流祖辻月丹資茂(すけもち)
流祖辻月丹は慶安2年(西暦1649年)に佐々木高綱の後裔辻弥太夫を父として、近江の国甲賀郡宮村字馬杉に於いて生まれた。13才の時、京都に出て山口流の山口ト真斉について剣術を学び、26才の時、江戸にいって麹町に道場を構えた。精神修養のため麻布の吸江寺の開祖石潭禅師に師事して、禅学と中国の古典を学んだ。45才の時、悟りを開き、禅師から、
一法実無外 乾坤得一貞 吹毛方納密 動着則光清
の偈(げ)を与えられた。
弟子には、小笠原佐渡守長重、姫路の城主酒井勘解由忠挙、土佐藩主山内豊昌等の大大名えお始め、一万石以上の大小名は32名、直参の士150名、陪臣の士932名と記録されている。
一生独身で通したので子がなく、府中の六所明神の神官猿渡豊後守の長男を後継者とした、これが二代の都冶記摩多資英である。
流祖は禅学、漢学に精しかったので、伝書である「無外真伝剣法訣」は内容の深玄と文章の流麗さに於て、我が国武術伝書中の絶品と言われている。
流祖月丹は79才で、享保12年6月23日に没した。禅学を学んだ吸江寺は東京渋谷区東4丁に、代々の墓所如来寺は品川区西大井5丁に現存している。