁にはあまり上品でない大きな富士山の油絵が掛かっていおり、その下には鎧兜が飾ってあった。無秩序な美意識にとどめを刺すように、まっ赤な朝日の描かれた掛け軸まで掛かっている。
嫌悪感を覚えたのか、輝隆がわずかに顔をしかめた。
上座の長椅子を勧められると、親子は逆らわずに並んで腰を下ろした。父、輝隆の向かいには山本泰蔵、清隆の向かいには黒メガネの男が腰を下ろした。山本の背後には、後ろ手を組んで足を開いた若者が立っている。
「おい、つれてこい」
山本は若者に命じると、輝隆に向かってニタリと挑戦的に笑いかける。
清隆は、そっと横目で父の顔を窺った。しかし、輝隆は何の表情も表さず、腕を組んだまま眼を半眼にしている。
「グズグズするな! こっちだッ」
若者が年輩の男を引きずって入ってきた。
「・・・・・だ、旦那・・・・・」
かなり痛めつけられたらしく、男の顔は腫れ上がり、左の瞼はふさがっている。ジャンパーを着込んだ、短躯で角刈りの男は、名を小出定男といい、白川家出入りの大工の棟梁であった。足下もおぼつかないらしく、その場にへたり込んだ。
「小出、またやったのか」
輝隆が、穏やかに話しかけた。
「め、面目ありません・・・・・」
「まったく、しょうのない奴だな。話は聞いた、博打で五千万円もの借金を作ったらしいじゃないか?」
「こ、今回はちょっと違いまして、イカサマ博打なんですよ・・・・・ウゲェッ!」
小出頭領が言い終わらないうちに、用心棒の蹴りが、小出の腹部に刺さった。
「うざいッ、向こうへ連れて行け!」
山本組長の言葉に、若い衆が小出を引きずると部屋から出て行った。
「・・・・・と言うわけで、賭場のつけを払わないばかりか、イカサマなんぞと言いやがって、ちょっと痛めつけさせてもらいました」
山本は、テーブル越しに下から上目遣いに輝隆を睨みつけた。
「以前の話になりますが、三橋組の賭場の借金を旦那が立て替えたことがありましたよね。今回もひとつお願いしますよ」
小出頭領は実に単純で、気のいい男である。しかし、困ったことに賭け事が好きで、三橋組の借金を始末した後、輝隆が懇々と説教をしたのだが、またぞろ虫が出てきたらしい。
「小出はイカサマだと言ったが」
「旦那、負けた奴は必ずそんなことを、ほざくんですよ」
「あの男は、嘘は言わない」
「なんだとッ!」
山本泰蔵のこめかみに青筋がたった。顔を真っ赤にして腰を浮かせた。その時、小出を引きずって行った若い衆が帰ってきた。
「おいッ! ドアを閉めろ」
「はっ、はい!」
応接室は五人の密室となった。勝ち誇ったように山本は下品にほくそ笑んだ。
「じゃあ、旦那。うちの賭場でイカサマがあったとでも言うんですかい。聞き捨てなりませんな」
「小出がそう言うんなら、そうだろう」
輝隆は和服で腕を組んだまま表情も変えずに言い放つ。それが更に山本の感情に火を点けた。
「なんだとッ! 聞き捨てならねえッ、小出の借金どころじゃねえ。面子を潰されたんじゃあ、この家業はやっちゃあいけねえんだよ。キッチリおとしまえはつけてもらうぜ!」
「おとしまえ・・・・・金か」
輝隆は吐き捨てるように言った。
「なにーッ!」
言うが早いか、山本泰蔵はガラス製の灰皿をテーブルに叩きつけた。部屋中の空気が殺気に包まれ、一触即発の状態に陥る。側に座っていた用心棒が、懐から白鞘のドスを取り出すとバンと音をたてテーブルに置いた。黒眼鏡のため男の顔色は窺えないが身を乗り出している。山本泰蔵の眼はいきりたち、喰らいつかんばかりに輝隆を睨みつける。
輝隆は眼光鋭く、山本泰蔵の放つ殺気を、腕を組みソファーにもたれかかったまま泰然とはね返す。
その時、剣道着の懐に手を入れていた清隆の手が、スーと音もなく懐から出た。右手に鋭い光が煌めいた。気配も見せずに立ちあがった清隆の右手が、用心棒の左頸動脈を切り裂いた。その動きはあまりに自然だったので、吹き出た血をかぶっても山本泰蔵は事態を正確に掌握出来なかった。
あまりのことに、泰蔵は、口を開け目を見開いて声すら出ない。清隆の右手には懐剣が握られていた。なんの躊躇も見せず、清隆は懐剣を山本泰蔵の喉に突き立てた。眼を大きく見開き何が起こったか解らぬままに、泰蔵はその場に崩れた。
清隆は懐剣を下げ、何事もなかったように、その場に立っていた。彼の白い顔にも飛び散った血痕が付着していたが、表情の変化はまったく見られない。
「泰蔵、待てッ!」
仕立ての良い紺のスーツを着た細身の男が飛び込んできた。目つきが鋭く、威圧的な雰囲気を漂わせている。年齢は、山本泰蔵より上であろう。
「おっ、遅かったか!」
男は、三橋組組長の三橋康夫であった。彼の態度はこの場の悲惨な状況を予期していたかのごとくであった。
三橋の後から駆け込んできた組員が悲鳴をあげた。
「げッ!」
「おッ、おやぶん!」
「狼狽えるんじゃない! タオルと毛布をもって来い・・・・・しっかりせんか!」
三橋がその場で腰を抜かしていた若者の頬を平手で叩いた。清隆の怜悧な瞳が、入り口に集まり右往左往している男の中に、岸部正雄の姿を認めた。彼が小田原の三橋組長に話し、白川輝隆のことをよく知る三橋が慌てて駆けつけたようであった。
「三橋か!」
「白川の旦那!」
三橋は深く頭を下げた。
「後の始末は、お前に任せる」
そう言うと、輝隆は初めてソファーから立ちあがった。側では清隆が黙したまま、懐剣の血を道衣の袖でぬぐっている。彼の蒼い暗灰色の瞳からは、二人の人間を殺戮した精神の高揚が伺えない。
「清隆、行くぞ」
「はい」
清隆は何事もなかったように静かに返事をすると、黒地に金箔で梅花の蒔絵がほどこされた鞘に、二人の血を吸った懐剣を収めた。
輝隆は清隆の胸に手をやり、鼓動に乱れのないのを確かめると静かに言った。
「清隆、お前は何という業を背負っているんだ・・・・・」
「・・・・・」
「骸を、毛布でくるむんだ! 取りあえず床の血をタオルで拭け!」
親分が殺傷されたと言うのに、組員は清隆の顔を盗み見るだけで、反抗の色さえ浮かべずに、三橋に言われた通り黙々と作業を続ける。
「おい、お二人をお送りしろ」
三橋の命に、弾けるように岸部が走り出した。
立ち去る清隆の後方で、三橋が組員を叱咤する声が聞こえてきた。
「おぼえておけ! ヤクザは逆立ちしても、侍に勝てる訳はないんだ! 身の程をしらぬとこの通り身を滅ぼすぞ」
輝隆の懐にしまわれていた懐剣は、ついに出番が来ることはなかった。彼の大島紬の背は、何故か僅かに痛恨の色を滲み出したまま、外へゆっくり歩いていく。清隆はその背後を守るように従った。
|