師とその周辺



師とその周辺 塩川先生について
岩目地先生について もの』になる。<岩目地先生編 続編>
ポンタル君について ポンタル君について 続編
岩目地先生からの質問 その後のポンタル君



 塩川先生について


5月17日、PM7:00、銀座の某所にて会食。

塩川宗師、ヒトシ、ヒロコ、そして私の四人。宗師は77歳だが元気なことこの上もなし、その日、アメリカのフロリダから帰ったばかりなのに、少しの疲れも見せない。むしろ、我々のほうが仕事帰りで多少疲れていた。

宗師は崎向師範主宰の少林流空手道、鎮東館40周年の記念大会に招待されフロリダにて、空手道、杖道、居合道の講習を行った。5年に一度は指導にいっている。杖道、居合道はわかるが、なぜ少林流の有段者の人々が(約150名)糸東流の師範の講習を受けるのだろうか? 

よく解らないが、まあいいか……。

今回の会食の大きな目的は、ヒロコを宗師に紹介することにあった。

彼女は武道などと言う野蛮な世界とは全く無縁な世界で育って来た淑女。ひょんなことから我々と接触をもち、一貫堂の事務局を引き受けてもらい、日々お世話になっている。せめてもの恩返しの気持ちもあった。

結果的に喜んでもらったのでほっとした。

 塩川宗師は女性であるなら機嫌の悪いはずがない。ましてや、素敵な女性であるなら、終始ご機嫌であった。さらに、ビールのおかげで、先生の気分の良い時、たまにでてくる“カタリ”がとびだした。「八百屋お七」の色っぽいのと、「三国志」の仁義の出し物であった。

少年時代、祭りの“ノゾキ”で覚えたそうだ。面倒くさいので“ノゾキ”については述べない。

60年以上前のものだが、記憶もはっきりしている。吉川英治の「宮本武蔵」も全巻覚えたという、本当かいな? と思う。飛び抜けた異能の持ち主である先生ならあるいは、ありうることだと妙に納得した。

ヒトシは第二次大戦中、先生が“紫電改”に乗っていた頃の体験談に非常に興味をしめした。「紫電改という飛行機は、極めて操縦の難しい飛行機だったそうですね」などと質問をする。なんで若いお前がそんなことを知っている! 実際この男、森羅万象しらないことは無い。何を考えて生きているんだろう?

先生も興に乗り“失速反転”など、特殊な操縦法の話をする。先生は予科練から海軍飛行学校に進み、終戦は海軍大村基地でむかえた。長崎の原爆を対岸より体験している。

武道の話になったとき、先生は私に向かって「お前は下手だ」と言われた。

「え!本当ですか」私は我が耳を疑った。

先生には延べ10数万人の門下生がいるが、先生が“上手”というのは4〜5人。あとは“下手”か、“下手くそ”、下手と言ってもらえるのは大変な名誉だと勝手に思っている。

「間違いなくお前は下手だ」肯きながら先生は言われた。

「ありがとうございます」感謝の気持を込めて、私は頭をたれた。

知らない人が聞いたらこの会話をどう思うだろう?

最後にヒロコの先生に対する感想で終わろうと思う。

「異能な人だ、あんな人にあったのは初めて、人間としての器が本当に大きい。大きすぎて端が見えない。」




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