杖 道




杖道紹介 短杖術
神道夢想流杖術の由来 神道流剣術の型
神道夢想流杖術の型 内田流短杖術の型
神道夢想流杖術における型の意味(前) 神道夢想流杖術における型の意味(後)
なんで、杖?





 神道夢想流杖術の由来



 神道夢想流杖術は、今から約380年前夢想権之助勝吉によって創始されたものである。

 流祖夢想権之助は、初め天真正伝香取神道流の奥義を究め、その免許を受け更に鹿島神流の流祖、松本備前守について鹿島神流の奥義を究め「一の太刀」の極意を授かったと伝えられている。
 慶長の頃、権之助は、江戸に出て、有名な剣客と数多く試合をし一度も敗れたことがなかった。
 ある日、播州明石において剣豪宮本武蔵と試合をし、武蔵の二天一流の極意である十字留にかかり、押すことも退くことも出来ず敗れてしまった。
 それ以来、権之助は、艱難辛苦、武者修業をして、諸国を遍歴し、武蔵の二天一流十字留打破に工夫専念した。
 数年後、筑前の国(福岡県筑紫郡)に至り、太宰府天満宮神域に連なる、霊峰宝満山に登り玉依姫命を祀る亀門神社に、祈願参籠すること37日、至誠通神、満願の夜、夢の中に童子が現われ、「丸木をもって水月を知れ」との御神託を授けられた。
 権之助は、丸い木と水月の御神託を体して、種々創意工夫し、三尺二寸の太刀より一尺長くして四尺二寸一分、直径八分の樫の丸木を作りこれを武器とし、槍、薙刀、太刀の三つの武術を総合した杖術を編みだし、遂に宮本武蔵の十字留を破ったと伝えられている。
 その後、権之助は黒田藩(福岡)に召し抱えられ、権之助を師範と仰ぎ十数人の師範家を起し盛大に指南せしめ、特に藩外不出の御留武術として、伝えられてきたものである。
 明治維新の政変により、明治四年杖術も必然的に解禁されるに至って初めて一般に紹介されることになった。
 黒田藩士第24代の統、白石範次郎重明の高弟清水隆次克泰師範(故人)が上京し、普及発展に務め、一方福岡では、同じく高弟乙藤市蔵勝法師範(故人)が御流の継承と発展に精力的に活躍され現在に至っている。  


                                    清水隆次校閲「杖道教範」より


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