無外流居合兵道 序文 無外流居合兵道の型 無外流居合太刀打ちの型 流祖辻月丹資茂(すけもち) 一心流鎖鎌の型 岩目地先生語録
無外流居合兵道 序文
昭和32年、3年、4年と、無外流居合兵道振興会本部大阪府堺市の第12代宗家石井悟月先生の所の全国大会に3年連続の優勝をし、下関市に無外流支部を作った矢先、
第11代宗家より石井善蔵(悟月)破門に関する件の手紙を、35年6月7日の印で受取り、同年6月15日には岸和田の中谷君より、16名連盟の脱退のうつしを受け取った。 下関に帰って居た私には何の事か良くわからぬ間に、11代より12代に渡したと同じ免許をあたえるから高野山に来る様にと言われ、昭和36年5月上院付で免許を戴いた。それより早25年、12代を名乗った石井悟月先生も早く亡くなり11代中川先生の7回忌が本年行われた。全日本剣道連盟の全国大会に優勝、日本武道館で第17回全国大会に演武等も行った。色々の想出の有った剣道連盟も58年には退いたが、その後も各国からの無外流居合の修行者は年々増加して指導書がどうしても必要となったので、茲に無外流兵道を出版することとした。
居合の稽古には相手が居ないために精神の緊張度が相手のある武技よりも、どうかすると遅緩しやすいので、修行者は敵を前にした気持ちで、気分を充分に張りつめてやって貰いたいのである。
そして理由をよく知って行なわないと、猿芝居の猿となるので、この点をよく注意し、常に生と死との別れぎわを学ぶものであることを忘れてはいけない。
真剣を以て行う技であるから心も自ら真剣にならなければならない。興行武術家が行うようなことは日本刀を冒涜するものであるから、決して行うべきではない。武技は決して武戯と混同してはならないのである。
段位とか称号などは一つの契励の方法として、存在するものであるから、これに捕らわれて、武道の本質を顛倒してはいけない。称号段位のために居合を練習したならば、技は自から卑しくなり、単に刀の操法だけのものとなる。そんなものを居合と言うことは出来ない。
闘争には先ず己に勝つことが第一である。「われに勝ち、身方に勝って、敵に勝つ、これを武将の三勝という」
という歌がある。己に勝つ即ち昔からいうところの克己の精神である。これを居合を行ずることによって、身につけることが大切である。
この書によって自ら研究すると共に、先輩や師範の細部に亘る指導を受けなければならない。頭から足の先迄の各部の動きは、書き表されるものではない。各部の動きをよく見て、一日も早く自分のものとなすべきである。
昭和61年12月10日発行
塩川寶祥 著
「無外流居合兵道」序文より