師とその周辺



師とその周辺 塩川先生について
岩目地先生について もの』になる。<岩目地先生編 続編>
ポンタル君について ポンタル君について 続編
岩目地先生からの質問 その後のポンタル君
塩川寶祥伝(その一) 塩川寶祥伝(その二)
塩川寶祥伝(その三) 塩川寶祥伝(その四)
塩川寶祥伝(その五) 塩川寶祥伝(その六)
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塩川寶祥伝(その二十一) 塩川寶祥伝(その二十二)
塩川寶祥伝(その二十三) 塩川寶祥伝(その二十四)
塩川寶祥伝(その二十五) 一途な人(その一)
一途な人(その二) 一途な人(その三)
一途な人(その四) 一途な人(その五)
一途な人(その六) 一途な人(その七)
一途な人(その八) 一途な人(その九)
一途な人(その十)

 師とその周辺

 「師」とはなんだろう?
 国語辞典を2種類ひいてみた、意味としては「学問、技芸を教授する人。僧、神父などを敬っていう語」となっていた。
 指導を受け、教わったら「師」であろうか?
 「自分以外、出会った人はすべて『師』である」といった宗教家がいた。
いい言葉だと想う。その僧の「道」にたいする、謙虚で素直な姿勢が感じられた。でも、私にとって「師」という言葉のもつ想いとは、少しおもむきを異にする。
 「私の人生の節目に現れ、歩んでいく自分の人生の方向に大きな影響をあたえる人」「さらに、現実世界で出会った人」そういう人を私は「師」と呼ぶことにしたい。

 「大森曹玄」、この名を知らぬ剣道家、宗教家は少ないと思う。いわずとしれた、禅、武道、書の大家である。残念ながら私は、お会いさせていただいたことはない。しかし、曹玄老師の著書はずいぶん読ませていただいた。又、知人で老師より禅の印可を受けた方もおられる。多少なりとも、立派な人と縁があると思うと、私は嬉しくなって人に言いたくなる。完全なるミーハーである。
 私の「師」塩川寶祥先生を通じて、さらに縁が出来てきた。

 昭和36年、日比谷公会堂にて、古武道の演武大会が行われた。その少し前、他の演武会の時、塩川先生は、隣に座った人に話しかけた。「曹玄老師の切っ先、自分はあれをかわせる気がする」と。話しかけた相手がたまたま、演武の際、曹玄老師の相手をつとめる市川先生であった。その言葉は老師の耳に入った。そして、塩川先生の居合を見た老師は日比谷公会堂の演武会に塩川先生が来ることを知り探した。
 その顛末は、曹玄老師よりの以下の手紙となった。全文を一字一句忠実に、行もそのまま生かして書くことにする。 なお文中に清水、岡田、中川と3人の名前がでてくるがそれぞれ、杖道の清水隆次範士、剣道の岡田守弘範士、無外流11代中川士龍宗家のことである。

   
啓上 二日の日比谷公会堂で、清水さんに伺ったところ学台は写真を撮って居られる
   との事で、探してみましたが見当たらず、とうとうお目にかかれず残念でした。
   小生は自分の演武がすむとすぐ帰りました。
   さて、無外流の稽古のことですが、昨日刀剣会で皆に会いましたので、
   希望を聞きました処、一人だけ岡田道場に入門して、他稽古と両方やりたいと
   申して居りましたが他の大部分は一ヶ月に一回でよいから塩川先生に御指導
   願えぬかとの事でした。
   あとは独習する由です。
   一昨日、中川先生からも一寸御注意があり(手紙で)
   若し出来ますなら当方禅会の後で見て頂けませんでしょうか。
   当方の我侭を申しますなら第二・第四日曜のどちらかに三時半頃
   御出張願えるなら最も好都合です。勿論
   先生の御都合で他の日でも結構です。
   勝手を申し恐縮ですが御都合伺上げます。
                                 敬具

   六月四日      大森曹玄

                              塩川先生
                                  侍史




 その後、約3年間、塩川先生は、鉄舟禅会の終わった後に無外流居合兵道の教授を月に2度行うことになった。当時、東洋鍼灸専門学校の学生でアルバイトによりかろうじて生計を維持していた塩川先生にとっ曹玄老師およびその一門の人々から受け取る月謝は生活費の大いなる助けとなった。

 以来、曹玄老師は「私の居合の師は、下関の塩川先生です」と言い続けてこられた。
当時、塩川先生36才、曹玄老師59才、しかも、世に名の知れた大家が、名も知れぬ、地方のいち武道家に師弟の礼をとられたのである。
山口県の徳山市で大森曹玄老師の講演会が行われたおり、その地で老師は「同じ山口県の下関に自分の居合の師である、塩川先生がおられる。残念ながら時間がなく、ご挨拶できない」と申された。それを聞いた、講演会主催の関係者が後日、菓子折をもって挨拶に来られたこともあるという。
 「曹玄さんは、本当に立派だ! あれだけの大家でありながら、自分ごときに礼を尽くされる。 あんな人はいない!」

 全日本剣道連盟が本格的に居合道に力を入れ始めた昭和40年代、紙本栄一範士、富ヶ原富義範士、と塩川先生の3人で九州、四国、中国、近畿、遠く北陸まで、各県連の依頼により指導に廻った。当時の受講者のうちから現在、全日本剣道連盟の範士8段になった者は多数いるが、塩川先生に教わったと言う者は、まずいないそうである。
 「紙本先生に教わったとは言うが、私の名前はまず出てこない」
 「そんなものだよ。田舎の空手家に教わったと言って得することは無いからなあ!」
続けて、塩川先生は言う。
 「合気道もおなじだ、私に礼を尽くされるのは井上さんぐらいか!」
 合気道の世界にも、塩川先生の足跡は少なからずあるが、知る人は少ない。
なお、井上さんとは、合気道養神館本部道場長、警視庁合気道名誉師範、井上強一9段のことである。

 私ごときが意見を述べるのもおこがましいが、大森曹玄老師、井上強一師範、この人たちは本物だと思う。ここまで率直になれる精神は、禅、武道にて修行を積み、心身を練りに練った結果だろうか? 本当に自らに自信のある人だと言い切っても間違いではないと思う。

 ここでふと脳裏に浮かんだ。冒頭に述べた、私の勝手な定義、『師』とは、1.人生に大きな影響を与えた人、2.現実に接触した人 、そして第3として最後に付け加えたい。
 「『師』を選ぶのは、あくまで弟子である。誰を『師』として崇もうと本質的に各人の勝手である!」


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