杖 道




杖道紹介 短杖術
神道夢想流杖術の由来 神道流剣術の型
神道夢想流杖術の型 内田流短杖術の型
神道夢想流杖術における型の意味(前) 神道夢想流杖術における型の意味(後)
なんで、杖?





 なんで、杖?



  稽古の後に乾杯するのは実に楽しいものである。空手にしろ杖道にせよ、終わった後は必ずと言って良いほど酒を飲む。まさか稽古の後に美味しい酒を飲む為、武道をするんじゃないよな、と自問することも屡々である。
 酒好きの連中は良いとして、飲まない小太郎や、アサイッチが付き合ってくれるのはありがたい限りだ。

 三月の杖道稽古の後、品川のいつもの居酒屋でのことだった。我が東京都杖道連盟きっての論客、シンペイさんがこんな事を言い出した。
「私には、どうしても分からないことがある。夢想権之助は、どうして杖術を編み出し、剣に対抗しようとしたのだろうか。武器としては、杖は剣に遙かに及ばない。あえて、不利な杖を選択したのが理解できない」
 と、ここまでは、シンペイさん真剣な顔でありました。しかし、酒席でのこととはいえ、宮本武蔵、夢想権之助同一人物、フランス人説を展開した彼のことである。このままでは修まらない。

「実は、権之助は蝦夷地の人間だった。長ずるに及び、彼は蝦夷地に古くから伝わる、土着の棒術には飽き足らなくなった。剣術にあこがれて香取の地を踏み、差別と困窮に苦しみながら修行を積んで、剣術を極めた。しかし、さらに術を磨くために各地を放浪し、歳を取るに従って生誕の地が恋しくなった。九州に至り、ついに故郷が忘れがたく、蝦夷の地で盛んに稽古した棒術に郷愁を見いだすに至った。そして、棒術を洗練し編み出したのが、杖術である」
 なーんだ。権之助、フランス人説は放棄してしまったのか! 二天一流と神道夢想流を蹲踞の姿勢から型を分析し、同一人が編み出したと論証したよな。さらに、フランスにおける二刀流の伝承を考察し、その結果、フランス人と言いきったのではなかったのか?
 今度は、蝦夷の棒術かよ!
 酒席での話しである。これで終わればそれまでであるが、妙に私の頭に残ってしまった。

 杖は武器として剣に遙かに及ばない。いや本来、武器として使用されるものではない。杖は杖として日常生活での本来の用途があるのだ。
“疵つけず 人をこらして戒しむる おしえは杖の 外にやはある”(もっともこの歌は、江戸時代中期のものらしい)
 ホントかいな? 時は戦国末期から、江戸初期の社会が混乱し、殺伐たる闘争のまっただ中である。そんな時代に、あえて夢想権之助が武器でもない杖をもって武器として使用する流派を開いた理由が分からない。 

 空手道において、戦闘に用いる拳足。いや五体と言い換えても良いだろう。これも又、本来の用途は武器ではない。空手に於いては五体を武器化するのに、大変な鍛錬を必要とする。空手だけではない、体術すべてにそれが言える。
 杖を武器化する事との共通性は? きちんと頭を整理してから、まとまったら発表したいと思います。

 それから二ヶ月半が経過した五月の末に、ふと私の脳裏に閃くものがあった。さっそく私は、岩目地先生に電話を入れてみたところ、
「実は、私もだいぶ以前に、そのことを疑問に思った事があります。しかし、そのままでその先に進むことは有りませんでした」
「先生、私なりに閃いたものが有ったんです。大ざっぱに言うとこれこれこういう事で……、書いてHPに発表しようと思います。意見、添削をお願いしますね」
「それは、全然構いませんよ。ただ一つ、当時は戦国の気風が濃厚な、江戸初期でした。現代とは違った時代背景を考慮して下さいね」
 岩目地光之という男はまったく! 神道夢想流免許皆伝、無外流居合兵道免許皆伝、塩川派糸東流空手道師範八段という、私に取っては雲の上の存在なのですが、同じ目線で話してくれるんです。

 ともあれ、先生に全く同感でした。現在、世に流布されている神道夢想流の理念と称するものは、どう考えても、江戸時代の秩序が確立した後の、悪く言えば平和な時代の、もったいぶった説法としか思えないんです。
 岩目地先生に約束してしまいました。私は書かざるを得ないでしょう。そして、それなりのものが書け、先生の了解が頂けるならば、発表するつもりです。しかし、何時とは約束しませんでした。何時のことになるやら?


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